美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

夫のゴルフクラブ

2024-02-06 20:03:34 | 
妹の子供・甥がメールで、おじちゃんのゴルフクラブをもらえないかと訊いてきました。

夫はとてもゴルフが好きでしたし、甥のこともとても可愛がっていましたので、置いておくよりも、使った方がいいだろうと思い、あげますとメールしました。

そうすると、その週の土曜日に子供を連れて、取にきました。甥は岡山県に住んでいます。

仕事の関係でしなくてはならなくなり、おじちゃんのクラブのことを思い出したようでした。

甥は夫のゴルフの道具を気に入ったようで、大事に使うといいました。

庭でスイングの練習をしていたのを見て、誰かに習っているの?と訊くと、おじちゃんに習ったといいました。

えっいつ? と聞くと小学校のころ庭で教えてもらったといいました。それを覚えているの? と聞くと、クラブの握り方も、スイングの仕方も、打つときに打つ方ではなく、ボールを見るのだということなど、たくさん教えてもらったといいました。

甥は今36才です。小学校のころに習ったことで、ゴルフができるといいました。まだ初心者ですが、ボールが飛ぶと嬉しいといいます。

私は、本当にびっくりしました。そういえば、子供たちを連れて、打ちっぱなしに行ったこともあったなあと思い出しました。

小学生のころに習ったことで、最初のやり方はわかったようです。甥もすごいですが、夫が小学生にゴルフができるように教えたということに驚きました。

人は、こんな風につながるのだなあと思います。人と人が出会い、誠実に対すると、相手に何かを残し、それが生き続けるのだと思うのです。夫はきっと、甥がクラブを使うことを喜ぶだろうと思います。

初めてのコースは4月20日だそうです。スコアを教えてくれるそうですから、楽しみに待っていようと思います。

 

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ブービー賞

2023-07-01 16:19:31 | 
この頃あまり楽しいことがなく、ブログにも愚痴や人への非難が多かったようなので、ちょっと反省しています。

ブログを始めたのは、老後の楽しいこと嬉しいこと心が躍るようなことを書いて、自分の人生をそんなに悪いものではなかったと思いたいという気持ちで始めたのでした。

Beautiful-sunset というのはそんなつもりで付けたタイトルなのでした。

それなのに、楽しくないことばかり書いてしまいました。なぜかといえば、楽しいこと、心の踊るようなことが私の周りで起こらないからというのが、一番の理由でしょう。

出かけるのは、病院がほとんどで、あまりよいことはないので仕方ないですね。

私は、毎日、映画やドラマやアニメの面白いものを観て、そして、寝る前には、本を読みます。それは、どれも楽しいことなのですが、受け入れるばかりのことのような気がしていて、自分から働きかけたり、話しかけたり、そんなことが少なくなっているのでしょう。

もっと心の踊るようなこと、それはきっと贅沢な望みなのでしょうね。

今、楽しいことを思い起こしても見つからず、昔のことを思い出してみました。

この頃、お香典などの茶の子として、カタログを送ってもらうことがあります。先日もそういうカタログを見ていて、コーヒー茶碗のセットの写真を見て思い出したことがあります。

夫は、ゴルフが好きでした。でも、ちょっと腕前はね、、、。スコアが100を切らないというのが悩みだったようです。

その夫があるとき、とても嬉しそうに帰ってきました。お土産を持って。それはブルーの花柄のコーヒーカップのセットでした。とてもきれいでおしゃれなカップのセットです。

それは、ブービー賞だったそうで、最初に賞品を見た時に、これは私の好みのカップだと思い、今日は、ブービー賞を狙おうと決めたそうです。普段はブービー賞を狙うことなどないのですが。

成績の発表の時、ブービー賞になりますように、と願ったそうです。それが運良く当たったので、今日は好いゴルフだったと嬉しそうでした。

私はきれいでおしゃれなコーヒーカップよりも、夫の嬉しそうな顔が嬉しかったです。いつも成績が悪いと情けない顔をしていましたから。

そんなちょっとしたことでも、人とのかかわりは、楽しいことが多いですね。人のことを思いやる人とのかかわりですけれども。

そんなことを思い出しながら、そのコーヒーカップもよく使ったなあと感慨深いです。

そして、小さなことでよいから、これからも何か楽しいことを見つけて書いていこうと思ったのでした。

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チャーリーの首輪とリード

2023-04-13 13:43:58 | 
チャーリーの首輪とリードを買いました。夫が残してくれたお金で買いました。



私たち、私、母、妹は夫が亡くなるまで、夫と心が近くにありました。亡くなったとき、とても辛くて、なくしものをしたように感じていました。

そして、夫がお金を少し残してくれたので、私、母、妹、チャーリーに何か買って、それを夫との生活の記念にしようと思いました。

私たちはちょっとした洋服を買いました。チャーリーだけはまだ買っていなかったので、インターネットで、首輪とリードを探していました。

かわいいというのではないのですが、シンプルで、おしゃれなものを見つけました。この頃はかわいい洋服を着ますから、首輪やリードはシンプルな方がいいと思いました。

これで、みんなその洋服を着るたびに、夫のことを思い出せるようになるでしょう。

夫が倒れた時には、少しずつ回復して、だんだん元気になるだろうと期待していましたが、コロナのせいで会えなくなってからは、だんだん弱っていきました。

夫は、我慢強くて、あまり弱音を吐かない人でしたし、自分のことより人のことに気を使うような人でした。

それが、倒れてからは、一変して、子供のように、わがままを言いました。ちょっとしたわがままなので、困ることはなかったのですが、私は、本当にびっくりしました。

一つとても鮮やかに覚えていることがあります。チャーリーは夫が元気なころは、夫に遊んでもらっていました。本当に仲良しだったのです。ところが、夫が倒れて家にいない時間が長くなると、チャーリーは、夫を避けるようになりました。夫も情けなかったようでした。

