美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

薔薇が咲き始めました

2023-04-28 15:28:39 | 薔薇と庭
先日、春霞という薔薇が咲いたことと、写真を載せました。それは、本当に珍しいことで、私の庭では、今まで4月20日ころに咲いたことはなかったと思います。

たいていは、4月末に最初の薔薇が咲きました。スパニッシュ・ビューティーというつる薔薇です。大輪の華やかな薔薇で、香りもあります。それが咲いたら、薔薇の季節が始まります。



今年も27日にスパニッシュ・ビューティーのがくが降りて、何輪かが濃いピンクの蕾を見せてくれました。

スパニッシュ・ビューティーって、スペインの美女っていう意味ですよね。(スペインの美という意味かもしれないけど、美女のほうが薔薇の名前としてはいいかな)。どんな美女を思い描いて付けたのかなーと思います。

薔薇の名前は作出した人が付けられるそうで、いろいろなものがあります。自分の奥さんの名前を付ける人もいたり、イメージで付ける人もいたり、有名人の名前を付けるということもあります。

それぞれの薔薇が、自分の名前のように見えるのは、不思議な気がします。スパニッシュ・ビューティーは、華やかで、美しく、ダンスを踊っているようなそんな躍動感がある薔薇なのです。

これから、家にある元気な薔薇や弱々しい薔薇などが、花を咲かせていきます。写真が良い具合に撮れたら、ブログに載せますね。1か月半くらいの短い期間ですが、薔薇が庭を彩って楽しい時間が過ごせます。

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愛らしいメリー

2023-04-25 13:43:39 | チャーリー


メリーは私が2才から育てたミニチュアダックスフントです。私の両親が飼っていた犬です。だからメリーは、最初私や夫にあまりなつきませんでした。全然なつかなかったわけではなく、私や夫は、いろいろなことをしてくれる人と思っていたようです。

でも、心からなつくということはないかもしれないと思っていました。ローリーのように私たちに全幅の信頼を寄せるという訳ではなく、いろいろなことをしてもらえるけれど、最後のところで、ぷいとよそを向くという感じがしました。

でも、ローリーを家で育てることにした時から、メリーの戦争がはじまりました。ローリーより、自分がかわいがられたいと思い始めたようです。ローリーは子犬ですから、誰にでもとびかかってかわいがられようとしました。それをメリーは許せなかったようでした。


メリーはローリーとけんかするようになりました。ローリーも負けてはいないので、それはすごいけんかになりました。ある日、ローリーは、メリーに耳をかまれて、けがをしました。それは、ちょっとしたケガでしたが、私たちは、これは大変だと思いました。

このまま放っておくと、きっとけがをしょっちゅうするようになると思いました。みんなで相談をして、最初にメリーちゃん、ということを徹底しようと考えました。ローリーがとびかかって遊ぼうよといっても、まず、メリーちゃんあそぼ、というようにしました。

ローリーは初めは戸惑ったようですが、そのうち、メリーちゃんの後でいいや、ということが分かり始めました。親子で3才年が離れているのですが、生まれてすぐのころには親子のようですが、独り立ちするようになると、もうお互い犬として認識するようになります。

メリーは自分が最初にいた犬なのに、ローリーはずるいと思ったのでしょう。上下関係がきちんとなってからは、2ひきで、とても仲良しになりました。



メリーは、だんだん私たちに心を開き、ローリーとおばあちゃんとお父さんとお母さん、と思ってきたようでした。メリーは女の子らしい犬で、なつき方にも女の子らしさが見えていました。ローリーのようにストレートではなく、少しずつ近寄ってくるという感じでした。みんなメリーの歩くうしろ姿を見て、メリーちゃんは、モンローウォークだねえ、と言っていました。

ある日、もう14才になったころです。メリーはもうかなり弱っていました。歩くのもよろよろとして、体も触ると痛みがあるようで、誰にも触られたくないようでした。

そのメリーが、私のところに来て、私の膝をちょいちょいと触りました。何、メリーちゃん、というと、私の膝に頭を載せました。だっこしてほしいの? というと私をじっと見ています。私が抱っこしようとすると、体が痛いのか、ちょっと声を出しましたが、それでもじっと、抱かれていました。

