美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

愛する人たち

2020-03-31 17:08:46 | 私の日々
大切に思う家族やお友達は、その一つ一つの存在がそれぞれ豊かに膨らんで、私にとってはかけがえのないものです。

そういう私の周りの大切な人たちのことを書いてきました。

この何年かで、夫が倒れ、自分も病気になり、杖をついて歩くようになりました。

そうした私に、世の中はとても冷たく、意地悪な言葉をかけられ、態度で示され、ひどいときには、差別をされることもありました。

人間は意地悪で、自分勝手なものなのだと、痛感したものです。

でも、そんなことばかり思っていては、生きていくことができません。

何も世の中の役に立たなくても、何も持っていないように見えるとしても、私には、素敵な家族やお友達がいると、大きな声で言いたいのです。

ブログを始めるにあたり、今の自分の状況と、周りの素敵な人たちのことを、改めて認識して、さあこれからどんなふうに生きていこうかと、考えているのです。



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友達

2020-03-31 14:40:23 | 私の日々
私には二人お友達がいます。一人は高校生のころからの、もう一人は大学生の時からのお友達です。

高校生のころからのお友達は、大学も一緒で、青春を一緒に生きたと思います。

結婚しても、お互いに遊びに行ったりして、もう半世紀以上のお付き合いになります。

彼女と会うと、若かった頃の自分たちの青春を思い出して、とても懐かしく、今の自分のつらい生活を少し忘れられるのです。

彼女は、私を、若いころに出会った時のままに受け入れてくれ、そして、私も、彼女のそのままの姿を、見ています。

もう一人のお友達は、大学で同じ研究室の1年先輩でした。

彼女も、青春の華やかなころに出会った大切な人です。

彼女とも結婚してからも、ずっとお付き合いをしていました。

東京に一緒に旅したこともあります。

おしゃべりをしても、つまずくことがない人でした。今まで、一番気持ちが伝わった人だったと思います。

なぜ過去形かといいますと、彼女は、病気で、68才の時に亡くなりました。

生きていたら、一生、大切なお友達だったと思います。

お友達は、二人とも、私を私のままに見て、私も彼女たちをそのままに見ています。

そういうお友達を持ったことに、深く感謝しています。



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家族 妹

2020-03-31 13:14:45 | 私の日々
私と妹は、4才違いです。子供のころは、いつも小さな妹と思っていました私は自分はお姉さんだと思っていたのです。

お姉さんだから、妹が幸せであることを、見守っていかなくてはならないと思っていたのです。

妹が大人になっても、私はお姉さんだから、という思いは、ずっと持っていました。

結婚して、子供が生まれて、その子供たちも、とてもかわいくて、いつも、妹の幸せと、家族の幸せを願っていました。

ところが、私がチャーグ・ストラウス症候群という難病になり、1年のうち、7か月も入院したのです。

夫も倒れて、私たちには子供がいませんから、何もかも妹にしてもらわなければならなくなりました。

妹は、それはもう口では表せないほど、私たち夫婦や母やチャーリーの世話をしてくれました。

ショートステイに夫に面会に行き、母とチャーリーは、自分のうちで面倒をみて、私の入院先にも面会に来てくれました。

エコノミック症候群の手術の時も、夫婦で立ち会ってくれました。

その後も、ずっと私が何とか生活できるようになるまで、手伝ってくれました。今も、いろいろなことをして助けてくれています。

本当になんというお姉さんでしょう。そして、なんて素敵な妹でしょう。

あまり役に立たないお姉さんですが、でも、妹の家族の幸せを願うことだけは、変わらず続いています。



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家族 チャーリー

2020-03-30 16:01:41 | チャーリー


チャーリーは、10才のヨークシャーテリアの男の子(子かな?)です。

以前、飼っていたミニチュアダックスフントのローリーが死んだとき、もう犬は飼わない、と決心しました。ローリーと私は心が伝わっていて、かけがえのない存在だったからです。

ローリーが死んで2年たったころ、悲しさは薄れていき、かわいかったこと、私と話ができるように思ったこと、楽しかったことばかりを思い出すようになりました。

夫に犬を飼いたいと言ったら、もう犬を飼わないんじゃなかったの、とからかわれ、そう思うんだったら、早く飼ったほうがいい、自分たちの年齢は、犬を飼う年齢のギリギリのところだから、と言ってくれました。

それで、わが家にチャーリーがやってきました。

チャーリーは、とてもかわいくて、利発で、やんちゃな男の子でした。私たちにもすぐになじんで、たくさんの幸せをくれました。

ところが、夫が6年前に倒れ、私がその1年後に病気になり、夫はあまり家にいられなくなり、私は、7か月入院してしまいました。

チャーリーにとっては(もちろん私たちにとってもですが)、晴天の霹靂、何が起こったか分からなかったと思います。

私が退院してきても、あまりそばに来ないで、母や妹にばかりくっついていました。夫が帰宅しても、全然そばに寄りませんでした。

そばに寄らなかった最初のころ、この子は賢くないんだと、腹立ちまぎれに思っていました。

でも、少しずつ私のそばに寄ってきたチャーリーを見ていると、私が勝手にいなくなったことを許せないんだと思うようになりました。きっと、夫や私に怒っているのでしょう。

今は、私が横になっていると、私の腕枕で寝ています。その様子があまりにかわいくて、チャーリーが何をしても許せるよねーと母や妹にいっている私です。




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家族 母

2020-03-29 15:43:20 | 私の日々
小学生のころ、学校から帰ったとき、母が「おかえり」とニコニコ笑ってくれました。毎日ニコニコ笑ってくれたその顔が、今も目に焼き付いています。

私は、小学生のころ、家から出ると、とても不安になる子供でした。

そんな私を、母は、そのまま受け入れてくれました。母の「おかえり」で不安をぬぐい去ることができたと思います。

今、私は母と二人で暮らしています。夫が倒れる前は、三人で暮らしていました。

ドライブに行ったり、旅行したりして、いろいろなところに三人で行きました。

いろいろなことに興味のある母は、水墨画をしたり、お茶をしたり、70才を過ぎてから、囲碁を始めたりして、人を驚かせたりしました。

その母が、今、95才になりました。

この頃は、私とおしゃべりをしたり、二人で昔の探偵ものや刑事ものなどのDVDを観たりして過ごしています。

物忘れはかなりするのですが、認知症にもならず、自分の足で歩いています。

母は、私と一緒に老後を過ごすことを、喜んでいます。そして、今が、一生のうちで、一番心が穏やかな日々だと、私に言ってくれます。



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