井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

架空の映画のための音楽

2017-07-14 20:22:47 | 映画
映画音楽ではないが、NHK大河ドラマの音楽も昔から人気がある(と思う)。
多分、日本で一番お金をかけて作っているテレビ音楽?だ。
だから面白い、とも言えるだろう。

しかし、かつてそれを素直に面白いとは言わない集団があった。
私が学生時代の作曲科の学生達である。

「大河ドラマ風」という表現は、良くて自分の作品を卑下する言い回し、多くはコソコソと冷笑する時に使われた。
いわゆる「前衛的」あるいは「難解」でないものには価値がない、という見方が多数を占めた時代だった。

おそらく今はもっと自由にやっているだろうと想像するが、上述の妙な考えが消えないおかげで、いわゆる「大河ドラマ風」の管弦楽曲が作られることはあまりない。

そして、人々が聴きたいと思うような音楽を作ることが難しくなってしまった。変な時代である。

だが、映画音楽ならば前衛的にも大衆的にも作ろうと思えば作れる。

なので、いっそのこと「映画音楽です」と看板を掲げて新作を発表してみたらどうだろうか。
「夏目漱石の映画音楽特集」とか「松本清張サスペンスミュージック」とか、なかなかキャッチーにできそうな気がするが…。

映画音楽というジャンル

2017-07-12 20:14:00 | 映画
20世紀後半には確実に存在し、隆盛を極めていたと言えるだろう。
ジャンルと言ってしまうと誤解も生じやすい。クラシック、ジャズ、民族音楽、と中身は何でもありなので、カテゴリーとして緩やかにまとめられているに過ぎない。

先日、あるアマチュアオーケストラの演奏会で「1950~1960年代映画音楽メドレー」と「1970~1980年代映画音楽メドレー」というものが演奏された。

やはりそうか、と思わざるを得ない。少なくとも我々の年代が想起する映画音楽はこの時期の音楽で、アナ雪やハリポタではない。
そして「名曲」が集中して生まれた。

そして、なぜかこの後の時期の映画音楽はどんどんつまらなくなっていく。

いくつかの理由が考えられる。
・予算が小さくなっていった
・優れた作曲家がいなくなった

本当にそうなのか、なかなか確信が持てない。
というのも、20代以下が楽しんでいる音楽の良さが、こちらには全く伝わらないからだ。
あれが良いのなら、これ(20世紀後半映画音楽)は面白くないのかもしれない、と思ってしまう。

どうなんだろうか。

パガニーニとシューベルト

2017-07-09 20:33:00 | 映画
2013年のドイツ映画「パガニーニ」をやっと観る機会があった。ヴァイオリニストのギャレットが自ら演じるから、演奏上で吹き替えやら何やらの心配は一切ない。
当然ながら、演奏がギャレット以上でも以下でもない。その点、遡ること約20数年前の映画「パガニーニ」ではアッカルドが吹き替えしており、「ヴァイオリンが上手いなあ」と思ったものだ。
ギャレットも上手いけど、アッカルドの時にはため息が出たので…

それはともかく、この映画にシューベルトの音楽が数曲使われていたのが「耳」を引いた。

さらに、パガニーニの奇想曲が数曲、オーケストラに編曲されていたのだが、第14番がシューベルトの軍隊行進曲そっくりに聞こえてきたのは新発見。

シューベルトが大昔に映画化された「未完成交響楽」、第2回くらいのアカデミー賞を取っているから、いわゆる名画と言えるだろう。その映画でも奇想曲第13番がオーケストラ編曲されていた。
シューベルトが演奏会を開いてもお客が集まらない。みんなパガニーニの演奏会に行ってしまうから、というような内容だったと思う。(実際は、その内シューベルト自身もパガニーニに夢中になってしまったらしいが。)

パガニーニはロッシーニと友人で、旋律の動きがよく似ていることは昔から語られている。

当時のロッシーニ人気は相当なもので、ベートーヴェンも全くかなわない。それこそシューベルトも一生懸命ロッシーニの真似をしてロザムンデ等を作ったらしい。

そのように同時代人ではあるものの、パガニーニとシューベルトが似ているという話は寡聞にして聞いたことがない。
シューベルトにはやたら弾きにくいヴァイオリン曲があるが、それにパガニーニの影響はあまり感じないし、真似することも考えにくい。

しかし、かの有名なシューベルトの軍隊行進曲はパガニーニの奇想曲9番と14番を合成したような曲にも見えてきた。
ということは、パガニーニ奇想曲風軍隊行進曲が可能だということだ。今度作ってみよう。

(ヴァイオリン一本でさまになる曲、なかなかなくて困っているのです。)

映画「セッション」と齋藤秀雄

2015-06-07 19:53:00 | 映画

いやはや、凄まじい映画があったものだ。
セッションとは、いわゆるジャズのセッションのことで、物語はジャズドラムを勉強している学生が、先生と巡りあって、想像を絶する世界に巻き込まれる、というもの。