私たちみんなで庭に出て、薔薇の様子を見ていた時でした。私の膝に抱かれたいという様子を見せたメリーは、ちょっとした垣根があるようだった私に抱かれることで、私たちみんな家族だね、お母さん、と言いたかったのでしょう。

その春から、季節が変わって、冬になったころ、メリーは病気で死にました。私は、朝の4時ころでしたが、起きていて、ずっと見ていました。夫と母を起こして、みんなで、メリーの顔を眺めていました。夫は、メリーの顔をなでてやっていました。

犬を飼うということは、必ず死を迎えるということで、それは、本当に辛く、なくしものをしたように喪失感があるのです。

当分は、メリーと遊んだ時に私を見た眼の愛らしさ、ローリーに負けまいと走る姿のかわいらしさを思い出しては、泣いたり笑ったりしていました。



犬を育てるのは、いろいろ大変なことがありますが、でも、それ以上に幸せな時をもらうことができると思います。

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可愛かったローリー

2023-04-23 14:43:56 | チャーリー


この頃、友達のこと家族のことを書いてきました。私にとってとても大切なものだからです。生きていく上で、それは思いがけない宝物のように大切なものだと思うからです。それで、あと少し、私が育てた犬たちのことを書きたいと思います。

私は今育てているチャーリーの前に、メリーとローリーというミニチュアダックスフントを育てていました。そのローリーのこと、メリーのことを書きたいと思います。

ローリーは、メリーが生んだ子犬の1匹です。家で生まれた時、一番小さくて、弱そうだったので、家で飼うことにしたのでした。

ところが、体は弱かったのですが(アレルギー体質でした)、気持ちは、やんちゃでストレートな表現をする犬でした。こげ茶でスムースのローリーが長い耳をたなびかせて走る姿は、見とれるほど、かっこよかったです。

若いころは、無頓着で、自分の思うように走って転んで、という感じの犬でしたが、メリーが死んだあとは、まったく元気をなくしてしまい、病気ばかりしていました。



ローリーはメリーが大好きで、メリーが乳がんの手術をして、1日入院した時には、帰ってきたメリーを見て、家中の部屋を走り回って喜びました。

年を取って散歩に行かなくなったメリーを見て、散歩に連れて行くと、メリーちゃんは? という風に後ろを振り返りながら、嫌がるのです。

そのうち、座り込んで、「お母さん、僕はメリーちゃんが行かないなら、散歩に行きたくない」というように私を見上げて言うように思えました。でも、ローくん、お散歩には行かなくちゃだめだよ、と引っ張っていっていたことを思い出すと、犬も感情があるのだと痛感します。

薔薇を見に来た人みんなと仲良しで抱かれていたり、座っている私の膝の上に座りにきたり、人を恐れず、人を好きだったと思います。そんな感情のストレートなところがとてもかわいらしく、私はローリーを愛していました。

ローリーも私を好きだったと思います。家族みんなを好きだったと思います。愛情が豊かでのびやかで、そんなローリーを思い出すと、笑みが浮かびます。



ローリーは16才で老衰で死にました。最後まで、のびやかな自然な様子で死にました。今も私はローリーを心から愛しています。そして、人間と犬との間も、愛情でつながれるのだと信じています。

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病院へ行きました

2023-04-21 20:17:42 | 私の病気
昨日 (20日)、病院の定期的な診察を受けに行きました。

いつもは、血液検査と尿検査の後、診察を受けて薬をもらうのですが、昨日は、検査をするため、朝8時30分に病院へ行きました。いつもの受診は午後3時ころが多いです。

私がいつも体がしんどいというので、医者がそれはステロイドの減らし方が悪かったのかもしれないといいました。私はおなかに注射をしてからずっと、病気のほうは状態がいいのです。でも体がきついというのは何か理由があるのだろうと、それで検査をすることになりました。

