美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

ありがとうございました

2023-12-28 14:53:47 | 私の日々
今年ももうすぐ終わります。何とかやってきたなあとこの1年を振り返っています。

毎年、年が明けると、今年は体調が悪くなるのではないか、とか、命が終わるかもしれないと思います。

でも、だんだん弱ってきたように思いますが、今年も何とか生活しています。年を少しずつ取っていきますから、弱っていくのは仕方ありません。

病気はあまり変わらず、病気自体は薬の影響で、良い状態だと医師には言われています。ただ、病気になったときからの足の痛みは変わらず、しびれてもいます。

体はいつもだるく、この頃は、体のいろいろなところが、痛むようになりました。鎮痛剤を毎日5錠飲んでいるのですが。

将来のことは何も考えられず、ただ毎日、やらなくてはならないことを頑張ってやっています。どこに行くことも考えられない生活というのは、つまらないものです。

それでも、休みながら家事もやるし、映画や本は毎日といっていいほど、観て読んでいます。今年は、小さな絵を色鉛筆で描いたりもしました。

楽しみは、インターネットで洋服を買うこと、美味しいお菓子を買うこと。

洋服は、夫が元気なころに買っていたような高いものではなく、私の経済に合ったものですが、洋服を買う楽しみからはなかなか抜けられません。どこに着ていくのと思いますが、着ていくところは病院だけなので、家でいろいろ楽しんでいます。

お菓子も美味しいものを食べると、気持ちがふんわりとしていくようで、これもなかなかやめられません。体重を測るのが恐怖なのですけれど。

いろいろなことを楽しんでいるのですが、体の具合が悪ければ、どうしようもなく、ただ、寝て過ごします。そして、あまり多くを期待しないようになりました。具合が良ければ、好きなことをして、悪ければ、体を休めるという風に。

来年も、きっとこんな風に生きていくのでしょう。母とチャーリーと、助けてくれる妹と、みんなで楽しい時間をすごせるよう願いながら。

今年、ブログを訪ねてくださった方にお礼申し上げます。ありがとうございました。皆様の来年が良い年でありますように願っています。

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チャーリーと暮らす日々

2023-12-12 14:43:10 | 

ローリーが死んで2年、犬のいない生活をしました。家族3人で旅行も行けたし、気楽な生活をしたように思います。犬がいるとやはりほかの命のことを考えなくてはならないからです。

ローリーの温かさを、少しずつ過去のこととして考えられるようになったのは、2年経った頃でした。

夫に犬が欲しい、というと、「もう犬は飼わないんじゃなかったの?」と笑いながら言い、「犬を飼うのなら、早い方がいい。もう僕たちは犬を飼う年齢のぎりぎりだろうから」といいました。

ミニチュアダックスフントは、メリーとローリーだけでいいし、他の犬種を飼うことにしました。そしてやってきたのがヨークシャーテリアのチャーリーです。

チャーリーは、小さいころから活発で、怖れを知らず、私たちのほうが怖れてしまうほどの子でした (危ないことをするので)。やんちゃで、あまり素直ではなかったですが、でも本当にかわいらしくわが家の一員になりました。

チャーリーはいつも夫に遊んでもらい、ボール投げをしたり、一緒に走ったりしていました。その夫が倒れ、私も病気になり、急に家の中の2人がいなくなったのです。きっとチャーリーは、そのことを今も、心にとどめていると思います。

今も私には距離を取っていたりすることもありますし、でも、だんだん病院から家に帰ったときよりは、近づいているようです。何か安心できない人だと思われているのでしょう。いついなくなるかわからない、と思われているような気がします。

犬と人間は、お互いの命を感じあって生きています。その存在は、とても大切なものだと思って生きています。

この頃、チャーリーはとても年を取って弱ってきました。目もあまり見えません。それでも、おもちゃを持ってきて投げてといいます。投げるとどこにあるかが分からず、取りに行けません。それでも毎日おもちゃ投げをしたいのです。(私がおもちゃのところまで歩いて教えます)

耳も聞こえなくなりました。とても大きな声を出すと、聞こえますが、自分が呼ばれたこともあまり分かりません。

ベッドの上に上がるのも降りるのも、まだ何とかできますが、とても難しそうです。もう14才になり、3か月過ぎました。

これから、どういう風にチャーリーと暮らそうか、考えています。できるだけ、チャーリーの楽なようにと思っています。

メリーとローリーとピーターの最後はとてもつらいことでした。チャーリーともそういう別れがいつかやってくるでしょう。それでも、最後まで一緒に生きて、よく頑張ったねと言いながら送ってやりたいと思っています。

この絵は、2010年4月、大崎下島に行った時の写真を見て描きました。チャーリーはまだ1才になっていないころ、私は60才のころです。

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ローリーとピーター

2023-12-06 13:33:02 | 

ピーターは、ローリーと一緒に生まれたお兄ちゃんです。妹のところで育ちました。

メリーが元気な時は、去勢してなかったピーターが追いかけるので、あまり連れてこられませんでした。

ローリーがメリーの死後、元気をなくしたので、妹がピーターを連れてくるようになりました。

2匹はとても仲良しで、元気のなかったローリーも少しずつピーターのおかげで、元気になりました。

年を取ってからは寒がるので、おそろいの洋服を着ていました。この時は、色違いで、オレンジがローリー、ピーターはブルーグレイの洋服を着ています。

2006年の4月に津和野や山口に行った時の写真を見て描きました。ローリーとピーターは14才。顔の白いのは白髪です。私は、56才。乳がんの手術後、少し髪が伸びてきたころです。

