美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

絵 大分

2024-08-14 13:09:19 | 


乳がんの手術をして1年がたったころ、大分の友達が夫と一緒に遊びにおいでといってくれ、二人で出かけました。

その友達は、大学の時の1年先輩で、彼女のご主人は私の夫と友人だったので、時々会いに行ったり、時には私たちのところに訪ねてくれました。

本当につらいことですが、彼女は61才の時に、くも膜下出血で倒れ、5年後に亡くなりました。

いろいろなところに遊びに行き、楽しい思い出がたくさんありますが、これから彼女が子供たちから自由になるので、もっと楽しいこといっぱいしようねといっていたのでした。

彼女は繊細で、きめ細やかな人でした。私は、彼女の笑顔を今もはっきり覚えています。笑顔も少し控えめでしたが、優しい雰囲気がとても素敵でした。

たくさんの人と出会うけれども、いつまでも出会い続ける人というのは、とても少ないです。彼女は、私にとって、ずっと出会い続けた人だったと思います。

この時は、湯布院へ行き、素敵なレストランでケーキを食べたり、湯布院をぐるりと回ったと思います。もう20年ほど前のことで、記憶もあいまいなのですが。

この絵は、行きだったか帰りだったかに、下関のサービスエリアで写した写真を見て描きました。このころやっと髪が伸びてきていますね。

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墓参り

2024-08-07 15:32:28 | 私の日々
8月6日、母と妹と墓参りに行きました。夫のお墓と家のお墓をお参りしました。

家から墓地まで、車で1時間くらいかかります。毎年、夕方まだ明るいうちに行っていましたが、今年は、家を5時に出て、花を買って、6時過ぎくらいにつきました。

日は落ちて暑いけれども、焼けるようなじりじりした暑さではなく、これならもう少しの間、頑張って墓参りに行けるかもしれないと思ったのでした。毎年、墓参りはたいんな苦行になっていて、もういけないかもしれないと思っていたのです。

きれいな花を飾り、夫にもう少しで私もそばにいるようになるよ、といったりして、夏の大行事が終わりました。もちろん、妹が車で連れていってくれ、水を汲むなど、用事をほとんどしてくれるからいけるのですが。

8月6日は、原爆の落ちた日です。朝8時ころに落ちた原爆で、死に瀕した人たちが、この暑さの中、苦しんで助けを求めて歩き回ったということをおもうと、それは本当に地獄です。だんだん暑くなる夏の日差しの中、どんなに苦しい思いだったでしょう。

今も世界には、たくさんの紛争があり、戦争もあり、人々は自分の生を争いの中で生きています。それは本当に悲しいことです。

人は毎日、小さな争いから大きな争いの中で生きています。そして、力を使って人を押さえつける人たちがたくさんいます。力とは何だろう、とこの頃考えてしまいます。

力があることが必ずしもよいことではないのではないかと、力を見せつけられると、人はどういう風に生きればいいかと考えます。

原爆の日に、お墓参りに行き、力のこと、人の生き方などを考えてしまいました。

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運転免許証高齢者講習に行ってきました

2024-07-22 14:10:58 | 私の日々
今年、私の運転免許証が書き換えられる年です。3年前の72才の時に高齢者講習は受けたことがありますが、今年は75才になるため、認知機能検査も受けなくてはなりません。

とはいってもそんなに難しいテストではなく、総合点が36点未満の場合に、認知症の恐れがあるというものです。

たくさんの数字が並べて書いてある中の、いわれた数字を消すというテスト。16枚の絵を見せて、それを少しの時間の後に思い出すというテスト。その日が何日かというテスト。そんなテストを36点取ればいいので、認知症でなければ大丈夫です。

高齢者講習を受けなくてはならないということは、もう運転はしない方がいいということなのでしょう。でも、私がなぜ免許を取りたいかということには、理由があります。

わが家は、老人老犬ばかりで、何かの時には、病院へ行かなくてはならないだろうと思います。母の場合は、タクシーで行くこともできますが、チャーリーをタクシーで連れて行くのはとても難しいのです。

妹がいつもいろいろなところに連れて行ってくれますが、突然の時は、やはり来られません。そういうときに、チャーリーをキャリーケースに入れてはこぶのはとても大変なのです。ケース自体も重いですし、私は今力がありません。タクシーにも断られるかもしれません。

自分の車だったら、チャーリーも楽だろうし、私も、行って帰るだけなら運転できるだろうと思います。

この頃、私はほとんど運転をしないので、講習の前には、少し練習します。自分のうちから、目的地まで運転してみます。そうすると、不思議なことに、全然怖くもないし、自然に運転できるのです。もちろん妹が助手席に乗ってくれていますが。

長い年月、30年以上運転してきたのですから、そんなにすぐ忘れることはないでしょうし、体が覚えていると思います。

講習でも実技があるので練習するのですが、監督の先生に、今年は、「動作が少し早いので落ち着いて。止まるところは止まれたし、周りを見ることもできたのでいいでしょう」といわれました。