ステロイドは人間の体にとって必要なものらしく、5mgくらいは毎日起きた時に、自分で作るのだということを聞いたことがあります。

私の薬は、おなかにヌーカラを注射して数字がよくなってから、ステロイドが減りました。去年の9月から5mgが4mgになり、12月には3mgになりました。

ステロイドは減らす方がいいので、そういう風に早く減らしたのだそうです。でも、体が減らされたステロイドを作ることができなくて、体調が悪いのだろうといわれました。体がステロイドの少ないことになれないで、自分で作ることもできなくて、ステロイドが足らなくなったのだろうということでした。

それで、2mg 増やして、5mg を飲むことになりました。検査をして、結果をみて、ステロイドをまた減らすそうです。今度は、1日おきに5mg と4mgを飲んで、体がステロイドを作るようになることを促すようにしてみようといわれました。

またステロイドが増えて、体が肥満しますが、嫌だけど、仕方ありませんね。妹は、私が5mg 飲んでいる頃が一番調子が良かったように見えたそうです。

薬はたくさん飲んでいます。少しずつでも減るといいのだけれど、増えたりすることもあります。

また検査で早起きしなくては、というのが辛いですが、少しずつでも体が楽になればいいと思っています。

今日、初めて薔薇が咲きました。春霞という薔薇です。2輪可愛く咲いています。4月21日に咲くなんて、とても早いです。今年は異常に温かいのでしょうね。これから少しずつ咲くのを楽しみにしています。

 

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妹に助けられて

2023-04-17 22:15:10 | 私の日々
妹と私は4才年が離れています。4才離れていると、子供のころは、随分と年が違うと思っていました。私はお姉さんだから、妹のことは私が面倒を見てあげなくては、というのが、私の気持ちでした。ちょっとお姉さんぶっていました。今もそうかもしれません。

でも、2015年に私が病気になったとき、妹が最初から助けてくれました。病気が初めのうちわからなくて、診察の前でも、椅子の上で寝ていたような状態でしたから、それは、妹がいなかったら、大変だったでしょう。

病気が分かってからも、ずっと付き添ってくれました。入院しているときも、私がお菓子が好きなので、美味しいケーキをこっそり持ってきてくれましたっけ。

そのあと、股関節の骨折をして、そのリハビリの時、エコノミック症候群になりました。意識が無くなり、すぐ手術ということで、妹と妹の夫とが付き添ってくれました。

手術は、4時間くらいといわれたのに、時間が過ぎても終わらず、妹は、もうだめかもしれないと何回か思ったそうです。妹の夫は、まだ手術が終わったわけではないのだから、待ってみようと、言ってくれたそうです。

手術は6時間ほどかかりました。無事手術が終わって、妹は本当に喜んでくれました。手術の後は、1週間、痛みがあるので意識をなくしていたそうです。体はいろいろなパイプにつながれて、顔はブックり腫れて、それは、痛々しかったようです。

妹は母を連れて、毎日面会に来てくれたそうです。私は、何か話しかけると、首を振ってうなづいたようでしたが、私自身は、意識が無く、全然覚えていません。

それでも、少しずつ意識も戻り、少しずつ元気になっていきました。妹に、妹と母は幻影なので、写真を家の前で撮ってきて、そうでなければ、二人が現実なのか、幻影なのかわからないと、わがままを言いました。そんなことは覚えています。

私が病院にいる間、夫を施設に預けたり、母とチャーリーの世話をしてくれました。妹がいなかったら、本当に、私たち家族はどうなったかわかりません。

そんな妹に今もお姉さんぶっている私は、どういう人間なのでしょう。妹は、世話をする相手ではなく、世話をしてもらい、してもらっている相手なのです。

ただ、私は、ずっと妹のこと、妹の家族のことを大切に、何か困ったら、助けたいと思ってきたのは事実です。そんな気持ちが妹にも伝わっているのかもしれません。

今も、週2回から3回来てくれて、病院や買い物に連れていってくれます。来てくれる時は、必ずお料理を1品作ってきてくれます。出かけなくてもいい日は、庭の草取りをしてくれます。

本当に何もかもありがたく、感謝しています。妹が健康であるように、とそれだけを願っています。

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