美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

旅 帝釈峡

2024-06-14 16:08:26 | 

54才の時、乳がんが見つかり、抗がん剤、手術、放射線などの治療を受けました。家族に心配かけて、友人にも心配かけて、自分も死を身近に感じて、苦しんだときでした。

妹が、なんとか普通に暮らせるようになった秋に (手術は8月の初めでした)、私たち家族と自分の家族で、広島県の北部にある帝釈峡へ行こうと言ってくれました。

私の全快祝いをみんなで1泊してしようということでした。帝釈峡は、秋のモミジが美しいところです。休暇村があり、コテージに泊まることができるのでした。 

私たち家族と妹夫婦と姪、それからローリーとピーターで一緒にコテージの中で、雑魚寝しました。それはなんだかほのぼのとして、暖かい心遣いに満ちていました。

こんなに温かい旅はあまりありません。気を使うこともなく、ああ生きていてよかったなあとしみじみ感じた旅でした。

絵は、本館のホールで買い物をした時の写真を見て描きました。私の髪はまだ3ミリくらいしか生えていなかったので、かつらをつけて、帽子をかぶっています。髪が無くなった間は、いつもロングヘアーのかつらをかぶり、帽子をかぶっていました。

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旅 沖縄

2024-06-03 17:23:23 | 


沖縄には、友達が住んでいて、彼女が沖縄に住むようになってから、2回か3回行った様に思います。彼女とは、中学・高校・大学と一緒で、沖縄に行く前にもよく泊まりに行っていました。

沖縄は、暖かさが気持ちを緩くしてくれるのか、あまり人との関係が細かくないように感じていました。でも、それは、住んでいないものの勝手な思い込みかもしれませんが。

昔、友達に年を取ったら、沖縄に住みたいよ、といったら、彼女は、ひとこと「暑いよ」。

友達は、沖縄の布や染め物、瀬戸物などの特産品の工房などを案内してくれ、それは普通の観光ではなかなか見られない、とても魅力的な沖縄を見せてもらいました。

夫と二人で行ったのは1度だけ。二人で、観光地や夜のジャズ喫茶などを巡りました。こちらは、海やホテル、音楽、ファションなどを見て歩き、これも私たちなりの観光で面白かったです。

ジャズ喫茶でギターを聞かせてもらった男性とおしゃべりをし、若い女性歌手の歌や、お客の中にいた女性歌手の歌を聞かせてもらいました。歌は60年代ポップスです。それは懐かしく、楽しい1夜を過ごしました。

夫と行くと、こんな風に知らない人とおしゃべりをし、楽しい時間を過ごせることが多く、楽しい旅をしたものでした。

旅は、こんな風に気ままにできるのがいいと思います。沖縄は、そういう風潮もあるように思いました。なかなか思うようにならないことも多く、恥をかいたりもすることも多かったのですが。

友達がいて、暖かい気候にひかれて、沖縄は何度も行った好きな場所でした。絵は、夫と、読谷の海を見ながら、歩いた時に撮った写真を見て描きました。美しいエメラルド・グリーンの海をバックに写した写真の海も、私の描いた絵も、その美しさが表れていませんけれど。

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旅 京都

2024-04-16 13:23:33 | 

今まで、海外への旅を書いてきました。あとグァムに行ったことがありますが、海外は、ハワイ、香港、イタリアへ旅しました。

どこもいろいろなことを感じて、旅することの面白さを知りました。でも、海外はやはりお金もかかり、日程も長くなりますから、それほど行くこともできませんでした。

お休みが取れればどこかに行きたいねーと、気持ちが旅に向かいます。国内では、京都が私の一番好きな旅でした。

京都は、夫と二人で、若いころ2回行きました。そして、母と3人で、2回行きました。絵は、2009年仁和寺で撮った写真を見て描きました。夫がお休みのお正月に行き、廊下を薄いタイツで歩き、次に来るときはスリッパを持ってこようと決心したことを覚えています。

京都は見るところがたくさんあって、思い出すところはたくさんありますが、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を好きだった夫、嵯峨野の竹林を歩いたこと、秋のモミジの美しかった東福寺、黄金にに輝く金閣寺、私は中でも、銀閣寺からの哲学の道がとても好きでした。

古いお寺には、何かしらその寺独特の雰囲気があり、美しかったり、穏やかだったり、厳かだったり、それぞれの姿を見せてくれていました。ずいぶん前の旅なのですが、寺の姿をそのまま目に浮かべることができる寺がたくさんあります。

西洋建築の石の力という感じとは全然違う、木と空間のたたずまいがその空気を切り取っていたように思います。

何度行っても、次どこに行こうかと思うと京都が一番の候補です。今はどこにも旅することはできませんが、京都で行ったお寺をくっきりと思い出すことができます。

京都の町を歩いたこと、お寺を探して見つけたこと、美しい姿を思いがけず見たこと、家族で旅した小さな楽しい思い出がたくさんあるのも京都が一番なのです。

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旅 イタリア

2024-03-23 22:37:14 | 


姪が大学3年生のころ、友達が誰もイタリアに行かないというので、おばちゃん一緒に行ってくれない、と訊いてきました。

もちろん私は行きたい、と思いましたが、2004年に乳がんの手術をして2年でしたから、大丈夫かなと思う気持ちがありました。夫に相談すると、行っておいでよといわれ、やっぱり行きたいよねと思い、2006年の3月にイタリアへ姪と一緒に旅立ちました。

