ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

【西田昌司】憲法の原点とは?明記すべきは権利ではなく国体と危機管理である[桜H27/2/27]

2015年02月27日 | 政治

【西田昌司】憲法の原点とは?明記すべきは権利ではなく国体と危機管理である[桜H27/2/27]


★ 西田先生、先日の会のように「憲法」の話をされている。
  テロなどもしものことがあったらどうするのか、法律の枠組みを超えること、緊急事態にどうするか、また特命委員会に対する苦言、国家非常事態の時はどうするのか、など貴重な話。

ご参考に西田先生の会にてhttp://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/1d59ddb63919ab1ff769596d00ef9ed0・・・西田先生、盟友三宅先生と。

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マリオ・デル・モナコ東京でのリサイタルで~レオンカヴァッロ作曲『道化師』より

2015年02月27日 | オペラ
 
★ かなり古い録音録画で最初のほうは雑音があるが、圧倒的な歌に引き込まれてただ息をのむだけ・・・
  マリオ・デル・モナコの喉はどうなっているんだ、ってコメントが流れているけれど、ステージのために一日中無声音で話し、喉をかばってきたし、歌うだけのために全存在をかけてきた凄い生活だった。「修道僧のようだ」ともいわれた。
出番が近づくと極度に怖れ、「帰る!もう歌えない」といい、夫人に蹴飛ばされて舞台に出たのは有名。しかし一声で聴衆を魅了。


マリオ・デル・モナコ:レオンカヴァルッロ作曲『道化師』~ごめんください、皆様方。



★ もう一曲、ヴェルディ『マクベス』よりマクダッフのアリア「ああ、父の手は」 

シェイクスピアの「マクベス」をヴェルディが作曲、マクベスに妻子を殺された武人マクダッフが「ああ、父の手はお前たちの盾となれなかった、神よ、ご照覧を、必ずこの仇はとります」と誓う。マリオ・デル・モナコがいつも好んで歌うアリアだった。
第二次世界大戦に敗戦国となったイタリアは、兵役を終えてオペラ界に再び現れたマリオ・デル・モナコの悲壮で誇り高い英雄的な声に歓喜した。


 La paterna mano - Mario Del Monaco




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上島篤郎氏のメルマガ~【安倍談話に望むこと】(番外)「有識者懇メンバー、ホントに危険すぎる?」

2015年02月27日 | 政治

From 上島嘉郎@ジャーナリスト


【安倍談話に望むこと】(番外)「有識者懇メンバー、ホントに危険すぎる?」 

 安倍総理が今夏に発表する「戦後70年談話」に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」の初会合が25日に開かれました。
「安倍談話に望むこと」は、本質的な歴史の話を中心に書くつもりだったのですが、今回は番外として有識者会議のメンバーについて少し触れておきます。

 メンバー発表にともなう報道を拾うと、産経新聞は、《70年談話 座長に西室氏、有識者会議16人決定 未来志向、安倍カラー前面》との見出しで、

「日本郵政社長の西室泰三氏(79)を座長、国際大学長の北岡伸一氏(66)を座長代理に据え」、
「メンバーには3人の女性のほか、幅広い年齢層の有識者を集め、歴史認識をめぐる表現に神経をとがらせる自民党ベテランや公明党に配慮した。一方で、“安倍シンパ”を多く起用、首相が目指す新たな未来志向の談話発表へ軟着陸を狙っている」(平成27年2月20日付)と伝え、

日本経済新聞は、《戦後70年談話、有識者会議の16人発表 バランス重視 》との見出しで、
「中国や韓国には保守色の濃い談話になるのではないかとの警戒感が強い。政府はメンバーを各界から幅広く起用し、バランスに腐心した」
とする一方、
「安倍色もにじむ。北岡氏は安全保障に関する懇談会でも座長代理を務め、昨年5月、安倍氏の持論に沿った形で集団的自衛権行使を可能にする憲法解釈変更の提言をとりまとめた。今回も懇談会の議論を主導する見通しで、首相の主張を反映した報告書になるとの見方がある。
 中西輝政京大名誉教授は中国や韓国に厳しい態度で臨む保守派の論客として知られ、第1次安倍内閣以来の首相のブレーンとみられてきた」
と報じました( Web版2月19日)。

 いつもながら、はあっ!?と感じたのは、日刊ゲンダイ(Web版2月21日)で、《「戦後70年談話」有識者懇談会メンバーの危なすぎる発言録》との見出しで、
「やはり、結論ありきのアリバイづくりは明らかだ」、座長に就く西室泰三氏はともかく、「他の懇談会メンバーは過去の発言を読む限り、安倍首相と考えが近い“右寄り”のお友達ばかり」
だと決めつけました。

