美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

高校生のころ

2023-10-26 15:46:19 | 

高校生のころ、私には、とても嫌なことがありました。書くのをどうしようかと迷ったのですが、もうずいぶん昔のことだし、これを読んでもあまり実感する人もいないだろうと思って書くことにしました。

私は、文芸部に入部していて、文芸誌に何か書くようにといわれ、創作した物語を書きました。それを読んで、担当の教師(現代国語)が、「あなた、書けるじゃない」と言ってくれ、それはとても嬉しいことでした。

でも、秋になり、文化祭に提示するものを友達と書いていたら、帰る時間が遅いと、その教師にひどく怒られました。そして、一緒に連れて帰られて、ひどく叱られ、小突かれたりしました。

私も友達も同じ列車で通っていたので、時間を見て、やっていたのでした。それは、私たちにとっては、あまりにも理不尽な怒られ方でした。

多分、私の不躾な態度を怒ったのでしょうが、それから、その教師は、私を目の敵のように叱り、教室の中で、いじめのようなことをしました。時間が終わると、何人かが、ひどかったねーと言ってくれたりしました。

ある時、試験の答案を返される前に、「2年上に、才能のある人がいます。その人の詩や散文はとても素晴らしく、そういう道に進むといいと思います。才能がないのに、自分の思い込みでやっても、こういうことは、才能の問題ですから、難しいですね。テストの点がいくら良くても。」と言われました。

ああ私は今度のテストはいい点を取ったんだな、とすぐにわかりました。最高点を言われるとやはり私の点でした。

自分に才能があるかどうかと不安な16才の私の、すべての文学に対する思いを踏みにじられたようでした。それから、私はもう小説を書くことを止めてしまいました。

それが高校1年生の時のことです。それから、2年3年は違う教師に変わりましたので、国語の時間の辛さは無くなりました。

でも、教師の中には、物好きな人がいて、その教師が職員室で、私のことをなんと言っているかということを教えてくれたりして、嫌な思いはしていました。

高校3年間に、いろいろなことがありましたが、私は、このことを今もあの時のままに覚えています。相手の教師の思いは知らないのですが、少なくとも私の生き方に大きな影響を与えた事件でした。

人に会うということは、とても大きな意味を持つと思います。いい人に会うことがたくさんあればいいのですが、いろいろな人に会ったなあと、今身に染みるように思っています。

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20代前半のころ

2023-10-24 13:18:37 | 


この絵を描くときに見た写真は、私の20代前半の終わりごろ、もうすぐ結婚することが決まっていたころです。

私は、大学を卒業してから、一般企業に就職し、事務職などやっていました。本当は自分のやりたいことは違うのにと思いながら、何もしないままに時間が過ぎていた頃です。

友達も夫も何か書いたら、といい、あなたの文章を楽しみにしているといった友達もいて、私は、いったい何をしているんだと思っていました。

思うような自分の人生はどうすれば送れるのかと、いつも気持ちが揺らぎ、暗いところへ向かっていきました。

いろいろな社会の取り決めなどに振り回され、自分というものをすっかりなくして行った頃だと思います。

お給料はもらえたので、親に貯金として渡したもの以外は、自分の好きな洋服や化粧品、本やレコードに使っていました。

その時代の流行などに気持ちを動かされ、自分の道をすっかり見失った頃の写真を見て描きました。

夫も社会に出て、きつい思いをしていましたし、大学時代の友達2人は結婚して、私の近くに住んでいませんでした。大学時代のような青春を生きるという日々は、もう失われてしまっていました。

このころに自分の姿をよく見ていたら、何か見つけられたのだろうと思います。でも、過去を取り戻すことはできないのだから、そうだあの頃はああいう風にしか生きられなかったのだと、納得しています。

今度の絵は、顔を描きすぎて、赤っぽくなりました。なかなか思うようにはなりません。

若いころはとてもやせていて、今、若いころはね、といっってもみんなに笑って返されます。時代は過ぎていきますね。

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60代前半のころ

2023-10-17 11:50:19 | 

60才になったら、絵を習いに行こうと決めていました。学生が習うような美術学校の大人教室に行き始めました。

そこで、最初は石こうデッサンをしました。私は、油絵を描きたかったので、5,6枚描いた後、油絵を描いてよいといわれました。でも、最初は石こうを描き、次はチャーリーを描きました。そして、次は、タマラ・ド・レンピッカの絵を模写しました。そして、次は静物画を描くように言われました。

