美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

いろんなこといっぱいあります

2022-06-18 15:05:18 | 私の日々
6年前の今頃、私はいろんな病気にかかっていました。好酸球性多発血管炎性肉芽腫症の治療をしているうちに、ステロイドの副作用で、股関節を骨折し手術、そのあと、リハビリ中に、エコノミック症候群になり手術を受けました。

その手術のために、血液の流れを抑えていたので、軽い脳梗塞を起こしました。病院にいて、その症状を検診の医師が見つけて、すぐに処置をしてくれたので、あまり変わらない状態ですみました。

言葉のリハビリを受けても、大丈夫、普通に言葉がしゃべれます、といわれましたが、私としては、その後、言葉の選択範囲がとても少なく、昔のように、文章が書けないといつも苦労しています。

そのあとは、歩けるようになるためのリハビリをしました。それは長くつらい毎日でしたが、歩けなくてはどうしようもないと、本当に頑張った日々でした。

寝たきりだった私が、3か月くらいの入院リハビリで、何とか歩けるようになったのでしたから、とても頑張ったと思います。

その頃は、左の足首に装具を付けて歩いていました。もちろんステッキをついて。その装具も今は外れています。ステッキだけは安全のためについていますが。

退院して、母と暮らし始めました。しょっちゅう転んで、痛い思いをし、怖い思いもしたのですが、今は、転ぶこともほとんどなくなりました。

ステッキをついて、足はちょっと開き加減で、だいぶよちよち歩きですが、私がそれほどいろいろな病気をしたようには、見えないだろうと思います。

今も薬漬けで、体調もよくないのですが、おしゃれが好きなので、洋服などは考えて選びます。花柄や明るい色のワンピースなどが多いです。

6年前のころは、いつまで生きられるか、といつも思っていました。新年を迎えて、ああ生きてきたなーと思い、6月になると、今年も半年生きられた、と思ったものです。

もうあまり命がないとしたら、できるだけ嫌なことはスルーして、自分の楽しめることをやろうと思いました。

今も続いているのは、本を毎日寝る前に読むこと、夕食がすむと、ブルーレイかDVDを観ることです。それ以外に、薔薇の世話も少しできるようになりました。

でも、私が病気のように見えないということは、事情を知らない周りが、私を命があと少ししかない人のようには見てくれず、いろいろな要求をするようになったのです。

体調も悪いし、体力もないし、人と付き合うことは、とても難しいことなのですが、それでも、人は、無理やり要求してきます。

今、私は自分が今すぐに命がなくなるとは思いません。でも、健康な人よりは、自分の人生を考えたいし、やらなくてはならないこともあるし、やりたくないことはたくさんあるのです。

命の長さが漠然としなくなり、もう命はある程度決まっているのだろうと思います。それでも、残り少ない命の私にも、たくさんのいろいろなことが起こります。人は、生きている限り、いろいろなことがいっぱい、いやでも起こるものですね。


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薔薇の咲いていない庭で

2022-06-09 19:28:43 | 薔薇と庭


もう薔薇のシーズンは終わりました。今は花柄切をしています。返り咲きをする薔薇が1輪2輪咲いていますが、花はほとんどありません。葉っぱは緑が濃くなり、ぐんぐん力強く成長しています。



病気のため、あまり薔薇に手をかけなかった年が続きました。でも、妹が2年位前から、薔薇を咲かせようよと言ってくれ、肥料や剪定や誘引の手伝いをしてくれます。そのおかげか、今年は、ずいぶん花が咲きました。

弱った株が、もう枯れるだろうと思っていたのに、新しいシュートが伸びて、元気いっぱいになったものもあります。花の命、木の命、とても不思議で私たちが思うように生きているわけではありません。

今残っている薔薇を、できるだけ世話をして、毎年咲かせたいと思います。



私は、薔薇を育て始めて、25年くらいになります。ずいぶん夢中になって育てた10年、そのあとは、体力的に難しくなり、薔薇を減らし庭を作ってきた7年位、そして、夫が倒れ、私が病気になって、薔薇を放っておいた6年くらい、そして、今また薔薇をできるだけでいいから、育ててみようと思っている2年ほど。

薔薇に対する思いもいろいろと変化したと思います。今、私が薔薇を作ってきた中で、今もまだ強く感じていることを書いてみたいと思います。



薔薇は風景をつくる、と教えてもらった村田晴夫さん、薔薇は薔薇1輪ではなく、1株でもなく、庭という風景をつくるものだと教えてもらいました。私の薔薇は、風景をつくる薔薇として存在しています。

だから、つる薔薇が多いです。シュラブもつる薔薇として、使ってきました。上のほうに花が咲いている庭は、とても華やかで美しいと思います。

そして、つる薔薇の下を通る時に、香りが豊かにこぼれ落ちるのが好きです。アーチやパーゴラや支柱にはわせた薔薇の生き生きと花咲き、ふんわりと香る世界は、別の世界のように思えます。



薔薇の仕事は、剪定が大切だと思います。水やりも肥料やりも大切ですが、それは誰もがやっていることです。でも、剪定は、なかなかできないようで、だんだん大きくなって、そのうち、株が小さくなり、枯れてしまいます。剪定をしっかりすると、薔薇の形も美しくなり、英気も養われます。それは風景をつくるためにも必要なことです。