 北岡伸一氏は、「テレビに出演した際には『歴代内閣の集団的自衛権に関する憲法解釈は間違っている』と主張。
自衛隊の活動範囲についても『地球の裏側で行動することは論理的にあり得る。もっと乱暴に言えば、地球の外だってあり得る』と仰天発言し、

安倍首相と同様、早期の憲法改正を訴えている」人物で、中西輝政氏も「『SAPIO』(2月号)では、
<戦後70年の今年こそ、日本人は憲法改正に向け長い眠りから目覚めるべき>
<戦勝国により押しつけられ、主権や軍事力といった国家の基本的バックボーンを放棄した9条と前文がある限り、日本の平和と繁栄を安心して次の世代に受け渡せない>
と「歴史修正主義」を訴えるような“タカ派”で知られた論客だ」という。

 さらに西原正・平和安全保障研究所理事長に対しても、同氏が産経新聞に書いた「『河野談話』をより正確なものに」と題するコラムに触れ、
「<河野談話には、不適切で信憑性が疑われる表現がある>と怒りをあらわにしていた。河野談話をハナから疑っているような人物をメンバーに入れるなんて正気じゃない」と怒りを露わにする。

日刊ゲンダイの“芸風”といえばそれまでですが、私は、よくもまあここまでの決めつけ、放言ができるなと、我が国の言論の自由の有り難さを噛み締めるものです。


 さて、ここで主要メンバーの過去の発言について補足しておきます。日刊ゲンダイは、
「ただでさえ近隣諸国がナーバスになっている『戦後談話』だ。重要な中身を論じる主要メンバーの主義・主張が、安倍首相と同じ“右寄り”では、それだけで中国や韓国を刺激するのは明らかだ」
と大層心配するのですが、たとえば北岡氏はこれまで歴史問題に関して何と語ってきたか。

北岡氏は小泉政権時代、今般の懇談会のメンバーにも選ばれた岡本行夫氏(当時内閣官房参与)が座長の「対外関係タスクフォース」のメンバーをつとめました。
首相に提出された外交基本戦略に関する報告書「21世紀日本外交の基本戦略」のなかで、対中関係について北岡氏は、「(日本側は)歴史の歪曲や、これに対する開き直りはとるべきではない」と記したことに触れ、それがメンバーの総意であるとし、
「開き直り的な歴史観が日本にないとはいえない。中国に侵略していないとか植民地支配していないとかという意見は明らかに開き直りだ」(平成14年12月21日付産経新聞)
と答えているのですね。

 また、平成20年の「田母神空幕長“更迭”事件」の折は、朝日新聞の「私の視点」という欄に《トップの条件欠如を露呈》と題し、田母神氏の《日本は本当に侵略国家だったのか》という論考とその歴史観、自衛官としての氏をこう批判しました。

「田母神氏の論文には、事実の把握において、著しい偏りがある。(中略)歴史で重要なのはバランス感覚と総合的な判断である。
いろいろな説や情報の中から、最も信頼できる事実を選び取る作業が重要なのだ。都合のよい説をつまみ食いしたのでは、歴史を理解したことにはならない。
 論理においては、さらに矛盾や飛躍が多い。
 田母神氏は、もし日本が侵略国家であったというなら、当時の列強はみな侵略国家であったと述べている。したがって、列強も日本も侵略したと言っているのかと思うと、別のところでは、日本は侵略していないという。矛盾していないだろうか。 (中略)
 田母神氏の国際政治に対する見方は妙に自虐的、感情的である。氏は、ルーズベルトが日本に最初の一発を撃たせようとしていたとし、日本は彼と蒋介石によって戦争に引きずり込まれたという。そういう面もなかったわけではない。しかし、国際政治とは、しばしばだましあいである。自衛隊のリーダーたるものが、我々はだまされたというのは、まことに恥ずかしい。(後略) 」(平成20年11月13日付)


 田母神氏の政治資金の一部が使途不明になっている現在の問題は措きます。
紙幅に限りがあるので、北岡氏のみならず当時の田母神氏への批判の多くが次の一点を無視したことを指摘しておきます。

 正確にいえば、田母神氏はこう書いたのです。

「もし日本が侵略国家であったというならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」

 田母神氏は日本も侵略をやって構わなかったとは述べていない。「日本だけが」そう決めつけられるのは公平ではない、と主張しているのです。
そして東京裁判が、「あの戦争の責任を全て日本に押し付けようとした」結果、「そのマインドコントロールは戦後六十三年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうと」していると。