ピーターは、生まれてすぐのころは、とても穏やかで、のんびりしていたのですが、妹のところに行って、幼稚園児2人とその友達にもみくちゃにされ、かなりのタフマンになりました。環境で変わるとは、よく言ったものです。

2匹は、わが家に来ると、顔を突き合わせて、挨拶をし、そのあとは一緒に何か探しては遊んでいました。疲れると、2匹で、コロンと横になり、お互いくっついてお昼寝をしていたものです。今もその姿を思い出すと、かわいかったなあと、ちょっと涙腺が緩みます。 

ローリーは16才になって1か月ほどで、ピーターは4か月ほどでかわいらしかった命を終えました。ローリーは、老衰のような感じで、ピーターは癌になって死にました。

命を終えるのは、犬もまたとても壮絶で、周りのものは何をしてあげたらよいか、わからないまま見ているだけという感じでいました。誰の命もずっと私の心に強い印象を残しています。

メリーとローリー、ピーター、みんなとても可愛い印象的な犬でしたから、もう次は飼えないねと、思っていたのですが、チャーリーがやってくるのです。犬は、私の人生の中で切っても切れない存在なのだと痛感しています。

犬のことを書くと、自分の生きてきた姿が少し見えるかと絵を描きました。あと1匹、チャーリーのことを書きますね。

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ローリーのいた日々

2023-12-04 14:16:49 | 

犬のいる日々は、自分の周りに、少し暖かい空気が流れているような気がします。犬は人に気持ちをつたえ、人も犬に気持ちを伝えて、お互いに分かり合えるように思います。

私が一番愛した犬は、ミニチュア・ダックスフントのローリーです。ローリーはメリーの生んだ犬の1匹でした。メリーのように賢さがピンピン伝わる犬ではありませんでしたが、その代わり温かな空気がふんわりと周りに流れているような犬でした。

なんでもメリーの真似をして、それで納得しているようでした。自分が自分がという感じは全然ありませんでした。自分の興味のあるところでは、やりたいことをやるという感じでしたが、周りを気にして何かをするという感じはありませんでした。

家族が大好きで、メリーも大好きでした。メリーが一度動物病院へ入院たことがありましたが、その時は帰ってきたメリーを見て、家じゅうを走り回って喜びを表現しました。

私が近所の赤ちゃんを抱っこしていると、私の周りを走り回って、ワンワンと吠えました。僕のお母さんが、誰か抱っこしているのを許せないという感じで。

ローリーは私にとっては、自分で取り上げた犬でしたし、ずっと一緒に生きてきたという感じがするのです。

ローリーは16才まで生きて、自分の命を生き切ったという感じで亡くなりました。最後のころは、体が弱く、しょっちゅう病院へ通いましたが、私は、できるだけローリーの楽なようにといろいろ工夫して過ごしました。

いろいろなことを感じるローリーとの生活でしたが、人と犬が一緒に生きるということが分かったと思います。

この絵は、1992年、私は43才、ローリーは1才になる年の写真を見て描きました。春にドライブして、ローリーと一緒に遊んだ時の様子です。一緒にいろいろなところに遊びに行ったなあと思い出します。実際のローリーは絵よりもずっとかわいいです。

このころは、とても元気で、走り回っていたローリーです。出かけても、メリーはおばあちゃんに抱っこされていたことが多く、ローリーは、夫や私と走り回っていました。若いころの犬は、走り回るのが特技のように走ります。そんなころの愛しいローリーの姿です。

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お友達

2023-12-03 22:56:25 | 私の日々
沖縄の友達が、お母さんの法事のために広島に帰ってきて、わが家を訪ねてくれました。去年も会ったので、1年ぶりです。

広島には、お母さんがいらしたころには、時々は帰ってきたので、今より会う機会は多かったのですが、今は、もうあまり会えなくなりました。

彼女とは、高校1年生のころに同じクラスになり、4人でお友達になり、そして、今続いているのは、彼女だけです。

高校のころはそれほど親しくはなかったのですが、大学が同じだったので、若いころの仲間意識や、同志的な思いや、友情など、いろいろなつながりがあり、大学の4年間で、友情を培ったと思います。

もう一人、大学時代にお友達になった人は、亡くなってしまい、彼女が今生きていたら、芯から話せるお友達だっただろうにと、とても残念です。

こうして若いときにお友達ができたのですが、今日訪ねてくれた彼女は、15才のころから付き合っていて、今私たちは74才、ああなんてすごいことでしょう。彼女とは、もう60年位付き合っているのです。

何もかも知っているような気がして、会っても、あまり近況などは話さず、犬のこと、子供のこと、老いのことなど話します。

でも、会えるのは、とてもすごいことです。彼女が健康で、私に会おうと思ってくれるから、会えるので、それは感謝の気持ちでいっぱいです。

友達というよりは、幼馴染のようなものですが、それが続いているのをとても素晴らしいことだと思っています。

今はもういつまで会えるかしらと、別れるたびに思います。別れはいつかやってくるのを、そういうものだと思い、少し寂しい気持ちでいるこの頃です。

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