私も参加しているUnder the Sunで、「日本の国防に関するアンケート」(TBで回答する形式)を実施中。皆さん、ご参加下さい。
質問は「あなたが考える、この先、日本がとるべき国防の方向は?」で、回答の選択肢は次の8つ。
1.非武装をすすめ、他国から侵略されても抵抗をすべきではない
2.他国から侵攻は防衛しても、攻撃はおこなうべきではない
3.専守防衛は現在でも可能なので、現状を変更する必要はない
4.武装を強化し、専守防衛に徹すべし
5.武装強化・憲法改正をおこない、専守防衛に徹すべし
6.日本にとって危険な国に対しては、先制攻撃を加えるべき
7.核兵器の開発までふくめ、軍事力を増大していく必要がある
8.その他
◇◇◇◇◇◇◇
非常にデリケートで、難しい問題である……。
このアンケートについてTBをもらった瞬間、「2」を選ぶ人が最も多いのではないだろうかと思った(今、途中結果を見たら、実際にそうなっていた)。「他国に武力攻撃を加えない」「紛争の解決手段として武力は用いない」。ただし日本が攻撃された場合、何らかの形で防衛はする。憲法9条の精神は、まさしくこれであろう。
だが、私は「1」を選びたいと思う。実は「1」もやや違和感があって「8」を選びたいところなのだけれども、「その他」はありとあらゆる考え方が含まれる。一応、設定された中で一番近いものを……と考えた末の選択である。
「1」はあまりに非現実的であるとは言える。全世界が武装と無縁になるのが理想ではあるけれども現実にはまだまだ遙かに遠いユートピアだし、「万一侵略されても抵抗」しないなどというのは、多くの人にとって「馬鹿げている」としか思えないに違いない。「腰抜け」「おまえにはプライドがないのか」と眉をひそめられるかも知れない。人によっては「そんなことを言うのは、侵略してくださいと言っているのと同じだ」といきり立つかも知れない(※1)。
しかしそれらの嘲笑を承知の上で、私は「抵抗しない」という道を選ぶ。いや、むろんある程度の抵抗はするだろう。侵略されないように手を尽くし、侵略を企んでいる国があればそれを阻止するために手を尽くすだろう。だが、それでも侵略されたとしたら――まあ落とし穴を掘る程度のことはするかも知れないが、武装した軍隊に包囲されたら、私はあっさりと白旗を掲げる。人間の命と引き替えになるものなど――個々の人間にとってはそれぞれに存在する(自分の命と引き替えてもいいと思えるものが、常にではないが存在することがある)のだけれども――社会や集団には何ひとつ無いのである。国体はその最たるものだと言ってもよい。
もっとも、白旗を掲げるというのは「尻尾を振る」ということと同義ではない。侵略し新しい支配者となった者達に対しては徹底して不服従の姿勢を通したい。
「非暴力・不服従」などと言ってしまえば、まるでマハトマ・ガンジー(※2)の真似をしているようだが……。むろん彼ほど深い思想も信念もありはしないけれども、ああいった徹底した暴力否定以外に、世界の明日を拓く道はないのではないかと思ったりする(ちなみにカースト制度を否定しなかったなど幾つかの点が引っかかって、私はガンジーを充分には評価できないでいるのだが)。
不服従といっても、「服従しなければ殺すぞ」と言われれば表面だけ「服従したふり」をするかも知れない。
あるいは「逃げ出す」かも知れない。ボートに乗って海へ(何処かに行き着くまでに海の藻屑とやらになりそうだが……ほとんど普陀落渡海。笑)。あるいは山に籠もって隠者になるか。
「国防」という言葉は、「守るべき自分達の国」というものの存在が前提にある。では、国とは何か。いわゆる国体か。時の政府か。元首か。国土か。住む人々か。守り育てられてきた文化か。あるとすれば、私は最後の2つであろうと思う。国体などというものは、そしてやや極論過ぎるかも知れないが国土(※3)でさえも、「器」にすぎない。そこに住む人々が生きることができれば、そして彼らにその信念があれば、文化は守り続けることができる。また、何処かの国が侵略してきて、今の日本の国土にその侵略国の住人が大勢移住してきた時、彼らがいつの間にか日本の文化に巻き込まれ、文化的にも生物学的にも混血が進み、今までなかった新しい国?が生まれる可能性もないではない。