右折なのに、左折のレーンに入ったり、アクセルの感じが家の車と違ったので、先生が、前後にゆすられていたのは、反省点です。

自動車学校でいただいた修了証明書を持って、誕生日のころに免許センターに行って免許証をもらいます。

私も75才になるのだと、もう免許証もお返しした方がいいかもしれないと思いながら、もう3年免許証をもらいます。
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復活したチャーリー

2024-07-13 12:10:35 | チャーリー


一時は、もう長く生きないのではないかと心配したチャーリーですが、2度の動物病院での受診で、薬をもらい目薬もさして、見違えるほど元気になりました。

毎年、3月頃から具合が悪くなるので、獣医さんは「もしかすると花粉症かもしれませんね」といわれます。そういえば、4月頃は薬を飲んでもよくならなかったのに、6月になったら復活したのです。

あんなに具合が悪かったのに、今は、元気いっぱいです。おもちゃを投げてと持ってくるし、それを投げると、走って取りに行きます。今はあまり目が見えないせいで、おもちゃが飛んだ方向に歩いていき、見つけたとたんに走ります。

私のほうにおもちゃを投げて、もう1回、という風です。もう少しママのほうへ投げて、というと、分かったように、私のほうにおもちゃを投げます。



お腹がすくのも、以前のようになりました。私は、最近チャーリーを甘やかして、いろいろなおやつを買って冷蔵庫に入れています。私より先に眠るチャーリーは目が覚めると、私の耳もとで寝ている私を起こそうとします。

私はもちろん無視して起きませんが、5分くらいは鳴いています。いろいろな声で鳴くのです。甘えたり怒鳴ったりという風に。

具合が悪いときは、あまり食べませんでした。この頃はよく食べるので安心していますが、しょっちゅうおやつおやつとねだります。

私はよい飼い主ではないので、いつも、もうこれだけよ、といいながらやっています。



毛を短く切ってからは、洋服を着せています。最初はリボンを結んでいたのですが、なんだか寂しいなと思い、洋服を着せるようになりました。

昔、ローリーとピーターが着ていた洋服も少し直せば着られるし、インターネットで犬の洋服を検索すると、いろいろなお店が出てきます。その中で二つほど気にいったお店がありますので、そこで買っています。今は、夏用の涼しい洋服もあるのです。

そうして買った洋服が着られなくなったりしています。チャーリーの食欲のせいで、コロコロとしてきているからです。

チャーくんお願いだから、もう太らないでね、といいながらおやつをやっている私に問題があるのですが。

少しずつ弱っていってるチャーリーですが、気持ちが元気になったこの頃は、家の中も元気の空気が流れているようで、嬉しい気持ちでいっぱいです。

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2か月に1度、病院へ行きます

2024-07-05 15:58:08 | 私の病気
私は、「好酸球性多発血管炎性肉芽腫症」という難病にかかっています。もう8年ほどになります。

最初は珍しい病気なので、救急でもわからず、足が痛みふらついて、歩けなくなりました。胃が痛んで、食事もとれなくなって、もうだめかしらと思っていました。

その時、ぜんそくでかかっていた医者が、「ぜんそくの人がかかる珍しい病気があるので、それかもしれない。救急に調べてもらうように」と言いました。

そして、見つかった病気です。今は2か月に1回血液検査等をして、薬をもらっています。7月2日に病院へ行きました。

少しの間、わからなかったせいかどうか、足の痛みは今も続いています。何とか歩けるのだけど、杖が必要だったり、早く歩くことはできません。かがんだり、段差も難しいです。

たくさんの薬を注射したり、飲んだりしますから、副作用もひどいです。体がだるくて、動くことが難しいので、鎮痛剤を1日5錠飲んでいました。それでもだるいので、主治医に、鎮痛剤をもう1錠増やしてもいいかと聞きました。それで今回から、トアラセットを1日6錠飲むことになりました。

睡眠薬を飲んでいるのですが、あまり眠れないというと、今飲んでいるエスゾビクロン錠にトラゾロン塩酸塩錠を飲むように言われました。今日、4時間眠れたのが、ああ効いているんだと思いました。いつもは、2時間で目が覚めてしまい、よく寝たということはありませんでした。

今回は、こんな風に薬が増えてしまいました。私の薬は、お薬リストで見ると、16項目あるのです。本当にすごい量です。こんなにたくさんの薬を飲まなくては生きられないのかと、自分の命ということを考えてしまいます。

薬の中には、とても高額のものもあり、(私は障碍者手帳や難病の手帳を持っているので、払わないのですが)、自分がこんなに使ってもらっていいのかと思います。

ただ命は、役に立つからよいというものではないと思い、最後の時間を自分の楽しいことに使っています。体が不自由なので、出かけることはできませんが、ブログや映画を観たり、本を読んだり、自分の生きてきた時間を絵にしたりしています。

でも、生きている間は、自分のやりたいことをするのに、体が邪魔になるというのは、やはり辛いです。健康が人の人生を損なうということはあるのですね。この頃は、体を意識しないで生きられることの幸せを思い出しています。

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