いやあ(何が?)。
別に調子が悪かったわけではないんですが。
むしろ5月の連休明けからかなり調子が良いです。あ、メンタルの方ね。
心臓の方は先日年に一回の検査をやりました。
心エコー、心電図、レントゲン、血液などなど。すべて問題なし。
中性脂肪も肝機能も血糖値も問題なし、とのこと。
ただBMI、じゃなくてBNP値(*)は測定に時間が掛かるので次回に持ち越し。医師は、「まあ問題ないでしょう」とのこと。
*心臓に負担が掛かって異常が起きている時に分泌されるホルモンのこと
んで、メンタルの方なんですが。
5月の連休中、久しぶりに大きな気づきがありました。
「こだわらない」ってことです。
まあ、その手の本なんかを読んでいれば「こだわりを捨てましょう」なんてことは、イヤと言うほど書いてあるものなんですが。特に仏教系の思想書には多いですね。
というか、それがお釈迦様の教えの根本の一つなんだろうな、とも思います。
で、その意味と自分の状態とがリンクしてわかった、というような状態です。
ずっと、「もう、何もこだわりなんか無い。」と思ってました。
「もう、どうでもいいし」とも思ってました。
でも、「どうでもいいし」で、気分が楽になるのかといえば、全く逆。余計に滅入ってくる。
そんなことを繰り返しているときに出会ったのが「こだわりを捨てる~仏教が教えるウツ脱却の秘法~」という、非常に怪しげなタイトル(笑)の本です
著者は、小林信源さんという天台のお坊さん。
この本で著者が解説しているのは、摩訶止観の「十乗観法」をベースにした、回復といきいきと生きるための指針です。
実は「十乗観法」自体が、禅の哲学的修行中に陥りやすい「魔事境(うつ的状態)」からの脱出マニュアルなんだそうです。
で、そのポイントは「自分に対するこだわり」「自分が自分の心にこだわりすぎること」が問題の原因だと、、、、と、私は読み取ったのですが(苦笑)。
んで、そうなるとどうなるかといえば、「(そもそもの原因・きっかけは関係なく)不安であることが不安」「憂鬱であることが憂鬱」という悪循環に陥っていく(魔事境)、ということなのです。
うーん。かなり文章のロジックが飛躍してるけど…まあいいや(苦笑)。
で、それを自分にあてはめてみて、「まさにそのとおりやん。原因もなく”憂鬱であることが憂鬱”たしかにそう。」と思ったのです。もちろん、そういう場合ばかりではないけど。
それで、まず安心しました。
「何百年も前から、”そのスジ(?)”では”対策本”が作られるほどポピュラーな病気、というか状態なんだ。」って。
次に気づきました。
「どうでもええわ」というのは、こだわりを捨てているのではないこと。「あきらめ」ですらないこと
。
むしろ、「もっと上手く生きて行きたかった。」という強烈な、自分へのこだわりの裏返しに過ぎんやん。って。
そしてそれは済んだ事。もうどうしようもないこと(だから無意識にこだわってしまうんでしょうけど)。
それに気づいて、「今を生きなさい」という多くの賢者の教えが少しわかりました。
それをベースにすると、「憂鬱であることが憂鬱」というような、自分の心のループに堕ちることはなくなりました。。。。上手く書けない。
とにかく私としては、意味不明の憂鬱感に振り回される、ということはずいぶんとなくなってきました。
ということです。はい。
あ、今回書いた内容は、「こだわりを捨てる~仏教が教えるウツ脱却の秘法~」のほんの一部です。あしからず。
ついでに補足しますと、現在うつの極期にある方には不向きかと思います。厳しい、と感じてしまうかもしれません。
おすすめしたいのは、ある程度うつを克服してきたけど何かもう一歩すっきりしない、という方、「その手の本」をたくさん読んできたんだけど・・・という方です。
それと、今健康な方。いつまでも健康な心を維持するためにもおすすめです。
あ、著者はお坊さんで文章家ではありません。アマゾンで検索する限り出版されたのはこの一冊のみです。よって、文章が少々わかりにくいところもあります。
ついでに、もう絶版のようで、入手するには古本か電子書籍ということになります。
た~だ。本との相性は人それぞれ。「つまらん」と言われても責任はもてませーん(逃げ)。