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華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

私は国を愛さない

2005-10-22 04:24:20 | 非国民宣言(反愛国心・反靖国など)
友人からメールが来た。
「現代ファシズム形成史を実体験しているような気がします」

街を歩けば表面的な日常風景が急変しているわけではない。だが私には、そのことが恐ろしい。少しずつ少しずつ蚕食されていくからこそ、私達はいつの間にか慣れてしまうのだろう。

茶髪がはやり始めた頃は、中高年層を中心に「何だあれは」と眉をひそめる人々が大勢いた。「髪を染めた学生は不採用」などという常識?さえまかり通っていた。だが茶髪が少しずつ増え、やがて職場でもごく普通になり……今は40代50代の女性の中にも茶髪が珍しくなくなった。

憲法改正も同じことかも知れない。最初は「何それ」「何で今、改正する必要があるのさ?」という雰囲気だったのが、次第に「改正がトレンド」そして「常識」になりつつある。私は「憲法は未来永劫、変えてはいけないもの」とは思っていない。必要があれば変えるべきだろう。しかし私には「今、変える必然性」がどうしてもわからない(いや、何を意図しているのかはわかるのですよ。わからないというのは、そういう人達の頭の中が、知識として理解できても感覚としてどうしてもわからない)。

自民党は「国を愛する国民の努力で国を守る」という趣旨の文章を前文に盛り込みたいらしい。国を愛するのも愛さないのもこちらの自由だ、ほっといてくれ。国というのはまあ親族みたいなもの。こちらが選択したわけではなく否応なくその中に投げ込まれ、関係性の中で自我を育てざるを得ない。愛せるかどうかは、関係性の紆余曲折にかかっている。親に虐待された子供は親を愛せないのと同様、国に虐げられた国民は国を愛せない。人間が a priori に何かを愛せるというのは、そうでないがゆえに造られた虚構、幻想である。

私はいま、国を愛してなどいない。正直なところ、「滅びてしまえばいい」とひそかに、そして冷ややかに思ってさえいる。だが生まれ育った風土、慣れ親しんだ言葉に対するいささか感傷的な執着はあり、それに引きずられて「必死のプロテクト」をしてみたいと思う。
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アメリカの自由!日本の改革! (ヘンリー・オーツ)
2005-10-24 12:38:19
アメリカの言う「自由のための闘い」というのは大企業と富裕層がますます豊かになるために貧困層に苦痛と不自由を強制すること。日本の「改革」はアメリカの属国化と大企業と富裕層が好き放題できる「改悪」に他ならないですね。「愛国」というのは地球益よりエゴを優先する人間の合い言葉だと思います。
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