えらく自虐的なタイトルですが(苦笑)。
今日はいろいろと思うところがありました。
そこで思ったこと、思い出したこと、を書いてみようと思うんですが、そのキーワードが「小心」であります。
うーん、でも今日は構成が難しいな(苦笑)。
遠まわりですけど関連する過去記事を先に挙げますね。
2/9付カウンセリングでの話。
「回復で心が強くなるに従って、以前の攻撃的・批判的(否定的)な考え方が出てきているように思います。
また自分の一番いやなクセなんですが、「人を評価する」というクセがまた復活してきたように思います。」
2/23付カウンセリングでの話。
「”70%主義”の良い点は心に余裕がある、ということ。悪い点は、なんとなく不充足感があるということでしょうか…。”全力主義”の良い点は、”頑張ってる”という満足感があること…、悪い点は、周りが見えなくなること、でしょうか…。」
で今日2/27の記事。
「何度も書いてきたけど、びっきぃはもともと営業出身。
営業を9年やって、経理に替わって4年目。その経理の期間の大半は”うつ病”で潰されてきたわけだから、同僚のように一人前の経理マンになれているはずもなく(努力はしたよ、簿記2級も取ったし)。
ついこの間までは、自分のキャリアに自信を持てていたんだけどね。
つまり、営業をやり、経理もとりあえず税務を除けば決算はできる。
労務的なことも労働組合での役員という経験もある。
さらに言えば、”うつ病”を(たぶん)乗り越えたこと。すなわち自分の「思考パターン・人生観」が一回り大きくなったと思っていたこと…。
なんだかそれらのことが、今週は全然自分の自信になりません。」
以上のようなことを振り返ったら、キーワードは、私の「小心」にあるのでは、と思ったのです。
なぜそう思ったかということで、ここでちょっと偉い先生の文章を引用します。
戦史研究家で小説家でもある児島襄先生の名著「指揮官」で、某将軍について書かれた文章です。
「小心な性格者は、小心なるがゆえにしばしば果敢な行為を好み、著しい克己心を発揮し、また、自己に対すると同様に他人にも厳しさを求め、性急な行動を好み、偏執的な思想傾向を持ちやすい。」
この本、確か初めて読んだのは学生の頃でしたが、帰りの電車の中で突然この一節を思い出し、帰宅してすぐ本棚を探したわけであります。
上記の過去記事とこの児島先生の分析、符合するところが大ではないかと。
いや、それ以前に、学生の頃この本を読んで、高校水泳部部長としての自分はまさにこれだったと思い至ったことを思い出したのであります。
部内で一番速い泳者ではない自分を取り繕うために、あえて強権的なリーダーシップを取っていた自分。
言い換えれば、「一番速い泳者」でない自分を必要以上に卑下して、それを部員に悟られないように自信家の振りをしていた自分。
心の底では、自分自身に対する自信など、これっぽっちも無かったあの頃。
今も同じだと思います。
たぶん私の周りの人たちは、私のことをきっと「自信家・プライドの高い人間」と思っていると思います。
でもそれは、以前のカウンセリングで指摘されたように、「自分自身(=人格)に自信がないことの裏返し」なんだと思います。
自信がないから自信家の振りをする、と。
一番大切な「自分の人格」に自信が無いがゆえに、上記のような「小心者」の「行動パターン」に陥っていて、結果私の場合、「仕事ができるか。もしくは人に文句を付けられないぐらい頑張っているか。」が自分および他者を評価するときの座標軸になっていたと。
だから、2/23付の話。
「”全力主義”の良い点は、”頑張ってる”という満足感があること…。」というのは、「満足感」ではなく、他者に対して「俺は頑張ってるよ!」というアピールができているという「安心感」に他ならない、と。
そして、その「安心感」を得るために、「克己心を発揮」し、営業時代は本当に身を削って働き、一方中小企業診断士やコーチングを学び、経理に替わってからは簿記の勉強に打ち込んできたわけであります。
今は法人税の勉強ですね。
そして他者に対しては、「頑張っていない(と自分が思う)」人に対する、「攻撃心」を抑えきれない、と。
まとめましょう。
