美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

チャーリーの背中にふくらみ

2023-09-28 14:02:04 | チャーリー


先月毛を短く切ったチャーリーの背中をさすっていたら、首の下のほうの皮膚の中にプックりとふくらみができています。直径1.5cmくらいの硬いふくらみです。

チャーリーは9月5日のお誕生日に14才になりました。やはり病気になる年齢なので、これは癌なのかしらと、ひどく心配になりました。

少しの間小さくならないかと見ていましたが、8月の半ばに気が付いて、9月の終わりまで大きさが変わらないので、動物病院へ行きました。

獣医さんは、そのふくらみを触ってみて、注射器のようなもので、その部分を吸い取り検査、そして、大丈夫、脂肪繊維の炎症です、といわれました。

私は、気持ちの緊張がするりと抜けて、本当に安心しました。

脂肪繊炎ということで、抗生物質をもらいました。消滅することもあるし、残るかもしれないけれど、大丈夫、ということでした。



犬は、今まで一緒に暮らしてきた経験から、12才くらいから、とても病気になりやすいし、弱ってしまいます。

チャーリーは、今もベッドやソファーに飛び乗れるので、見た人は若いし元気だねといわれます。でも、足も少しずつふらつきがあり、耳はかなり悪いです。チャイムの音が聞こえないし、雷も怖がりません。目もあまり見えないようで、私たちには、とてもおじいさんになったねーという感想です。

犬としては年を取りますが、少しずつ人間に近づいていくように思います。今回も、組織を取る時の怖さと痛みで、私と妹を逆恨みしていました。

妹が抱こうとしても逃げるし、近寄らないようにしていたといいます。私にも、近寄らないようにしていました。夜寝るときには、ベッドの上で私にくっついて寝ていましたけれど。

これから、いろいろな病気や老化に気持ちを乱されるだろうなと思いますが、できるだけ痛みのない老後を過ごしてくれたらと思います。



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1才のころ

2023-09-18 14:10:23 | 

これは、1才の時写真屋さんで写してもらった写真を見て描きました。母が編んでくれたニットのワンピースを着ています。

母は「このころはかわいかったよー」といいます。おんぶしていると、後ろから来た人に、よく「可愛い赤ちゃん」といわれたそうです。

髪の毛はなかなか伸びなかったそうです。高校生くらいになると、髪が邪魔という風に思っていたのですから、不思議なものです。

母の母がその頃は一緒に住んでいたので、私の世話は、祖母がずっとしてくれたようです。私も祖母が大好きでした。

いろいろな人にかわいがられて、人生で一番幸せだったころかもしれません。

何も覚えてはいないのですが、きっと一番幸せな時間を過ごしたのでしょう。それから、記憶が残っている頃になると、いろいろな悩みや辛さがありましたから。

母がこの絵を見ると、とても喜んでくれました。似ているそうです。

誰もにかわいがられた日々があることを、あまり周りに人がいなくなった今の私は、良かったねと思います。
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チャーリー14才になりました

2023-09-10 15:21:34 | チャーリー


チャーリーは9月5日がお誕生日です。今年で14才になりました。犬の14才は、以前教えてもらった人間の年で言えば、72才です。ああ、こんなに年を取ったんだねーと、感慨深いです。

チャーリーは私が60才の年に生まれました。干支が一緒です。この頃は、年も同じくらいになりました。お互い、年を取ったねーと思います。



今年は、長かった毛を短くしました。これは年を取ったということです。

わが家は、これから、みんなが年を取り、死に近づいていくということだと実感しています。何をしても、元気になることはなく、少しずつ衰えていきます。その速度がゆっくりだったらいいと願っています。



お誕生日に、妹がプレゼントをくれました。ブルーの星とピンクのイチゴの小さなぬいぐるみです。口にくわえるのに、ちょうどいい大きさです。チャーリーはとても気に入って、投げて投げてといいます。(と思います)



私と母からは、夏物のお洋服のバーゲンを待って買った合いの洋服です。今はまだ暑いから、夏ものの服も着られません。もう少し涼しくなったら、ファッションショーをしてみましょう。



この頃は、ベッドに飛び上がるのも、少し難しそうになりました。目と耳はかなり悪くて、見えず聞こえずという感じです。でも、用心深く歩きますが、走られるところを見つけると、相変わらず、脱兎のごとく走ります。

だんだん年を取り、いろいろ難しいことが出てきますが、みんなでゆっくりやっていきましょう、と思っています。


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65才のころ

2023-09-09 14:47:02 | 

65才のころ、私は自分の気まぐれのまま生きていました。子供がいないせいもあり、経済的には不自由もなく、薔薇の庭を作り、絵を習っていました。

この絵は、2014年に夫が倒れた年の、薔薇の庭での写真を見て描いたものです。凛子さん65才でした。

実際の私の写真は、こんなにきれいではありませんが、まだ描き慣れていないため、いいように描いてしまうのです。写真を見て、そのままの特徴が描ければいいと思っているのですが、もう少し時間がかかりそうですね。

絵を描いていると、その頃の自分が思っていたことを思いめぐらし、自分の生きてきた様子が少し見えるような気がします。

65才は、私の生きてきた時間に楔が撃ち込まれた年です。気楽に夫との老後を思うというほどでもなく、ただ、毎日その時のことをやっていたという気がします。

死というものがそんなに身近ではなかった頃のお話です。そのとき、夫は亡くなりませんでしたが、その後の夫と私、家族の人生は思ってもいない風に動き始め、こんな風に生きるのは嫌だと何度も思ったことでした。

自分の希望など、小さなごみのように踏みつけられ、世の中の動きや人の思いに振り回されてきたのです。こんな風に生きるのは嫌だというのは、自分が思うように生きられないということでした。

夫はもっとかわいそうでした。病院では少しずつ元気になりつつあったのに、施設に入ってからは、コロナのせいもあり、面会ができなくなって、どっと容体が悪くなりました。

病院へいることはできたのですが、夫がどうしても家に帰りたいといったので、家に連れて帰りました。そうすると、私のほうに負担がかかり、今の病気にかかったということです。結局、夫も私も悪いようになっていきました。

いろいろな辛いことに会いましたが、夫も私もそれを受け入れ、戦ったりもしてきましたから、これが私たちの人生だね、と思うようにしています。

そういうことが起こる前の私の姿がこの絵です。

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