そして、薔薇を育てているときには、その薔薇の庭が、最初に息づき始める2月頃から、ずっと育っていく様子が見られることです。芽がでて、枝になり、葉っぱが開き、蕾ができて、花が咲き、そして、枯れていき、散っていく、その時間をずっと一緒に生きていかれます。それは、本当に美しく、映画を観ているようです。

そして、夕暮れの薔薇の庭の美しさも、言葉には表せません。初めて、その夕暮れの薔薇を見て、ああきれいと思った時のことを今もしっかり覚えています。日差しが陰った少し暗くなった庭に、薔薇の株がくっきりと浮き出し、その中に花が浮かび上がるのです。



薔薇を作ることは、作る人にしかわからないような、とても豊かな経験をさせてくれることを、この頃思うようになりました。大変な仕事ではありますが、自分にしかわからない、素敵な時間をたくさんもらえるのです。

もう最後の写真なので、あまりきれいではありませんが、少し写真を載せてみます。上から夕方の庭(写真が下手なので、夕方の素晴らしい美しさは出ていません)、イングリッシュ・ローズのザ・ピルグリム、イングリッシュ・ローズのジェーン・オースティン、シュラブ・ローズのアンジェラ、シュラブ・ローズのロウ・ブリッター、つる薔薇のボルティモア・ベルです。


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何年ぶりに遊びに行ったでしょう

2022-06-07 14:00:59 | 私の日々


5月23日、わが家から30分くらいのところにある土師ダムにドライブしました。土師ダムは、ダムの周りに広場があり、家族で遊べるようになっています。さくらの季節には、たくさんの方たちがお花見に行く場所です。

私たちも夫が元気なころは、よくお花見に行きました。そして、穏やかな季節には、ピクニックに行きました。

私は、この頃とても体調が悪く、どこかに用事もなく出かけることなどありませんでした。夫の施設と母と私の病院、買い物に月1・2回ほど出かけるのが、私の毎日です。

この頃、決まりきった日々に少し退屈し、どこかに行きたいなーと思うようになりました。妹にそういうと、土師ダムなら運転していける、と言って、みんなで行こう、ということになりました。



そう思っていた時に、夫が高熱を出し、入院しました。これでは土師ダムは中止だねと、言っていましたが、夫は、すぐに熱は下がり、まあまあ元気になりました。

夫の入院している病院へ洗濯物を持っていった後、土師ダムへ行ってみよう、ということになりました。

病院で夫の容体を聞くと、熱も下がり、声も出て、元気になりました、といわれ、それなら、ちょっと足を延ばして、土師ダムへと行きました。

5月も終わりころになり、それは暑い日でしたので、チャーリーは、舌を出し、それは暑そうでしたから、すぐに帰ったのですが、本当に久しぶりにドライブをして、気持ちはワクワク踊るようでした。

何年ぶりに遊びに行ったのでしょう。それは気持ちが弾むようで、とても面白いことでした。15分くらいベンチに座っていただけなのですが、それは、病院や施設に行くこととは、まるで違ったことでした。



体調が悪いので、あとはずっと寝ていなくてはならないのでしたが、でも、遊びに行くということの楽しみは、本当に私の人生の中の大きな喜びなのでした。

夫が元気なころは、お休みごとに、どこかへドライブし、ピクニックへ行き、花を見に出かけたものでした。そんな楽しかったころのことを思い出し、ちょっと幸せなドライブでした。

下の写真は、母の足元で涼んでいるチャーリーと、私に抱かれたチャーリーと、妹がちょっと散歩と言って連れて歩いたチャーリーです。

 



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老衰といわれたけれど

2022-06-06 14:49:29 | 
夫が熱を出して入院したところまで、この前書きました。おかげさまで、退院して、今は施設に戻っています。

なぜか、病院も施設も、夫の状態を老衰と決めつけたようで、入院するときまでは、いつ寿命がなくなるかという調子でした。でも、夫は、まだ抗生物質も効くものがあり、すぐに高熱は下がりました。

入院は約2週間で、微熱は出るけれど、何とか元気になりました。そして、退院して施設に戻りましたが、老衰というほどの状態ではないので、一般の面会室での面会に変わりました。

そして、もう胃瘻の器具の交換はしないといわれていたのですが、それは、あまり先がないのに、痛い思いをさせないように、との心遣いだったようです。でも、今回、胃婁の交換もしてもらいました。それほど元気になったということです。

それなのに、主治医も施設の人たちも、何か命が危ないというようなことを言われます。多分、誤嚥性肺炎になり、高熱が出るということ、そして、入院して、抗生物質で治療し、退院して、また病気になるという繰り返しだろうということのようです。

それは、寝たきりで、言葉も少しずつ忘れていく夫が、元気になるとは思いませんが、今はまだ命に別状があるという風には思えない状態です。みんな周りの方たちは、もしかすると命にかかわるということを言われているのでしょうが、それは、私たちだって一緒です。

今、何とか元気であるならば、そのままでいたらいいですね、といわれたいと思います。

私は、今のままの夫と面会をたくさんして、おしゃべりをして、ゆっくりと過ごしたいと思うのです。多分、しょっちゅう面会をすれば、きっと、夫は言葉を思い出し、夫のように戻ると思います。

コロナで会えなくなり、それは、コロナだけではなく、病院や施設の都合だったりして、会えなくなったのだと思うのです。面会を自由にできない私たちは、本当に辛い最後の時間を過ごさされていると思います。

人は、できるだけ最後の時間を、愛する者と一緒に過ごすのが幸せだと、痛切に思っています。


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