・ 私は自分自身(=人格)に自信が無い。すなわち「小心者」である、と。
・ よって「仕事」および「頑張っているか」が自分及び他者に対する評価軸になっている。
・ 自分のプライドを維持するために「頑張っている(=100%主義)」が、「満足」ではなく「安心感」の源になっている。また今だに(頑張っていた)営業時代のことを引きずっている。
・ 他者に対しても、「仕事が出来るか」もしくは「頑張っているか」が評価軸になっていて、それに当てはまらない人に対しては、攻撃的になってしまう。
・ そして、「他者に攻撃的になってしまう」のは、自分の「小心」の裏返しである。
…というところでしょうか。
では、です。
自分は「小心者」である、それは「自分の人格に自信が無い」からだ、という「思考パターン」をどう克服するか、です。
自分の人格に自信を持てれば良いわけですけれど。
今気づきました。
自分の人格に自信を持つためには、まず他者の人格を認めることだと。
仕事がどうこうではなく、他者の人格をありのまま認めること。
それによって、自分のありのままの人格も認めることが出来るのではないかと。
そうすれば「70%主義」だ「100%」だ、というような小手先の技術(?)に頼らずとも、「安心感」を持って生きていけるように思います。
「ありのまま」というキーワード、久しぶりに登場ですね。中村天風師匠ご無沙汰です(笑)。
これまではあくまで「自分の“ありのまま”とは」ばかり考えていましたけれど、まず「他者の“ありのまま”」を先に認めることによって、「自分の“ありのまま”」を認識し、認めることができるようになるのでは、と感じます。
そうして「自分のありのまま」を認めることが出来るようになれば、「小心」ともお別れし、「本当の自信・安心感」を持てるように思います。
明日からはまず、周りの人たちの“ありのまま”を見つけることから始めましょう。
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食べるモノ、今のままでいいの!?
今日はいろいろと思うところがありました。
そこで思ったこと、思い出したこと、を書いてみようと思うんですが、そのキーワードが「小心」であります。
うーん、でも今日は構成が難しいな(苦笑)。
遠まわりですけど関連する過去記事を先に挙げますね。
2/9付カウンセリングでの話。
「回復で心が強くなるに従って、以前の攻撃的・批判的(否定的)な考え方が出てきているように思います。
また自分の一番いやなクセなんですが、「人を評価する」というクセがまた復活してきたように思います。」
2/23付カウンセリングでの話。
「”70%主義”の良い点は心に余裕がある、ということ。悪い点は、なんとなく不充足感があるということでしょうか…。”全力主義”の良い点は、”頑張ってる”という満足感があること…、悪い点は、周りが見えなくなること、でしょうか…。」
で今日2/27の記事。
「何度も書いてきたけど、びっきぃはもともと営業出身。
営業を9年やって、経理に替わって4年目。その経理の期間の大半は”うつ病”で潰されてきたわけだから、同僚のように一人前の経理マンになれているはずもなく(努力はしたよ、簿記2級も取ったし)。
ついこの間までは、自分のキャリアに自信を持てていたんだけどね。
つまり、営業をやり、経理もとりあえず税務を除けば決算はできる。
労務的なことも労働組合での役員という経験もある。
さらに言えば、”うつ病”を(たぶん)乗り越えたこと。すなわち自分の「思考パターン・人生観」が一回り大きくなったと思っていたこと…。
なんだかそれらのことが、今週は全然自分の自信になりません。」
以上のようなことを振り返ったら、キーワードは、私の「小心」にあるのでは、と思ったのです。
なぜそう思ったかということで、ここでちょっと偉い先生の文章を引用します。
戦史研究家で小説家でもある児島襄先生の名著「指揮官」で、某将軍について書かれた文章です。
「小心な性格者は、小心なるがゆえにしばしば果敢な行為を好み、著しい克己心を発揮し、また、自己に対すると同様に他人にも厳しさを求め、性急な行動を好み、偏執的な思想傾向を持ちやすい。」