この先生がやたら厳しい。時間ぴったりに教室に入ると、学生は一斉に起立して迎える。その昔の齋藤秀雄にそっくりだ。

音楽に対する要求の高さまで瓜二つ。 主人公のいる部屋の壁に「才能のない奴はロックをやれ」と書いてあるのが笑える。

その昔、ある職業ギタリストが新聞に書いていた「今日はロックで」その意味は「デタラメにやって良い」、を思い出した。

とにかく、フィクションとは言え、このような発想そのものが30前の若いアメリカ人にあるということ自体、驚きだ。

ストーリーも大どんでん返し、それにドラムの爆音の相乗効果で、こんなにどきどきした映画は初めてかもしれない、というほど。

オリジナルの楽曲も非常にハイソで、絶対映画館で観たい映画だった。


ミュージカル映画「レ・ミゼラブル」を観て

2012-12-29 22:32:57 | 映画

ミュージカルとして作られたのは1980年、映画化されるのがこれほど後になった例は寡聞にして知らない。

日本のミュージカルとして「レ・ミゼラブル」が上演され始めたのは1980年代の後半だったと思うけれど、1年半のロングランという例も聞いたことがなかった。断続的に何年も続く例はあったけれど、これは連日、一週間8回の公演が続いていたと記憶している。

ちょうどバブル期、日本のミュージカルが本格的に普及をし始めた感があった頃の話だ。今まで録音を流して伴奏させていたミュージカルが、生のオーケストラを使うようになりだした。そのオーケストラには、多くの知り合いが参加していた。なので私のように直接携わっていない者の耳にも、ミュージカルの世界の話が入ってくるのであった。

中でも「レ・ミゼ~」は文字通り悲惨な話が多かった。

一年半オーケストラでフルに演奏すると、一千万円くらいもらえるのだそうだ。これで、みんな一旦はとびつくのだが、毎日3時間「レ・ミゼ」を演奏、昼夜公演の時は6時間になる、他のことはまるでできなくなると言う。何か他のことをやる体力、気力がなくなるらしい。

その期間にできなくなるだけならまだ良い。一年半経つと、技術がまるで落ちてしまってリハビリが必要になるのだそうだ。社会復帰するのが、また大変。

これではたまらないから、と自衛策の一環で、自分の代わりに演奏してもらうエキストラ奏者を時々頼む人もいる。こうすることで、何とか社会との接点を保てる、ということだ。

これにも問題がある。ミュージカルのオーケストラは演奏料がとても安い。連続して同じことをやる訳だから、まとめてもらえば何とか、という金額で、一回当たりに割ると、とても引き受けられるような金額ではないのだ。しかし、それではエキストラは頼めない。比較的オーケストラ相場に近い金額でお願いして、頼む側が差額を負担するはめになる。

ああ無情、ミゼラブル・・・。

しかもお話がお話なので、なおのこと観に行く気にもならず、今日にいたった次第。

その数十年の間に、数曲はオーケストラで伴奏することもあった。テレビで聴くこともあった。いずれにしても、曲だけ聴いて「すばらしい」とはあまり思わなかったのが、正直なところである。

それがいよいよ映画になった訳だ。それでも、そう気が進まないところも無きにしも非ずなのだが、知らないのも気がひけるということもあり、思い切って観にいった訳だ。

観てびっくり!

まず、知っていたと思っていたのはあくまで最初のエピソード「銀の燭台」の部分のみで、その後にこらように壮大な物語が待っていることを知らなかった。

次に、その壮大な物語を大胆にカットすることもなくミュージカル化されていたことに驚いた。しかもミュージカルと銘打ってあるが、セリフはあまりなくてほぼ歌でつながれているから、これは実質「オペラ」だった。音楽もポピュラー系の要素は少なく、クラシック音楽を継承していた。

そして、全員歌がうまい!

聞くところによると、特にミュージカルを多くやっていた人だけではないらしい。私などはこれだけ歌がうまいと悪役でも善人に見えてしまう。

正直言って、やはり音楽が「ミュージカル」として群を抜いているとは思わない。音楽そのものは「ウェスト・サイド物語」「マイ・フェア・レディ」の方が上をいっているとは思う。

が、ずっと音楽が鳴り続けているミュージカル映画は久しぶりに聞くが、つまらない箇所が無かったのは立派。とにかく細部もしっかり書けているのはすばらしい。

「シェルブールの雨傘」が、ずっとジャズが鳴っているのだが、やはり時々無理を感じた。他のミュージカルはセリフの部分で音楽が休みになる。ずっと音楽をつけなければならないのは「オペラ」なのだ。

作曲者のクロード・ミシェル・シェーンベールはアーノルド・シェーンベルクの弟の孫だという。本当はシェーンベルクもこういう音楽を作りたかったのではないか、とどうしても思ってしまう。果たせぬ夢を末裔が実現した・・・と勝手に想像する楽しみも同時に味わえて、大いに満足して映画館を後にしたのであった。