ヨーロッパは初めてで、それは歴史と伝統で骨格ができているという格調高い姿で、私を惹きつけました。建物は淡いベージュからレンガ色のグラデーションで高くそびえていました。

観光客を意識して、そういう部分を作っているという見方もありましたが、でも、そういう歴史を持っているということはよくわかりました。

ナポリ、ローマ、フィレンチェ、ピサ、ヴェネチア、ミラノと南から北まで、イタリアを縦断しました。少しずつの滞在時間で、しっかりとは見られませんでしたが、毎日イタリアを呼吸するという感じがして、とても面白く、楽しい1週間でした。

ナポリは、観光の街で、美しい別荘がたくさんあります。ポンペイの遺跡は、スケールの大きい古代ローマの遺跡です。

ローマは、いろいろな観光地も美しく、街は、ベージュから茶の色合いの美しい街並みで、石の重みが感じられるような風格のあるところです。

ヴァチカン市国へももちろん行き、世界一美しく大きなサン・ピエトロ寺院で壮大な彫刻などを観ました。美しく大胆な絵や彫刻を見て、圧倒されるような気がしました。

フィレンチェは、こじんまりした街で、街の中心の聖堂や塔などが温かい感じで包んでくれます。ウィフィツィ美術館は、ルネッサンス期の名画がたくさん収蔵されていて、イタリアの教会や美術館などはたくさんの宝を持っていると思いました。

ピサへも行きました。ピサはすべてのものが曲がって立っているところで、本当に塔が曲がって立っているのです。イタリア人は、曲がった塔の上に立て増ししていくときに、そのまま曲がったままに建てるのだそうです。日本人は、きっと曲がりを直して建て増しするだろうと思いました。国民性というものの違いなのでしょう。絵はピサの斜塔の前で撮った写真を見て描きました。曲がっているのは、手の不器用だけではないのです。

ヴェネチアでは、「ケレル」のレースを買いました。それは、とても美しいレースです。でも、きっとこのレース編みはなくなってしまうだろうといわれました。職人がいないのだそうです。水の街ヴェネチアは美しく、今にも滅びていくような繊細な趣がありました。

そして、最後はミラノ、大きなデパートに入りました。ミラノは、新しい経済の街の様相でした。「最後の晩餐」を見ることがてきたら、と思ったのですが。

イタリアを1週間歩いて、巨大なイタリア、繊細なイタリア、永遠のイタリア、滅びゆくイタリア、豊かなイタリア、貧しいイタリア、を見たと思います。 好きだったことも嫌いだったこともすべてをひっくるめて、イタリアは魅力に溢れた国だと思います。

青い空と乾燥した空気を今も思い出します。西洋文化の重さや美しさを少しだけですが観て聴いて、その圧倒的な姿に目を見張っていた私は、日本の国に帰ってきたとき、やはりちょっとほっとしたことを思い出しています。

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旅 香港

2024-02-22 15:49:39 | 

1997年1月、夫と香港へ行きました。

1997年7月に、香港はイギリスから、中華人民共和国へと返還されることになりました。

中国は「一国二制度」を約束し、香港に共産主義をすぐに施行しないとして、香港側の不安を取り除いたのですが、あれから、ずっと中国は、香港の中国化を目指しているように見えます。多くの人たちが戦い、傷ついた様子をテレビで見て、国の約束など何の価値もないものだと、思っています。

その自由な香港の最期を見るということで、香港への旅は人気がありました。私たちもそんな気持ちで香港へ行ったのでした。

香港は、スピーディーで、人々が闊歩し、高層ビルが立ち並んで経済の街という感じの街でした。香港の女性も男性も小柄ですが、きりっと締まり、前を見ながらさっそうと歩いていました。私はなんだかこのスピード感についていけないなあと思ったほどです。

二人で歩いていると、インド人かと思うような人が、私の耳基に、「偽物時計あります」と日本語で言いました。私はびっくりして、夫に「なんで私が日本人だと分かったんだろう」と訊くと、夫はすまして、「日本人はぼんやりしてるからわかるんだろう」というのです。

私たちは、香港の南のほうの商店街に行こうと計画し、行ってみると商店というより、テントで商品を売るといううらぶれた感じの場所でした。香港の華やかなビル街があって、こんな場所もあるのだと思いました。

帰りは2階建てバスに乗り、上に行こうと大はしゃぎで帰りましたが、今ならきっと2階建てバスはパスするだろうと思います。

美しい香港の夜景、颯爽としたビジネスマン、林立するビル、そんな美しくかっこいい香港ばかりではなく、インド人の商売、増えてきたと思う中国人(英語も日本語もしゃべれない人達)、南のほうのテントの人々、など負の香港を見たように思います。

夫と出かけるのはとても面白く、二人でいろいろな冒険をしたなあと思い返しています。

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