 北岡氏の発言をもう一つだけ。座長をつとめた日中歴史共同研究の報告書発表の際にもこう語ってもいます。
「中国側は今回の研究で、日本が中国を侵略したことや南京虐殺を認めたことが成果だと言っているが、議論した結果そうなったのではなく、そもそも日本では多くの歴史家や政府も侵略と南京虐殺を認めている」(平成22年2月1日付読売新聞)


 田母神論文を「検証に耐えない論拠でつづられている」と批判したもう一人が岡本行夫氏です。岡本氏は、北岡氏とジョン・ダワー米MIT教授の《『国を常に支持』が愛国か》との批判(これも)朝日新聞掲載)を田母神氏への「優れた論駁」と産経紙上で紹介しました((平成20年12月30日付)。

 岡本氏は《なんのための教科書修正か》(平成19年7月13日付産経新聞)との論考で、いわゆる従軍慰安婦問題についてこう述べました。
「歴史というものは主観の産物になる宿命にある。(中略)それを一般化して語る時には、解釈者の主観が問われてしまう。慰安婦の境遇に同情しているのか、それとも何万人かの慰安婦は全員が自由意思、つまり金銭目当てだったと言っているのかと。

慰安婦問題について米下院で審議されている対日謝罪要求決議案。4月末に安倍首相が訪米した際の謝罪姿勢によって事態は沈静化し、決議案成立はおぼつかない状況になっていた。
しかし日本人有志が事実関係について反論する全面広告をワシントン・ポスト紙に出した途端、決議案採択の機運が燃えあがり、39対2という大差で外交委員会で可決され、下院本会議での成立も確実な状況になった。正しい意見の広告だったはずなのに何故なのか。
それは、この決議案に関しては、すでに事実関係が争点ではなくなっているからである。過去の事象をどのような主観をもって日本人が提示しようとしているかに焦点があたっているからである」。

 また、沖縄戦における住民の集団自決問題についても、
「私にも『軍命令による集団自決』は、教科書にわざわざ書くほどの事象だったのかという疑念はある。しかし、既に書かれていた教科書の記述を、論争のある時に修正することは、『軍の関与はなかった』とする史観を新たに採択した意味を持つ。否定できない犠牲の歴史が沖縄にある時に、修正しなければならないほど重大な過誤が従来の記述にあったのか。歴史とは事実の羅列ではない。それを通じて生まれてくる主観である」と。

 さらに南京事件についても、「もはや数字の問題ではなくなってきている。日本人からの反論は当然あるが、歴史をどのような主観をもって語っていると他人にとられるか、これが問題の核心であることに留意しなければならない」と。


 岡本氏が述べるように、慰安婦問題も、南京事件も、沖縄戦における住民の集団自決に軍命令があったか否かの問題も、歴史の事実よりも今日的な意味での主観が大事だということになれば、「客観」的な事実を提示して誤解を解こうという努力にはまったく意味がないということになります。

 北岡、岡本両氏への批判が目的ではないので、両氏の発言の摘記はこれにとどめますが、歴史を「どのような主観をもって語っていると他人にとられるか」が「問題の核心」であったとしても、事実関係は重要で、棚上げしてよいことではない。これが私の立場です。
相手に受け入れられることを前提にする限り、主観どころか事実を曲げることを是としなければならなくなるでしょう。

「村山談話」にしろ、民主党政権時代の「菅談話」にしろ、その正体は「相手に受け入れられることを前提」にした産物で、そこには我が父祖の名誉と未来の国人の可能性を守る意識はなかったと言わざるを得ません。一体誰のための何のための談話なのか。

日刊ゲンダイの「危なすぎる発言録」という煽りに対し、北岡、岡本両氏の発言を取り上げましたが、「植民地支配と侵略」を認めた村山談話について「非常に重要で、その立場は変えてはいけないと思っています」という古城佳子・東大大学院教授のようなメンバーもいます。

 菅義偉官房長官は2月19日の記者会見で「今度の懇談会は70年の首相談話を書くことを目的としたものではない」と述べ、懇談会の提言は談話作成の参考にすぎないとの見方を強調しました。「談話を作成するのはあくまでも官邸(安倍総理)」ということですね。

安倍談話が村山談話の踏襲になるのなら、出す必要はありません。「日本を、取り戻す」ための匍匐前進となること。少なくとも日本国民の内なる歴史解釈権の回復に資するものにならねばかえって禍根を深くします。