侵略には、武力的侵略以外のものもある。第二次大戦後、日本は連合国の(実質的にはアメリカの)占領下におかれ、アメリカの価値観を受け入れた。連合軍による占領はむろん言葉の普通の意味では侵略ではなかったわけだが、結果として文化的な侵略につながったことも事実であろう。当時、欧米型の食事を奨励されて「米を食べると頭が悪くなる。パンを食べよう」と本気で(?)言っていた、などという話を聞くと、ふと「日本人はもともと自分達の文化に大して愛情はないのではないか」「捨ててもいいと思っているのではないか」などと皮肉な感想を持ってしまう。
実のところ私も日本の文化にはさほど思い入れはない(国体に対してはさほどどころか全く無い)。したがって、愛国心も薄い。だが、他人の愛国心にケチをつける気はないし、彼らはおそらく「同朋の命を大切に思い、日本の山河や文化に愛情を持っているのだろう」と思う。いや、思いたい。それならば、「同朋が死んだり山河が焼け野原になってもいい」とは考えないはずだ。重ねて言う、器などは(どうでもいいとは言わないが)何よりも大切なもの、ではないのである……。
私は「腰抜け」で「いくじなし」だ。しかしどうせなら、「国家や国体などいう器を白い眼で見続け、それよりもひとりひとりの人間が生きていくことの方が大切だと呟く腰抜け」になりたい。少なくとも、中身よりも器の方が大切だと考える勇者や、「敵」に対する憎悪に身を焼く英雄にだけはなりたくないと常に思う。
〈蛇足的註〉
※1/侵略してくれと言っているようなもの=以前、こんなふうに言われたことがある。「女性が『私は襲われたら絶対に抵抗しないわ』と言ったり、おっさんが『オヤジ狩りに遭ったら抵抗せずに財布を差し出す』と言うのと同じ。カモにしてくれと言ってるようなものだ」と。人によってはなるほどと頷くかもしれないが、ちょっと待って欲しい。強姦やオヤジ狩りをする連中は、相手が抵抗しようとしまいとやるのである。圧倒的に強かったり、複数だったりすれば、少々抵抗しても無駄というもの。場合によっては命にかかわるかも知れない。それよりも、そういう犯罪が起きないような社会を目指し、「ギャーッ、助けてー!」という大声の上がるのを聞けばすぐ駆けつけるような習慣をつけるなどの方法を皆で考えるほうが有効であろう。
※2/マハトマ・ガンジー=マハートマ・ガーンディーと書く方が原音に忠実だと言われているが、ここでは「俗に使われている表記」に従う。余談ながら、私は人名にせよ地名にせよ原音になるべく忠実に呼び、かつ表記した方がいいと思っているけれども、完璧に原音を再現するのは困難なことも多い。悪意でなく単なる発音のしやすさなどで多少変わるのは、まあいいのではないか、とかなりいい加減に考えている。むろんお互いにである。他国の人の名前は原音通りに発音しないくせに、自分たちの名前だけは間違えるなと言うなどは問題外。
※3/国土=ある国のものとされた山河、という意味である。地面も山も川も木々も、そして人間以外の動物もすべて、実際には国という枠組みとは無関係に存在する。たとえば日本という国がなくなっても、その瞬間に富士山や琵琶湖が無くなったり、国中の松が杉になったりシカがトラになったりするわけではない。
一見「腰抜け」のようでありながら、実はそれとは正反対の選択、内容の記事だと思いました。
マハトマ・ガンジー的な「非暴力・不服従」を為すには、非常な覚悟が要るはずです。例えば、極限に追い詰められた状況で「死よりも生を選ぶ」、死んだ方が楽だろうけどあえて困難な生を選ぶ、といったような覚悟。
最近考えているのですけど、憲法9条は、何かしらの覚悟を要求するような気がしてならない。それは「憲法を守ってさえいれば」などという、甘えとは全く正反対のものです。
