美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

足を痛めてしまいました

2023-08-29 19:11:41 | 私の病気
さあー、絵を描くぞと気持ち弾んでいたのに、転んでしまいました。

私は、左足股関節に器具を入れていて、転んだ時、ひねったようで痛みがきりりと走りました。

そのあと、歩けるし、大丈夫かなと思っていたのですが、やっぱり心配で、妹に病院へ連れて行ってもらいました。

レントゲンの結果は、股関節の器具や周りは異常なし、他に骨折もなし、ただ尻もちのせいで、骨にひびが入っていることもあるが、治療の方法はないということでした。

痛みはひどいものでしたが、足にも骨にも異常なしなので、安心しました。妹が泊まり込みで、家事をしてくれて、本当に感謝しています。

転んだのは、ブロックを敷いている場所の、5mmくらいの段差に躓いたためです。できるだけ足を高く上げて歩くようにしていますが、だんだんそのあげ具合が低くなっているのです。

足に力がなく、溜めが効かないという気がします。以前、リハビリ入院から帰ったときに、しょっちゅう転んでいたのですが、この頃は、あまり転ばなくなりました。足に力もついてきたのだと、ちょっと安心していたのですが、今回の転倒で、まったく自信がなくなりました。

年は取るし、ステロイドは減るしで、なかなか体調を維持するのは難しいです。

転んだ時に、誰にも助けてもらえないという状態でした。母が外を見てくれるといいのだけれどと思い、しりもちをついたまま炎天下の中、少しずつ動いていたのですが、なかなか家にたどり着きません。

少したって、えっ、転んだの、と母が来てくれました。30cmくらいの高さの椅子を持ってきてもらい、私は支柱につかまり、母が後ろから引き揚げてくれて、必死の力でずり上がり、後ろの椅子に座れました。それからは、何とか、立ち上がることができました。

母の力は弱くても、私が必至でずり上がったとしても、母がいなければ、私はどうなっていただろうと思います。母は98才です。

母と妹、二人に助けてもらいました。二人は私の大切な家族です。助け合う家族のいることを、今とても感謝しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5才のころ

2023-08-25 22:53:30 | 

絵を描くと思うと、何かしら心弾んで、何の予行演習もなく書き始めてしまいました。5才のころの凛子ちゃんです。

写真を見て描きましたが、全然似ていないです。似ているのは、ヘアスタイルだけですね。

描いているうちに思い出したこともあり、描き終わって思い出したこともあり、これからはもう少し、ましになると信じたいです。

このころは、浴衣を着て、金魚のお昼寝などを家族の前で踊ったり、お祭りにお化粧してもらって着物を着て参加したりしていました。にぎやかで、華やかなことがすきだったと思います。

洋裁の上手だった母が、黒のビロードのワンピースに白いレースの襟を付けてくれたものを着ています。絵には洋服の感じがあまりよく出ていませんが可愛かったです。何かしら覚えているのです。レースの縁どりの球を引っ張ってレースをメチャメチャにしたことも。

この次は、大人になったときの写真を見て描こうと思います。どんなふうに大人になったのでしょうか。絵を見てわかるようだといいですね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにかできないかな?

2023-08-24 15:13:14 | 
夏も終わりに差し掛かっています。

この頃は、体調があまりよくなく、以前より、トアラセットをもう1錠と思う日が多くなりました。

出かけるのは、母と自分の病院、月1回の日用品の買い物、月半ばにゆうちょ銀行、それだけです。それでも、出かけると疲れて、次の日は休んでいます。

家事も、あまり積極的にするわけではなく、やらなければならないことをやって、あとはベッドに寝転んでいます。

映画やアニメや連続ドラマの面白かったものを録画しているので、毎日それを1本か2本観ています。でも、そんなに面白いものはなく、途中寝てしまうこともよくあります。

寝る前には必ず本を読みます。面白い本に当たると1時間以上読んでいます。本を読むのは、子供のころからの、自分の生活の姿でしたから、本がないと暮らせません。

こんな風に毎日暮らしています。でも、この頃、そんな生活にちょっと不満を持つようになりました。人が創作したものを楽しませてもらっているということですから。

私も何か作りたいと思うようになりました。ブログを書くのは、創作だと思いますが、自分の生活を書くことは、なかなか難しいものですから、今、書くことを見つけられません。

そんな中、自分が書いた絵の下書きを見つけました。私の絵に何か魅力があるかどうかはわかりませんが、でも、私は、絵を描くことが好きだったのだなあ、と思ったのです。

自分の命が、あまり長いわけではないだろうと思うこの頃、自分の赤ちゃんのころからの、絵を描いてみようかと思うようになりました。

昔のアルバムを探し出し、この写真を描きたいと思うものを少し見つけました。自分というより、私の年頃の女性の絵を描くという気になっています。

今は、体調もすぐれず、休まなければならない日が多いので、いつのことになるかわかりませんが、絵を描くことを始めたいと思うのです。簡単な水彩色鉛筆で描く絵ですから、見てもらえるかどうかはわかりませんが、やってみようと思います。