そして、私が、何かの話題で、「お父さん、チャーリーのこと好きでしょ」といった時、「僕はチャーリーが嫌いよ」といいます。どうして、と聞くと、「チャーリーが僕になつかないから、僕はチャーリーがきらい」といったのです。



こんなことは、絶対言わなかったよね、と思うと、なつかれなかった夫も、夫になつかなくなったチャーリーも、どちらもとても不憫で可哀想でした。

チャーリーは、様子が変わった夫に躊躇していたのだと思います。少しずつ寝たきりの夫に慣れてきて、そのうち顔を舐めに行っていましたから。

この首輪とリードを見るたびに、私や母や妹は、チャーリーと庭で走り回っていた夫の姿や、夫の椅子の半分を占めていたチャーリーのことを思い出すだろうと思います。
      
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夫の思い出もう一つ

2023-04-08 15:29:18 | 
夫と二人で、香港に行った時のことです。1997年1月でした。香港は1997年の7月にイギリスから、中華人民共和国に返還される年で、返還されたらどうなるのだろうと、話題になっていたことを覚えています。

飛行機が香港に近づくと、アナウンスがありました。香港のイルミネーションはとてもきれいなので、飛行機の中の照明を落としますので、窓からイルミネーションをみてください、というのでした。

それは、本当にきれいで、目を奪われるようでした。乗客は皆窓から見ています。そして、感嘆の声をあげています。

私も感動して、すごいねー、と夫のほうを見ました。ところが、夫は、暗くなった飛行機の照明の明るいところへ、雑誌を持っていき、それを読んでいるのです。

その雑誌は、飛行機の中で借りたもので、どうしても読みたい記事があったのでしょう。でも、もう二度と見られないであろう美しい贅沢な明かりを見ないというのはどうだろうと、思った私は、夫に見たら、といったのです。

夫は、迷惑そうに私を無視して、雑誌を読んでいます。私は、まあいいか、私は見よう、と思いその明かりを堪能しました。

飛行機を降りて、どうして、イルミネーションを見ないの、もう見られないだろうと思うよ、と非難めいた言い方をしました。夫は、僕はイルミネーションより、その雑誌の記事が読みたかったのだから、といいました。

その雑誌を買えばいいじゃない、というと、もう先週のもので、売っていないといいます。そして、飛行機に乗って、その記事を見つけたので、どうしても読み終わりたかったのだといいます。

その記事は、もう忘れましたが、政治か経済の、どちらかの記事だったと思います。

そのときは、人に合わせることができないのだから、と思いましたが、後で思い返すと、どんなにきれいなものでも、自分にとって興味のないものに感動しなさいという態度のほうが、おかしいだろうと思いだしました。

どこの飛行機だったかは忘れましたが、スチュワーデスは、日本人ではないアジア人だったと思います。誰もがそれを見て、きれいと感嘆し、照明を落としたことを喜ぶと思う方がおかしいのかもしれません。

ただ、夫はその記事を読み終えたようで、そのほかの人は、香港の美しい夜景に目を見張り、感動したのですから、良かったのでしょう。

こんなこともあったなーと、今は懐かしく思い出されます。

香港では、二人で歩いて、2階建てバスにも乗り、楽しかったです。あの頃の香港は、高層ビルと経済の町という感じで、生き生きと面白そうな町でした。イルミネーションは町でも見られましたが、飛行機の中から見たほどきれいではありませんでした。写真を少し載せますね。


 

私たちが歩いていると、インド風の衣装と顔立ちの男性が近寄ってきて、「偽物時計あります」と日本語でいいました。どうして、私たちが日本人だとわかるんだろう、と夫に言うと、ぼんやりした顔をしてるんだろうといいます。そういえば香港のビジネスマン・ビジネスウーマンは、緊張したきりりとした顔だったなあと思い出します。

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夫の思い出

2023-04-06 13:28:28 | 
夫が亡くなって、7か月たちました。今は、夫のことを思うとき、夫の姿は、生きているときのままに見えるのですが、でも、やっぱり肉がないし、心の動きが分かる目の表情はないのです。それはとても寂しいことです。

何か夫のことを思い出して、書いてみたいと思います。夫が、動いていた時、話していた時、面白かったことや、つまらなかったことなど、書いてみようと思います。

夫が倒れるまで、私たちは、夜10時ころに住宅街の中を歩いていました。その日は、寒かったのでしょう、私は、真っ白の綿入れのブルゾンとパンツをはいていました。

夫が後ろから私に追いついて、「あなたは、白い夜の蝶みたいだね」といいました。

なるほど、私は運動が苦手なのでしっかりとした歩き方ではなく、ひらひらと歩いていたのでしょう。白い夜の蝶というのは、とてもよく表した言い方だったと思います。

白い夜の蝶は、ちゃんとした目的も持たず、周りを見ながら、何かを探していたのかもしれません。

夫は、とても面白い言葉を使うことがありました。大学の卒論は、「永井荷風」で、若いころは小説も読んでいました。中年になってから、小説は読まなくなり、哲学書や歴史書、政治や経済の記事などを読んでいましたけれど。

私はその時のことをよく覚えていて、自分が、白い怪しげな蝶になった気分で、面白がっていました。

夫は、人をほめるのが上手で、私はほめられ過ぎかもしれません。

下の写真は、歩いているとき、イルミネーションをしている家があり、とてもきれいだったので、三脚を持っていき写させてもらった写真です。このころは、イルミネーションをしているお宅がたくさんありました。これは、2005年のクリスマスのころの写真です。3件のお宅で連続して、イルミネーションをしてあります。


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