華氏さんにはまたまた考えるヒントを頂きました。また拙ブログにて愚考したいと思います。
「万一侵略されたら」というのは、好戦的ナショナリストが政権中枢にいる現状では神学論争になり逆効果しかないのではないでしょうか。
日本を守るためには、侵略の口実を封ずる9条の厳守と、激しいレジスタンスにあって間尺にあわない、と思わせることだと思います。
そのための組織や装備はアメリカでなく日本人が決めなくてはなりませんがね。
もっとも、わがブログでもかつて「白旗論」をシリーズでとりあげています。http://masima-ik.mo-blog.jp/rhi/2006/01/post_1ee1.html
の意見を良く聞いて吟味してみないと多くは一部yes 一部no
が大方の意見であろうと思うのです 爺も答えるなら8であるが9条を守ろうのサインを上げているブログのアンケートに答えるに気が重い
別に戦争をしたいとかしろとかでなく2006年の国際環境の中で日本が主体的にやる国防と二義的なものと何が良いのか何が問題なのか それとの関係で9条をどう解釈するのか 多角的な議論をする必要があるだろうと思うのです 無抵抗も心情としてあるでしょうが日本人が100万人位死ねば敵も攻撃を止めるだろうとの幻想と一人も殺させないとの決意との中間くらいに真実はあるのでは? TBさせてもらいました
非常に悪質です。(単に無知なだけかも知れませんが)
まず第一に日本の安全と国防と言う名称が間違いで軍事問題とすべきです。
第二に七つの選択肢の内、軍縮は一つだけでその他は現状肯定か軍備増強になっていて明かに公平さに欠ける。
第三に『外国が攻めてきたら』の設問が間違いで、世界第二の経済大国が攻められる可能性より、攻める可能性の方が遥かに高い。
第四に軍隊の本質を間違っている。軍とは本来国民を抑えるもので、余裕が出来た時には他国に侵攻する。
第五に憲法の精神と真っ向から反するアンケートを、今する意義が考えられない。
第六に軍事は政治の内で、非常に小さい問題しか解決しません。軍事は軍事問題しか解決しない。(万能薬ではない)
こんなアンケートが今出てくる現状の、問題点こそ議論すべきでしょう。
何時も思うのですが、正しい質問は、質問された時点で大方は正しい答えが出ています。
間違った質問からは、間違った答えしか帰って来ず、正しい答えは、正しい質問からしか出てきません。
記事を読み進めていて、やはりガンジー主義に近いなぁと感じました。
この考えは、半端な覚悟では出てきませんよね。スゴいと思います。
他の利のために、国や自分、愛する人々が蹂躙されることを受け止める必要がありますから…
考えてしまうのです。命は大事です。では、命は何のためにあるのかと。私にとって、命は何かを継ぐために繋ぐものです。だからこの命が無為に終わることは辛いです。
華氏さんがその命で非暴力を体現することを選択されたら、何がどんなメッセージが継がれる、伝わるのでしょうね。
その人たちにしか分からない事ですが…メッセージは伝えたい側こそ言動にのせ発信しなければ、と思いますが…その可能性を知りたいです。
「正しい」という価値自体、その人の経験に裏づけされた個人の感覚に属するものですから。
華氏さん、せめてもう一つ、国土は大事だと思います。
日本の文化や、日本人を外国人と分かつその性質は、日本の国土あってこそ生み出され培われてきたものです。
器というより母体のようなもので、国土と国民性と文化は切っても切れないもののように私は感じます。
蹂躙されないよう守るべきものだと思うのです。
>第四に軍隊の本質を間違っている。軍とは本来国民を抑えるもので、余裕が出来た時には他国に侵攻する。
憲法9条のキモはこれだと思うんですよ。
これを国民がいかに監視し、コントロールするか。
国権に対して武力による紛争解決をしてはならない。国権は武力を常備してはならない。
