オカリナと水泳日記、あ、うつ病と拡張型心筋症なども

病気は「ついで」かい!というようなタイトルですが(苦笑)。
古い記事はうつ病との闘いの記録?や花作りがメインです。

初コブ、初タモ、初刺され。

2010年11月24日 | 徒然雑草(釣りのこと)
また語呂良く?まとめてみました。
コブはコブダイ。タモは玉網。のコトです。

あ、釣りのことです。ハイ。

で、コブダイ。
幼魚はこれまでに釣ったことはあるんですが、成魚は初めてでした。
コブの無い雌で25センチくらい。
まあ成魚になったばかりでしょうかね。コブダイにしてはかなり小さいですが。

それでも胴回りは立派なもの、自分としては魚屋さんに置いてもおかしくないサイズのお魚を初めて釣ったという感じです。

ただびっくりしました。
だって釣れたのは大蔵海岸の護岸際。そろそろガシラでも掛かるかな~、って探っていたら突然ゴゴンッ!
2.4mのグラスファイバー100%の愛用探り竿(笑)の穂先が50センチくらい引き込まれた感じでした。

な、なんじゃあ?と思いつつ水面まで引き上げると(その後の引きはそんな強くなかった)、赤くて丸々した魚体が…。
コブだあ、とは判ったものの。大蔵の高い足場からではサイズがわからん。ゴボウ抜きして大丈夫かなあ、と周りをきょろきょろしますと。

近くでカレイ狙いの投げ釣りをしているグループのそばに玉網(タモ)が立て掛けられています。
「すみませーん! タモ貸してくださーい!」とお願い。
「はいはい~」とお兄ちゃんがヘルプしてくれました。

ということで初タモ。

ですが上げてみたら25センチ(汗)。ゴボウ抜きできたなあ。。。騒いでちょっと恥ずかし。

まあそれはどもかく、大蔵の護岸際にも居るんだねー。垂水漁港の波止際には居るってきいてたけど、あっちはかなり水深があるから。。。

んで、初刺されってのはその垂水漁港。
カワハギ狙いで行ったのですが撃沈。キスとハゼがちょい投げで釣れました。…今海の中の季節はいつなんだ??

という状況の中、足元でココンとアタリ。引き上げるとマイクロガシラ。
針はずしながら「何かガシラとは違うなあ」と海に返そうとしたら。
魚体を掴んでいたタオルに引っかかってしまいました。
あらら、と外そうとしたら。

痛! あー指先にヒレの先が刺さった。

にしては異常に痛い。しかもなんか痺れてる??
で、ようやく気づきました。

ハオコゼだぁ。ヒレの先に微毒の棘を持つ小魚です。

つーことで初刺され。気をつけないとねー。
というかなんか垂水とは相性悪いのかね。

現実を生きる。現実に生きる??

2010年11月24日 | 徒然雑草(うつ病・拡張型心筋症のこと)
毎度よくわからないタイトルで。
今回は本人すらわかりません(笑)

ただねー、ここ数年(というか心筋症で入院して以来)哲学的?な思考を繰り返してきたわけですが。
最近ちょっと囚われすぎているかな、と思い始めたのであります。

もちろん、そういった思考や学びをする過程で本当にたくさんのコトに気づいたし、人間としても少しは成長できたのかな、と思うことも多々あります。
そのおかげで苦しみから解放されることもありましたしね。
なので、それはそれで有意義だったと思うのですが。

一方で、社会復帰して一年以上経った今、もっと現実をまっすぐありのままに見つめる時期が来たのかな、なんて思ったのです。

そういう段階なのかもしれませんねー。

正直なところ、これまで現実をしっかりありのまま見つめてきたか、と問われれば、ノーです。
そんな心のパワーがないというか、どうでもいいというか、そんな勇気がないというか…、また壊れてしまいそうで(苦笑)。

…って、無意識に思っていたようです。

それが、少し気合が戻ってきたような感じ。
過去の現実、今の現実をしっかり見据える時期が来ている感覚がします。
見据えるといっても“闘う”わけでは無いんですが、苦しかったことを思い出すのはやっぱりパワーがいるからね。

で、話が前後しちゃいましたけど、なんでそんなコトをしなければならないのか。

ここ数年間というのは、哲学的(というより認知療法的?)に過去を見ることで、苦しみのウラで得たものばかりを常に意識するように生きてきたんですね。
放っておいたらココロは勝手に苦しんでくれます(?)ので、思考としてはプラス面ばかり意識するようにしていた、とでも言えばよいのでしょうか。

もちろんこれまではそれで良かったんだと思います。
過去の苦しみと真正面に向き合えるほどのパワーが無かったわけですから。

ただ、結果的にはココロの中の苦しみを、ただ見ないようにしてきただけとも言えるわけですよね。
ということは、いつまで経ってもこの苦しみは消えない、ってコトだと思うんです。

ですから、少しパワーが戻ってきたこれから、少しずつ苦しみを見つめていってみよう、それで「苦しみ君」の行き場を探してやろう、そうすれば哲学的思考に頼らずとも生きていけるようになるかな、と。

で、なんでそうなりたいかというと、哲学的思考でココロの安定を保つのって、それはそれで結構エネルギーを食うんですよね。最近気づきましたけど。

なので、ココロの安定を保つために通常必要以上のエネルギーを使いたくない。
というか、そんなエネルギーがあるならば、今どう生きるか、ということに使いたい、というコトです。

そういう段階に入りつつあるような気がする(はっきりしろよ、苦笑)、最近のびっきぃなのでした。

で、タイトルの「てにをは」の話。

びっきぃのココロの師匠の一人(多すぎて困ってます、笑)の中村天風師は、講演録などをみると、「人生を生きる」ではなく「人生に生きる」という言い方をされています。

おそらく何か意図があってそういう言い方をされているのだろうと勝手に思っていたのですが、最近なんとなく“に”の意味が判ってきつつあるような気がする、のは気のせいだろうか?(だからはっきりしろって)という状態です。

どちらにしても、言葉で表現できるものではありませんねー。だから?はっきりできません(逃げ)。