私は、人物画を描きたいと思っていたのですが、なかなかそういう風にはなりませんでした。思うようにならないという気持ちがあり、その教室を2年で止めました。

そのあと行き始めた教室は、自由に絵を描いてもいいと言われたので、そこで、自分の写真を見て描くことにしました。

そこで、写真を撮らなくては、と、母に頼んで、写真を撮りました。笑わないで優しい顔で、と努力して顔を作りましたが、それは、とても大変なことでした。たくさん撮った写真の中で、描けるような写真は2,3枚です。

モデルさんや女優さんは、すごいなと思い知りました。元が違うのだからまあ当然ですが。その写真の中の1枚を油絵で描きました。この絵は、もう1枚別の写真を見て描きました。

写真と私はやはり似ていませんが、そういうものだと思って見てください。

まだ夫が元気で、私のやりたいことを始めた時の、嬉しい顔の写真を見て描いた絵です。

夫が倒れた後、自分も病気になり、絵から離れていたのですが、いつまで時間があるかわからないのですから、自分の赤ちゃんの時からの写真を見て、自分を描いています。写真を見ると、いろいろなことを思い出し、できるだけたくさん描きたいと思います。

デッサンをして、水彩色鉛筆で描いています。絵も少しは上手になるだろうと期待して、これからも描き続けたいと思います。

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50代前半のころ

2023-10-13 19:58:36 | 


この絵を描くときに見た写真は、53才の時に撮ったものです。54才で乳がんが見つかり、私の健康な時代の最後のころです。

この後は、ずっと病気をしているか、治療をしているという感じでいました。

絵は、私には似ていません。50代前半の女性の絵という感じで見ていただくといいと思います。

40代で、自分のやりたいことは何だろうといろいろ悩み、やってみたのですが、何もわからず、50代に入る頃には、庭に薔薇を育て始めました。

生き物を扱うことはとても面白く、薔薇づくりにだんだんはまっていきました。本当は、庭仕事は嫌いだったのにです。

このころには、薔薇の庭もかなり思うようになり始め、薔薇のこともわかるようになり、面白いと思っていました。

そこで、病気です。薔薇も50本以上ありましたから世話も大変で、暗澹とした気持ちになりました。そして、薔薇からもだんだん気持ちがはなれていきました。

病気になったときに思うのは、いつ回復するかということです。将来は病気にかかわることしかありません。健康というのは、違うカプセルの中の物語、という気がします。

こうして、だんだん年を取り、病気があって当然という状態の中で、今は生きています。健康がどんなものだったかということも忘れてしまいました。

死の時まで、体が自由に動き、心が羽ばたいているという風であったらいいなあとずっと思ってきました。

この絵のころまでは、自分の老後はそんな風で、老後は夫と楽しい時間を過ごすつもりでいたのでした。今のような時を過ごすとは、夢にも思っていませんでした。そんなのんきな時の写真を見て描いた絵です。



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コロナワクチンでぐったり

2023-10-11 15:10:21 | 私の病気
7回目のコロナワクチンを6日に打ちました。それからずっとぐったりしています。

今までの6回は、何事もなく、ちょっと痛みが翌日くらいまであったくらいでしたが、今回は、今もだるさが続いています。

私は毎日、鎮痛剤を飲まないとだるく、何もできません。だから、鎮痛剤を飲んでいるのに、こんなに痛みやだるさが続くのは、自分の体がますます弱くなったのかと思います。

今回、コロナワクチンを打つころは、ずっと体調が悪く、元気がありませんでした。でも、いつもだるいのだから、と伝えると、医者は、「ああ、いつものようにだるいのね」と言って、打ってくれました。

その日は、夜熱っぽい気がして、測ると37,2度でした。熱というほどのものではないですが、いつもよりは高く、肩から腕全体が痛み、ちょっとこれは副作用かなと思っていました。

次の日は、腕が痛み、だるくて仕方ありません。その次の日も、月曜日まで、だるく1日中寝て過ごしました。

これは、私が年を取ったせいでしょうか。それとも体調が悪がったせいでしょうか。

母も一緒に打ちましたが、母は何も変わりませんでした。年を取っている方が、副作用が出ないと聞いたことはありますから、私の体調が悪かったのでしょう。

コロナになりたくないので、ワクチンは打ちたいと思います。コロナになりたくないというのは、真剣に思っています。コロナになって、家族と会えないままに死を迎えるのは、嫌です。呼吸器に疾患がある私は、息のできない苦しさを知っていますから、コロナになりたくありません。

出かけるときは、必ずマスクをし、誰か訪ねてくる時も、マスクをします。ただ、家族や友人の時は、外すのですが。出かけたら、必ず薬用せっけんで手を洗います。

ワクチンも打つつもりですが、あまり苦しいのは、辛いですね。

今日は、少し元気で、体が少し痛いだけになりました。秋晴れの透明な日差しが、救ってくれているのかもしれません。

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