★ 上島氏のご意見に賛成です。「次世代の党」は是是非非で与党に意見をしてきました。
  
  ところでチャンネル桜に出演される先生方には上島氏・小山教授・西村幸佑氏をはじめ真摯に語られる方が多いので、うれしい限りです。
  田母神さんのことは「週刊文春」に書かれた「買収」が事実であったなら、もはや弁明はできません。
  「公式見解」を待ちたいと思います。

  上島さん、このように田母神さんが渦中のなかで、論の正当性をあげ、今の「有識者懇メンバー」について厳しく指摘されたこと、うれしく思います。

  田母神さんのこととは別に、最近、保守は狙い撃ちされている感もあります。
このバックは与党内のある勢力や「反日外国勢力」が入ってきているように思えてなりません。
「次世代の党」壊滅状態に仕向けたのも、そのような気がします。


★ 西村眞悟前衆議院議員も一週間前に同様の意見を『時事通信』に書いておられました。


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西村眞悟の時事通信
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歴史に「解決」はない平成27年2月20日(金)

 政府(官房長官)は、安倍総理がこの夏に発表する「戦後70年談話」に関する「有識者懇談会」の設置を発表した。
 東芝の社長を経験した西室さんが座長で、「中国と太いパイプをもっている」という。
 そりゃそうだろう。天下の東芝の社長だったのだ。取引先と太いパイプを持たねばならない。
 しかしその太いパイプは、「国策」の世界ではなく「商行為」の世界ではないか。
 委員には経済界や「中国外交史」が専門の若手研究者や「学識経験者」や財界人やメディア関係者や首相と親交のある人や保守派の中西輝政京大名誉教授が選ばれている。

 あまり、ええ予感がしない。

 消費税増税か否かに関する「有識者懇談会」を思い出す。
この懇談会も結局、「政府」の方針通りの増税となって、経済は「今の状態」だ。
この懇談会の「増税は否」の意見は極めて説得力があったのに採用されなかった。
 というより、採用されないように人選が仕組まれていた(政府の「懇談会」とはこういうものだ)。
 
 仮に、この「増税は否」の論が採用されてたならば、
 今日本は「明るかった」だろう。
 しかし、現状に誰も責任を感じない。
 (当たり前だ、政府の「懇談会」とは「誰も責任をとらない為」にある)
 
 では、これから、安倍談話に関して、この「誰も責任をとらない体制」を作った政府は、何をするのか。
 
 消費増税で財務省がやったことをやる。
 外務省主導か官邸主導かは知らないが、アメリカや中共や韓国のご機嫌を伺い、
 「安倍談話」の内容の擦り合わせをして、そのうえで、
 懇談会委員に「お集まりいただいて」、または、「個別に」、
 資料を配りまくりレクチャーを繰り返すだろう。
 目に見えるようだ。
 「先生、之を言えば、日中関係は修復不能になります」
 「先生、こうしていただければ、韓国の大統領は文句を言わないと韓国外務省は言っています」等々々々。

 そして、この政府の役人が委員に伝える内容は、我が国の際限なき譲歩を引き出すものである。
 (これ、河野洋平官房長官談話作成時の状況と同じ)
 
 あたり前だ。
 歴史は、
 支那にとってはプロパガンダであり、
 朝鮮にとってはファンタジーだ。
 商行為で中共と太いパイプがあっても、
 歴史に関して、パイプもへっちゃくれもあるか。

 よって、安倍総理に申す。
 安倍晋三談話は、
 日本国の内閣総理大臣である。
 よって、他国の介入を排し、
 
 貴兄の責任で、貴兄の決断において、貴兄の思うとおりの談話を発出されたい!
 
 私は、貴兄の憂国の思ひを信じている。


 次ぎに、本通信の表題に「歴史に解決はない」と掲げた趣旨を述べておこう。

 その「歴史」とは、中韓、即ち、支那と朝鮮との「歴史」である。
 彼らにとって、歴史は、プロパガンダでありファンタジーである。
 だから「解決」はない。

 中共(中国共産党)にとって、
「歴史」こそは、中国共産党が中国人民を救うために如何に戦って邪悪な日本軍国主義を打倒したのかを示す壮大な物語(プロパガンダ)である。
 反対から言えば、朝から晩までその物語を繰り返さなければ、
 中国共産党こそは、
 中国人民を八千万人以上殺戮した人類史上最悪の疫病神であるという「事実」が暴露される。
 従って、このプロパガンダは、「事実」などどうでもよい中共の生き残りをかけた「ウソの演技」なのだ。

