華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

「南無浄瑠璃光」

2006-02-16 00:56:51 | 雑感(貧しけれども思索の道程)

山尾三省、という詩人がいた。屋久島で農業に従事しながら詩を書き続け、2001年に胃ガンで亡くなった。アニミズム思想によって現代社会に抵抗し続けた詩人で、御存知の方は多いと思う。私は実のところ、彼の詩は特に好きというわけではない。多分、あまりに静謐すぎ、優しすぎるのかも知れない。だが、いくつか気になる作品はある。

今回紹介するのは、これ。
【南無浄瑠璃光
 われら人の内なる薬師如来
 われらの 日本国憲法第九条をして
 世界の すべての国々の憲法第九条に 取り入れさせたまえ
 人類をして 武器のない恒久平和の基盤の上に 立たしめたまえ】

題は「劫火」。抜粋ではない。この5行だけである。死の2か月ほど前に書かれたもののようで、おそらくほとんど絶筆に近いものと言ってよいだろう。

詩人は、「妻子にあてた遺言(伝えておきたいこと)」の中でも、同様のことを書いている。遺言は3か条あり、1つ目は故郷・東京の神田川の水をまた飲めるようにして欲しい。神田川の水が飲めるようになった時は、文明が再生の希望をつかんだ時であると思う。2つ目は世界から原発および同様のエネルギー出力装置をすべて取り外してほしい。自分達の手に負える発電装置で電力をまかなうのが、幸福な生活の第一条件であると思う――と述べている。
そして3つ目に挙げたのが、「最近、ぼくが呪文のように心の中で唱えていること」――南無浄瑠璃光、以下の言葉である。最後の1行は、遺言では「武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え」となっている。

前掲の詩はわずか5行の、比喩も描写もない単純なものだが、それだけに「祈り」というにふさわしい。憲法9条を守る運動で、この祈りをスローガンとして大々的に掲げ、広めていく団体があってもいいのではないか(むろん既に使っている団体はいくつもあって、私が知らないだけかも知れないが……)。
コメント (5)
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