安倍総理は、命をかけて日本を守ろうとした愛国政治家の爪の垢を飲め・・・沢村直樹氏
田中角栄(自民党)、中川昭一(自民党)、石井紘基(民主党)、三宅博(次世代の党)、命をかけて日本を守り抜こうとした4人の愛国政治家の死を無駄にしてはいけない。
著述家、沢村直樹氏は時々的を得たことを言う。この中で田中角栄氏については、両論有る事だろう。私が思うにマイナス面では「中華人民共和国」と国交を開いたことだ。その時は「日中友好」ムードだったが。
★中川氏は謎の死、夫人はやがて国会議員になるが、しょうもない男と不倫して評判を落としてまった。(中川氏という素晴らしい夫だったのに、比較などできないつまらぬ同僚議員にひっかかってしまった)
★石井紘基氏についてはあまりにも惨い殺され方だったという。あの小泉純一郎氏が総理をしていた時だった。どうも国民の税金がおかしなつかわれ方をしているようだと気づき、証拠をつかんで翌日の国会に質疑をする予定だった。そして前日に残忍なメッタ突きで殺され、書類も奪われた。
★三宅博先生については、まだ亡くなられて桜の季節で2年目になる。4月生まれで「桜」の季節に生まれ、桜と共に散った・・・。ここでは「朝鮮総連」など、また北朝鮮問題が語られているが、三宅先生のことは、もっとある。たった一人で「解放同盟」の暴力や無法な税金の無駄遣い、教育への介入などを指摘し闘った。
当時これを言える人など誰もいなかった。すぐに集団で酷い罵倒や暴力の「糾弾」をされ、暴力をふるわれたり、あまりに責められて自殺をした方々もいたような状況で(八鹿事件など、何十人も暴力を受けたことで入院沙汰という事件になりながらも一切報道されなかった)私はそれを聴いて三宅博先生の事をネットで知り、老親介護中だったが電話をしたりした。
父が亡くなってから、三宅先生からお電話があり「明日は台湾に行くので今日しかない、今からお父さんの焼香に行きます」と言って住所を訊かれた。そして初めてゆっくりお話した。私の父は「レイテ激戦の勇士」であること、などなど。
次から三宅先生の講演会に参加、三宅夫人から「ちょっとカワイイ人だ、って言っていましたよ」なんて言われ、単純な私は嬉しくて舞い上がってしまった。それから頑張ってボランティアに励んだのである。三宅夫人も面白いお方だ。
「尖閣」問題を欧米など世界の学会で「悠久の尖閣の歴史」を証明され、「100対ゼロ」にて日本の勝利としてチャイナの有名な学者らを論破、国連でもチャイナの通訳が意図的にデタラメを訳しているのを見破り、そして危険を覚悟の上で香港大学でも堂々と尖閣の悠久の歴史を語られた石井望長崎純心大学准教授がいらっしゃるが、三宅先生に投票したことをお知らせ頂いたり、その前に東京で三宅・石井先生というジャンルの違う「学者・政治家」が尖閣問題を街頭演説でご一緒だったことをyoutubeで知っていた。三宅先生は石井先生の著作を読まれていたことも・・・石井望先生が世界の学会で「尖閣の歴史」を発表されていることは、チャイナは軍事力を使いたくても、今すぐにでも尖閣に手出しができない面子があるだろう。
私は三宅先生の意を受けて九州に行き、石井先生の講演に初めて参加し、大阪の三宅先生に電話をつないだ。おふたりは楽しく語られ、三宅先生は「一緒に講演会をしましょう」と石井先生に呼びかけられた。(この時の会話はまだ私のガラケーに自動録音が残っている)
それから半年後、三宅先生が亡くなられた時、九州から石井先生が来られ、三宅夫人に優しくお悔やみの言葉を掛けられた。
クリス三宅氏が、ご自身のフェイスブックの表紙に笑顔の三宅先生とクリス三宅氏のツーショットの写真を載せてくださった。私は普段は泣かないが、この時はありがたくて涙がこぼれた。同じ「三宅」という名なので「義兄弟」と言い合っていたそうだ。クリス三宅氏のフェイスブックを見たら、グアムにお住いの芳賀建介氏(公益財団法人「太平洋戦争戦没者慰霊協会」顧問、非営利協会「グアム戦を風化させない会」代表世話役)がコメントをされており、三宅先生のところで講演された芳賀建介氏や杉田水脈氏とのことをお話できた。私のことを覚えていてくださってありがたいと思った。
下記の写真はその時に撮影し、机上の花は神戸から私が用意したものです。三宅先生の講演会は毎回、お花の用意をすすんでしていました。
古代ローマの英雄、スキピオを描いたヘンデル作曲「スキピオ・マーチ」
March from Scipione - George Friederich Häendel
カルタゴの無双の英雄ハンニバルによってローマは滅びようとしていた。そこに無名のスキピオがあらわれ、ハンニバルを打ち負かしてローマを護るが、敵将ハンニバルには敬意を持って接した。しかしローマの元老院や政治家カトーはスキピオに嫉妬から無実の罪を着せる。スキピオが潔癖なことは後に照明されるが、二度とローマには戻らなかった。この曲は三宅博先生のイメージをこの曲に託して先生にお知らせした。
抹殺された、という気がしますね。
あと、小渕さんも。
色々批判もありましたが、景気回復に努めていたように思います。
中川さん、本当に残念です。
あの「朦朧会見」あれ一つだけで
抹殺されました。
朝から晩までTVで流して・・・。
あれくらいの報道を、今の政権だってされてもおかしくない異常事態が起きていても、TVはサラッとアリバイ的に流すだけ。
本当に印象操作って怖いです。
そして三宅さん、まだまだ
これから、という時だったのに・・・。
安倍政権が触れてほしくない部分に
鋭く切り込んでおられました。
本当に残念で残念でなりません。
生きてさえいてくだされば、と
いつも思ってしまいます。とても
心の温かな方でしたね。
自民党は誰一人「移民法」には国会で反対できない。
「言い訳」は聴きたくない、だって国の存亡にかかわる重大なことなのですから。「食・水・土地」もだめ、
ほとんどの国民は真実を知らされていません。
これで日本は景気回復どころか、テロが起きる可能性もあり、しかも朝鮮半島動乱を見越して「移民法」を急いだ、確信犯としか言えません。
石井先生は頑張っても、政府には尖閣近くを回る船について、日本は中国に報告義務、これがトラブルを避ける方法などと言っていますが、逆に中国から日本には一切報告義務なし、我慢にも程があります。トラブルを避けるのではなくこれでは「トラブル誘致」でしかありません。こんな分かりやすい話も、安倍信者は「左翼左翼」と言って、もっとひどい実態には甘いのです。
三宅博先生には「いらっしゃるだけでも日本は安泰」とお話すると、後々まで覚えてくださっていて、ああ、こんなことまで…と苦しい思いでした。
三宅先生を貶めたバカも居ました。私は一生許しません。保守の顔をして、とんでもないアホです。
このことはブログにも書けません。そのうちわかるでしょう。悔しい思いです。