 本年九月三日、中共の習近平主席は、
 「対日戦争勝利記念軍事パレード」を各国首脳を招いて大々的に挙行する。
 何故、「九月三日」にするのか。
 習近平しか答えられない。
 何故なら、あの男の頭の中にしか根拠がないからだ。
 
 我が国が、
 戦艦ミズーリ号上で降伏文書に署名し、連合国に対して正式に降伏したのは昭和二十年「九月二日」だ。

 では、何故、習近平は、
 我が国が正式に降伏した「九月二日」に、
 対日戦争勝利の軍事パレードができないのか。
 その訳は、我が国が降伏したのは中華民国であり習近平の中共ではないからだ。
 
 そもそも中共という国家は、
 その時、この世界に存在しなかった。
 中共が誕生したのは、昭和二十四年(一九四九年)十月一日の毛沢東による建国宣言からである。
 しかも、中国共産党が蒋介石の国民党を打倒することができたのは、
 我が帝国陸軍のお陰である。

 昭和十九年、陸軍省作戦課長服部卓四郎大佐は、
 支那大陸を北京から南寧に南北二千五百キロ打通する第一号作戦を立案する。
 そして、帝国陸軍は、五十一万の兵員を動員してその打通作戦を完遂する。
 その間、帝国陸軍は抗戦する蒋介石の国民党軍を悉く撃破して逃亡兵の集団にまで弱体化させた。
 この帝国陸軍の大陸打通大進撃のお陰で、
 延安に逃げて隠れていた貧弱な装備の共産党軍でも、
 既に組織的戦闘ができないレベルにまで弱体化した国民党軍に打ち勝つことができたのである。

 恐れ入ったか、中国共産党の習近平主席よ、
 本年九月三日には、
 まず第一に、
 「対中国国民党軍勝利六十六年記念軍事パレード」を挙行し、
 同時に、
 「大日本帝国陸軍感謝祭」を挙行し、
 日本国の安倍晋三総理大臣に、お礼のメッセージを送ってこい。

 安倍晋三総理よ、
 事実に基づいて、これくらいの気概を以て、談話の内容を練りに練られたい。

 次ぎに、ついでだから韓国のことも書いておこう。
 二月十九日、産経新聞政治部編集委員の阿比留瑠比さんが、
 産経新聞に
 「慰安婦は韓国が解決する問題」
 と題して評論を書いていた。
 
 私の意見は既にお分かりと思う。「解決できないだろう」ということだ。
 何故なら、朴槿恵大統領、あれはもう触れば触るほど悪化する「患者」だ。
 
 私が馬鹿馬鹿しいからすぐチャンネルを替える番組に、
 こともあろうに、NHKなどの放送局の流す「韓国ドラマ」がある。
 あの豪華絢爛たる衣裳を着たわざとらしい俳優の演技、大げさでウソウソ、大げさだよと思う。
 朴槿恵という人は、
 十九世紀の朝鮮もあの番組のように豪華絢爛だったと思っているのだ。それを滅茶苦茶にしたのは日本だと。

 阿比留さんは、この論考の中で、
 昨年六月に訪韓して慰安婦問題を担当した韓国の元外交官に「日本はどうしたらいいのか分からない」と言うと、先方も「韓国も実は分からない」と答えたことを紹介し、
 さらに、韓国側の「物質的な補償を日本に要求しない」という金泳三大統領の言葉を始め、
 日本人が納得できる意見を言う韓国外務省幹部の言葉を紹介する。
 
 しかし、言っておく。
 韓国も、「実は我々と同じ思いでいる」と安心するな、この時こそ注意しろと。
 安心し、お互いに意気投合しているように思い込んで相手のことが分かっているようなことをちょっと言えば、直ちに豹変してつけ込まれるぞ、と。

 私は、弁護士時代に依頼者からよく聞いた、
 たかりが堅気を追いつめて法外な金をせしめる論理を思い出す。
 
 堅気が相手の気持ちを察して、「百万円お支払いします。これで納得してください」
 と言う。すると、たかり、
 「なめとんのか、われー、金の問題やないんや。誠意を示せや、誠意を示さんかえ」
という訳で、堅気を阿比留さんが言ったように「どうすればいいのか分からない」状態にしておいてから
話をはじめるのがたかりである。
つまり、対処法は一つ。相手にしない。
警察に任す。これが依頼者への指示であった。(以上)
 



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