この本、確か初めて読んだのは学生の頃でしたが、帰りの電車の中で突然この一節を思い出し、帰宅してすぐ本棚を探したわけであります。
上記の過去記事とこの児島先生の分析、符合するところが大ではないかと。
いや、それ以前に、学生の頃この本を読んで、高校水泳部部長としての自分はまさにこれだったと思い至ったことを思い出したのであります。
部内で一番速い泳者ではない自分を取り繕うために、あえて強権的なリーダーシップを取っていた自分。
言い換えれば、「一番速い泳者」でない自分を必要以上に卑下して、それを部員に悟られないように自信家の振りをしていた自分。
心の底では、自分自身に対する自信など、これっぽっちも無かったあの頃。
今も同じだと思います。
たぶん私の周りの人たちは、私のことをきっと「自信家・プライドの高い人間」と思っていると思います。
でもそれは、以前のカウンセリングで指摘されたように、「自分自身(=人格)に自信がないことの裏返し」なんだと思います。
自信がないから自信家の振りをする、と。
一番大切な「自分の人格」に自信が無いがゆえに、上記のような「小心者」の「行動パターン」に陥っていて、結果私の場合、「仕事ができるか。もしくは人に文句を付けられないぐらい頑張っているか。」が自分および他者を評価するときの座標軸になっていたと。
だから、2/23付の話。
「”全力主義”の良い点は、”頑張ってる”という満足感があること…。」というのは、「満足感」ではなく、他者に対して「俺は頑張ってるよ!」というアピールができているという「安心感」に他ならない、と。
そして、その「安心感」を得るために、「克己心を発揮」し、営業時代は本当に身を削って働き、一方中小企業診断士やコーチングを学び、経理に替わってからは簿記の勉強に打ち込んできたわけであります。
今は法人税の勉強ですね。
そして他者に対しては、「頑張っていない(と自分が思う)」人に対する、「攻撃心」を抑えきれない、と。
まとめましょう。
・ 私は自分自身(=人格)に自信が無い。すなわち「小心者」である、と。
・ よって「仕事」および「頑張っているか」が自分及び他者に対する評価軸になっている。
・ 自分のプライドを維持するために「頑張っている(=100%主義)」が、「満足」ではなく「安心感」の源になっている。また今だに(頑張っていた)営業時代のことを引きずっている。
・ 他者に対しても、「仕事が出来るか」もしくは「頑張っているか」が評価軸になっていて、それに当てはまらない人に対しては、攻撃的になってしまう。
・ そして、「他者に攻撃的になってしまう」のは、自分の「小心」の裏返しである。
…というところでしょうか。
では、です。
自分は「小心者」である、それは「自分の人格に自信が無い」からだ、という「思考パターン」をどう克服するか、です。
自分の人格に自信を持てれば良いわけですけれど。
今気づきました。
自分の人格に自信を持つためには、まず他者の人格を認めることだと。
仕事がどうこうではなく、他者の人格をありのまま認めること。
それによって、自分のありのままの人格も認めることが出来るのではないかと。
そうすれば「70%主義」だ「100%」だ、というような小手先の技術(?)に頼らずとも、「安心感」を持って生きていけるように思います。
「ありのまま」というキーワード、久しぶりに登場ですね。中村天風師匠ご無沙汰です(笑)。
これまではあくまで「自分の“ありのまま”とは」ばかり考えていましたけれど、まず「他者の“ありのまま”」を先に認めることによって、「自分の“ありのまま”」を認識し、認めることができるようになるのでは、と感じます。
そうして「自分のありのまま」を認めることが出来るようになれば、「小心」ともお別れし、「本当の自信・安心感」を持てるように思います。
明日からはまず、周りの人たちの“ありのまま”を見つけることから始めましょう。
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食べるモノ、今のままでいいの!?
ということは、びっきいさんのような人がたくさん居ることですよね。
気にしない。気にしない。