生きている間は、与えられるばかりではなく、自分のことを表現したいと思うものだと感じています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「図書館の魔女」

2023-08-13 15:01:54 | 本・映画


一の谷の王宮の後ろにそびえたつ高い塔の図書館があります。そこに、政治・経済・文化のすべての書物を繙き、多くの言葉を操り、国のすべてのもとを決めていく「図書館の魔女」と呼ばれる女性がいます。

その魔女マツリカのもとへ、彼女のお世話をするためにキリヒトという少年が送られてくる、という場面から始まります。

魔女マツリカは、言葉をしゃべることができず、音は聞こえるので、相手は言葉を話して、手話でマツリカの言葉を理解するというスタイルで会話します。それでも、多くの事柄を話し聞いて、多くの本を繙いて、国のすべてのもとを決定するマツリカは、素晴らしい能力の魔女として、人々に恐れられています。

周りの人たちは、マツリカを見たこともあまりなく、彼女がまだ少女といえるほど幼いことをあまり知りません。

そんなマツリカのもとへキリヒトがやってきます。最初は、キリヒトは、図書館での仕事をしながら、マツリカの世話をするように思われていたのですが、実は、幼いころから、暗殺者として修行をしてきたのです。そして、本来はマツリカの身の護衛のために送られてきたのでした。

キリヒトは、体を無駄なく使い、マツリカの手話から始まり、指話まで使えるようになり、マツリカにとって大切な相棒になっていきます。

うら若き少年少女の、地下道の探検、市中の発見などを通して、二人はお互いをよく知り、成長していきます。

でも、これは、少年少女の恋のお話ではなく、(それもちょっとはありますが)、一の谷と北の国々の戦争が始まりそうな中、魔女マツリカの戦争をなくして、お互いの国が、どうすれば自分の国を豊かに平和にしていけるかという企みであり、奇策です。

たくさんの魅力あふれる人たちが、自分の力を発揮して、それぞれの国の平和を勝ち取ります。様々な人々の魅力、理性、愛情、知恵、力が発揮されるところは、とても読みごたえがあり、この本が終わるのが寂しいと思われるほどです。

私が一番好きな部分を少し抜き書きします。
私が死んでも、私が滅しても、私の言葉はまだ滅びない。ハルカゼが、あるいはキリンが、あるいはキリヒトが、次に「私の言葉」となり「私」となるだろう。

マツリカの言葉ですが、言葉は文化だと実感する本です。

文庫本4冊の大部ですが、どこを読んでも面白い!! なかなか出会えない素晴らしい本です。作者は、高田大介です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャーリー、ショートカットになる

2023-08-05 01:26:18 | チャーリー


チャーリーが毛を短く切りました。最初は、毎月2cmくらい切って最終的には、サマーカットといわれるショートカットにしようということでした。

私は、今まで、ずっとチャーリーの毛を伸ばしてきましたから、本当に名残惜しくてたまりませんでした。

それで、インターネットでヨークシャーテリアのカットを調べてみると、からだはショートカットで、耳と足の毛が長いヨーキーの写真を見つけました。

ああこれだ、とその写真を持ってトリマーさんのところへ、相談に行きました。あまりこういうカットはしないといわれたのですが、頼んでやってもらうことになりました。

そして、今日、チャーリーはショートカットになりました。耳の毛は長くしてあります。



チャーリーはヨーキーとしては大きいので、しっかりした感じがして、かわいいですと、トリマーさんに言われました。

なんだか、子犬のころに戻ったようでもあり、前から見ると大人で後ろから見ると子犬という感じです。

これからは、洋服も着せやすくなります。夏はリボンを巻いて、秋から春まで洋服を着ることになるでしょう。

チャーリーがカットしたのは、ブロウするときにうなり声を出したということが一番の原因です。それ以外にも首から下の毛が長くて水を飲むのが難しそうだったり、体がかゆくてしょっちゅうかいていたり、便が毛にくっついて取れにくくなっていたり、暑い日に長い毛が悲惨なように見えたりしたのが、ショートカットにした理由です。

それに、もし病気になっても発見しやすいように思えたし、治療もしやすいように思います。病気になって、カットするよりは、今元気なうちに、カットした方がいいと思ったのです。



それでショートカットになりましたが、ちょっと若返ったような外見に、まあよかったんじゃないかなと思っています。いろいろな要望はありますが、チャーリーだから、何でも可愛いというのが私の感想です。母は、長い毛のほうが良かったといって、チャーリーを眺めています。

私たちは、チャーリーがわが家に来てから13年ほど、毎日ずっと毛をとかしてきました。それは口で言うのは簡単ですが、かなり大変なことです。それがチャーリーの長い毛への誇りだったのです。母の気持ちもよくわかりますが、私たちも年を取りコーミングが億劫になり、チャーリーも年を取って、いろいろな不具合がでてきたということでしょう。

これからは、チャーリーが、病気をしないで、元気に老後を過ごしてほしいと、心から願っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする