美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

この頃思うこと

2024-01-24 16:48:16 | 私の日々
最近は、年のせいか体が痛みます。いろいろなところが痛み、いつも痛みと一緒にいます。

思うことは、どんなふうに死ぬかということ。毎日生きていて、ほとんど変わらない日を送っていると、できれば、こんな風に生きているままに、死にたいと思うのです。

毎日起きて、食事をして、顔を洗って、髪をとかし、洗濯をし、干してたたむ、食事の用意をし、食べて、片づけて、ルンバをかけて、インターネットを見て、映画を観て、お風呂に入り、本を読み、眠る、そのほかに、絵を描く日があり、病院へ行く日があり、そんな風な日を送っています。

毎日のルーティーンをやっているうちに、そのままスーッと死ねたらいいのにと、思うのです。自分の生活の中で楽に死ねたらいいなあと、勝手な思いを持っています。

私が愛したローリーというミニチュアダックスフントがいます。彼は、16才で死にましたが、犬としてはまあまあの長生きでした。15才ころから少しずつ弱っていき、目も耳も不自由で、身体もやせていき、顔の皮膚もずるずるになったりしました。

でも、彼は自分の生きる道だけはわかっていましたから、迷うことはありませんでした。すべきことを淡々として、見ていると矜持のようなものを感じたりしました。

夜もトイレは庭でしましたから、私はリビングで一緒に寝て、彼が起きると外に出したりしました。

死ぬときは、抱っこしていた私の腕の中で、頭を大きく動かして、スーッと息を引き取りました。

それは私の世話があったから、できたことではありましたが、ローリーの死ぬ1年前からの姿は、私には、死ぬときの模範のように思えるのです。ゆっくりと毎日を生きて、愛する人に抱かれ、さすられて、豊かな時間を過ごしたと思います。

私もそんな風に、ゆっくりと毎日を生きて、自分の命や自分の生きてきた時間を大切に思いながら、毎日のルーティーンの中で死ねたらどんなにいいかと思います。

それは本当に夢のようなお話で、きっと、もっと辛い厳しい死を迎えるのだろうと思いますが、希望としての自分の終わりの時間は、そのようであればと思っています。

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「夜と霧」

2024-01-14 20:48:08 | 本・映画
 

人に薦めたい本として、「夜と霧」を書いたところ、ブログで仲良くなったお友達から、その本の感想を聞かれました。

私はもう40年くらい前に読んだ本なので、この本を人に薦めたいと思ってきたけれど、詳しいことは覚えていなかったのです。それで、読んでから感想を書くと伝えました。

そして、読みました。ヒットラー、ナチスがユダヤ人とナチスに反対する人たちを強制収容所に拉致し、閉じ込め、残虐な仕打ちを続け、飢えと悲惨な状況から、死に至るものも多く、それよりも、労働に向かないものは、ガス室で集団虐殺されていたのです。

ヴィクトル・E・フランクルはウィーンに生まれた、精神医学士で臨床の医者でもありました。そして、彼はユダヤ人でした。アウシュビッツに送られたフランクル教授は、過酷な労働と飢えと不潔な環境の中で、医者としての役得を使わず、一人の囚人として生き延びたのでした。

彼は、強制収容所での人々の姿を見、それを「強制収容所における一心理学者の体験」(それが「夜と霧」です) に書きました。それは、そこのすさまじい悪逆を描いたのではなく、人がどのようにその逆境を受け止めたかということが書かれていました。

どのようにも救われない環境の中で、多くの人は、「収容所の囚人」となり、でも、少しの人は、なお人間としてとどまり、人間としての尊厳を守る一人の人間になるのです。次に少し引用します。

一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命とそれが彼に課する苦悩とを自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況にあってもなお、生命の最後の一分まで、声明を有意義に形づくる豊かな可能性が開かれているのである―ある人間が勇気と誇りと他人への愛を持ち続けていたか、それとも極端に尖鋭化した自己保持のための闘いにおいて彼の人間性を忘れ、収容所囚人の心理について既述したことを想起せしめるような羊群中の一匹に完全になってしまったか―その苦悩に満ちた状態と困難な運命とが彼に示した倫理的価値可能性を人間が実現したかあるいは失ったか―そして彼が「苦悩にふさわしく」あったかあるいはそうでなかったかー。

強制収容所の中の過酷な環境にあってもなお、人は人を思いやり、内的な世界を持つことができると、フランクル教授は書いています。それは本当に過酷で悪辣な残虐非道がまかり通っていたところででもです。

人は、本当にこんなところで人間的でいられるのかと思いますが、でも、そうであったというフランクル教授の言葉を感動を持って読みました。

そういう人でありたいと自分の心を見る思いでした。

人は、ナチスのようにもなれるし、内的な人にもなれるのだと、深く沈痛な思いでいます。

コメント (2)
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新しい年になりました

2024-01-07 20:33:23 | 私の日々
2024年になりました。おめでとうというのもはばかられるような、大きな地震が北陸地方を襲いました。何年かに一度は大きな災害が起こるようになり、災害に合われた方へのお見舞いの気持ちでいっぱいです。

そして、いつ自分たちがそういうことになるだろうかと、芯から心配しています。私たちは、もう年金の暮らしで、健康でもなく、再生など考えられないかもしれないと思うのです。

毎年、新年を迎えると、今年は全部生きられるかなーと思います。そういう人間の最後の時間を心地よく過ごしたいと思うのは、贅沢ではないと思うのですが。

今年になっていいこともありました。3日、母の誕生日です。99才になりました。何とか健康で歩くこともできますし、自分の生活は自分でできるということが、私にはとても嬉しいことです。

ヨークシャーテリアのチャーリーも、14才になり、耳も目も悪くなりましたが、まだ今までのように生きています。それもとても嬉しいことです。

健康であるということが、年を取ったものにとっては、どんなにか大切なことだと、母とチャーリーを見て思います。私もできるだけ、自分の生活を今のまま続けられるようにと、願っています。

こうして、みんなが何とか自分のことをできて、そして、災害に会うこともなく、心地よい生活で最後の時間を過ごしたいと心から願っています。そんなささやかな願いがかなえられるように、と災害から始まった2024年の年頭に思ったのでした。

コメント (4)
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