美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

形見分け

2022-10-15 17:31:26 | 私の日々
10月9日に四十九日の法要を済ませて、夫はお墓に入りました。家の中がちょっと寂しく感じられます。

夫も私も宗教を必要としないのですが、家の宗教が仏教なので、その葬儀をしました。

今もまだ、裁判所に行く用事などがあり、あまり暇があるわけではないのですが、少しずつ夫のものを片づけています。

夫を好きだった人たちに、夫のために働いてくれた人たちに、何か夫のものをあげたいと思うようになりました。形見分けですね。

夫は読書家だったので、本がたくさんあります。それに、自分流のおしゃれをする人だったので、男の人としてはたくさんの洋服を持っています。そして、最後の8年間は、ほとんどパジャマで過ごしましたから、パジャマもたくさんあります。

私は、妹や妹の夫や甥に、洋服をあげようと考えました。そして、あげようと思った洋服を眺めているうちに、これを全部今手放すのは、とても寂しいと思ったのです。

もう着る人もいない洋服がタンスに詰まっているのに、一枚ずつ眺めていると、なんだか無くなるのが寂しいのです。自分のことを結構潔く手放すことができると思っていたのに、自分の物欲にびっくりしているところです。

私が着ることができるのは、セーターとか、マフラーとかしかないのに、無くなるのが嫌なのです。

でも、少し時間がたてば、きっとみんなにあげられるだろうと思います。時間が私の心を穏やかにしてくれるだろうと思います。

姪には、本をあげようと思います。夫が私に勧めてくれた本、「お父さんが話してくれた宇宙の歴史」。とても面白く、二人で宇宙のこと、地球のこと、人類のことなどはなしました。その本をあげたいと思います。

お友達にも、「安藤昌益全集」をあげたいと思っているのだけど、本がありすぎて、処分に困っていることなどを聞くと、なかなか言い出せません。

今、私は、夫のパジャマを着ています。大きいのだけれど、袖もズボンも折りたたんで着ています。それだけでも、夫と一緒にいるようで、安心していられるのです。

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今日は夫の誕生日、だったのです

2022-10-01 16:01:08 | 私の日々
10月1日は、8月23日に亡くなった夫の誕生日です。この何年かは、バースデイカードを贈るくらいの誕生日でしたが、それでも、毎年、この日は特別の日でした。夫が生まれた日、私が夫に会えたのは、この日があったからでした。

でも、今年はとても寂しい日です。普段、母や妹と一緒に何かしているときに、ああこれは夫の好きな果物だったねとか、お肉好きだったよね、とか。チャーリーと一脚の椅子を分け合って座っていたねーとか、みんなが嫌がることをなんでも引き受けてくれていたとか、そんなことを思い出して話しています。

今も、施設に夫はいて、コロナが落ち着けば、会えるようになるのだと錯覚しています。施設にいたので、いつも会えなかったし、夫は、肉体を備えた人ではなく、夫という存在の人だったのです。今も生きているように思えるのは、そのせいもあるのでしょう。

私は、夫が亡くなったとき、とてもきれいな顔で、穏やかな様子だったのを、嬉しく思いました。長い寝たきりの状態を過ごし、家族にも会えないままに、弱っていったことを辛く悲しいと思っている様子ではなかったからです。

夫の顔をさすりながら、「お父さん、よく頑張ったねー」といいながら、「もうこれ以上頑張らなくてもいいので、良かったねー」と話しかけました。

8年の間の辛い寝たきりの生活は、もういいよと思いました。だから、亡くなったことは、夫にとっての安心だったと思います。コロナがはやらなかったら、きっと、家族と楽しい日々を過ごせただろうと思い、その時は、もっと長生きしてくれればいいと思ったでしょうが。

夫は、人に触られるのも嫌いな人だったのですから、体を触られなければならない日々はとても辛い日々だったと思います。それを思うともういいよとやっぱり思います。

私は、夫が亡くなったことをとてもやりきれない気持ちでいますが、でも、夫は私にとって、いなくならない人です。今もずっとそばにいて、私が書いている文章に、文句を付けているような気もします。夫という存在は無くならないで、私のそばにいるのが見えるように思います。

私は、本当に小さなお葬式をしました。家族だけのお葬式です。お友達も呼びたいと思ったのですが、私の気持ちが夫から離れてしまうことが怖くて、後で連絡しました。お友達は、みんな、よく頑張ったねと言ってくれました。

あまり人に伝えなかったことで、人からいろいろな態度をとられます。どんなことも、いつも情けないことが多くて、あきれてしまいます。お葬式についてや、人の生死について、苦情を表すことのすごい心の状態を考えると、多くの人は、幸せではないのだなと感じています。

でも、私は小さな私たち家族だけのお葬式を、良かったと思っています。夫とゆっくりとお別れができて、そして、今も夫がそばにいることを、感じることができているからです。

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