ここをキチンと抑えたいですね。
取り急ぎ布引洋さんへ――
布引さん、いつも貴重なご意見やアドバイス、ありがとうございます。
> 正しい質問は、質問された時点で大方は正しい答えが出ています
と言われるのはよくわかります。またご指摘の点もよくわかる気がします。特に〈1〉については、おっしゃる通りだと思います。UTSのページで伝えておきます。
ただ、私はこのアンケートは悪質だとは思いません。理由は次の
1)最低限でも、軍事、軍隊、自衛隊などについて「考えてみる」という機会にはなります。
2)「その他」の選択をされた中に、「この設問自体がおかしい」という意見もありました。そういう意見にも基づいて、ゆっくりと深めていくべき問題だと思います。
3)選択肢の多くは言われるように現状肯定か軍備増強ですが、私は多くの人は軍縮を選ぶのではないかと思います(ちなみに布引さんは軍縮の選択肢は1つだけと言っておられますが、私は2つ――1と2――は軍縮志向であろうと思っています)。
4)先に「国防ではなく軍事問題」というご意見はその通りだと書きました。しかし同時に私は、あえて意識的に「国防」という言葉を使う意味もないではないと思います。おそらくアンケートの提言者は、その「意味」を考えられたのではないでしょうか。私自身、「国防」という言葉に反応して、「では国とは何か」をあらためて考えたのですから。
>憲法の精神と真っ向から反するアンケート
とは、私は思いません(ですから回答しました)。今、結果を見たところ、6と7はゼロ票です。万が一、今後6や7に票が入れば、それはそれで「軍事力増大・先制攻撃」を是とする人々が何を根拠?にそう語るのかがわかる(根拠がなければ、ないことがわかる)という意味で私はおもしろいと(などと言うとおまえは遊び半分かと眉をひそめられそうですが)思っています。
> こんなアンケートが今出てくる現状の、問題点こそ議論すべきでしょう。
その「問題点」も、アンケートが出て来たからこそ改めて「議論の必要性」を感じることができた、と言えましょう。
> メッセージは伝えたい側こそ言動にのせ発信しなければ、と思いますが…
まさしくその通りです。言わねばならず、同時にふるまいに表さねばなりません。
> 私にとって、命は何かを継ぐために繋ぐものです。だからこの命が無為に終わることは辛いです
おそらくその通りかと思います。私は自分の遺伝子を残さない選択をしているので、私の命を継いでくれるのは「名も知らぬ見知らぬ未来の人々」ですが。ただ、私は自分が特別に素晴らしいことを言っているとか、言動がオリジナリティーにあふれているとは思っていません。むしろ平凡なものであり、それゆえに自信を持てるとも言えます。ごく普通の平凡な感覚なればこそ、私が名もない庶民のひとりとしてノラ犬のように死んでも、感覚を継いでくれる人達は大勢いる。その人達を裏切っちゃいけないな、と思うだけです。
> 蹂躙されないよう守るべきものだと思うのです。
う~ん。文化を守りたいからこそ、蹂躙されるよりは「所属が変わろうとどうしようと、山河はそのまま残る」ほうを選びたいのですが……。
毎日新聞が去年の終戦記念日に、アンケート結果を元に、戦争反対、賛成が拮抗していると大きく報道していた。
この毎日新聞の世論調査は腹立たしい。見出しが意識的に間違っている。
間違った戦争か、やむを得ない戦争か、の設問が間違っている。
間違った戦争の反語は、やむを得ない戦争では無く正しい戦争です。
間違った戦争か、正しかった戦争かと問われれば99%以上間違った戦争と人々は答えていたでしょう。
間違った戦争44%やむを得ない29%良くわからない27%。戦争反対、賛成が拮抗しているのではありません。
普通の人々は「間違った戦争だったが、やむを得なかった、考えたが良くわからない」が正解では無いでしょうか。
今回のアンケートは設問を作り変えるか、設問を作らず自由に答えるのであれば賛成できます。