奥さんとウォーキング中に、ある立て看板を見つけました。
高島市内には、ところどころに立てられています。
内容的には、歴史的な跡地であったり、建造物であったりと、歴史好きの私には大いに興味が湧いてくるもの。
高島市の教育委員会さん、実に素晴らしいことをしてくださっています。
そこには阿弥陀寺遺跡と書かれています。
なんと開基は聖徳太子とのこと。
古い文献にもその名が記されています。
もうこれでも、スゴイこと、と感動。
実は、阿弥陀寺のあとは、今はこんな感じ。
宝塔が残っている程度です。
しか~し、私が感動したのは、このお寺で起こったことであります。
それは、安土桃山時代、織田信長を狙撃した人物がいました。
狙撃自体は失敗です。
この場面は、ドラマ等にも出てきてます。
そこで、この狙撃した人物が、杉谷善住坊と言う人。
その善住坊が狙撃に失敗後、逃亡していたのだが、ここ阿弥陀寺で捕らえられました。
オォー! スゴイ。
そして、信長の怒りはすさまじく、体を地中に埋めて出ている首を竹のこぎりで、通りがかりの人に挽かせたとのこと。
詳しくは、いつものウィキペディアを参照。
鉄砲の名手であったという以外の確かな人物像は不明であり、出身については甲賀五十三家の一つである杉谷家の忍者とも、伊勢国菰野の杉谷城の城主とも、あるいは雑賀衆、根来衆、賞金稼ぎ、猟師ともいわれている。信長を狙った理由も、近江国を追われた六角氏からの依頼、信長への個人的な恨み、鉄砲名人としての腕試しなど諸説ある。
元亀元年(1570年)4月、越前朝倉氏攻めの途中で浅井長政に挟撃され一時京都に逃れていた織田信長は、翌5月に岐阜城への帰還の途についていた。5月19日、善住坊は伊勢方面へ抜けるため近江国の千草越え(千種街道)を通過していた信長を狙撃するが失敗に終わった。12-13間(20数m)の距離から2発撃ったとされるが、信長はかすり傷のみで済んだ。
その後、善住坊は逃亡生活を送るが、暗殺されかけた事に激怒した信長の厳命で、徹底した犯人探しが行われた。その結果、近江国高島郡堀川村の阿弥陀寺に隠れていたところを、領主・磯野員昌に捕縛される。織田家へ引き渡された後は、菅屋長頼・祝重正によって尋問された後に、生きたまま首から下を土中に埋められ、竹製のノコギリで時間をかけて首を切断する鋸挽きの刑に処された。なお『フロイス日本史』にも、名前不明ながら「ある仏僧が立ったまま生き埋めにされ小さなノコギリで首を切断された」事件のことが記されている。
私も知っていた歴史上の出来事に関することが、ここ高島であったとは・・・。
プチ感動してます。