美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

生きるための戦い

2021-02-24 15:35:28 | 薔薇と庭
庭にくろがねの木があります。

1月下旬に、妹が、くろがねの木の下に枝や葉っぱがたくさん落ちているので、気を付けてみていたら、小鳥が木の中でけんかしていたよ、と教えてくれました。

2月上旬に、ふと見たくろがねの木に、実が全然なっていないことに気が付きました。

きっと、鳥たちが冬の間に食料にしていたのでしょう。

今年は、かなり実がたくさんなっていたのに、全然なくなっていました。

写真は、去年の11月に選定してもらった頃の実のあるものと、2月上旬の実がなくなった時の写真です。

  

 

小鳥たちが喧嘩しながら、実を取り合っていたことを思うと、自然の中で生きていくことの大変さを思います。

もう10年くらい前になりますが、庭で猛禽類の鳥に、ハトのような鳥が襲われて一緒に落ちてきたことがあります。

襲ったほうの鳥のほうが小さいくらいで、運ぶことができないのか、庭で食べて、何度か飛び立とうとしましたが、なかなか飛ぶことができないようでした。

その襲われた鳥が食べられる場面を、私と母は、何をすることもできず、家の中からじっと見ていました。

やっと運べる大きさになった鳥を、巣に運んで行ったのでしょう、鳥が飛び立った庭を眺めて、怖れと安心とが入り混じったような複雑な気持ちになりました。

それは、とても恐ろしい情景でした。そして、ああ生きるということは、こういうことなのだなーと思ったのでした。残酷で痛々しいものだと。

動物たちのTV番組を見たりすると、野生の動物は、生きるために、子孫を残すために、ひたすら努力しています。そして、弱いものは見捨てられることが多いと思います。

人間は、弱くても、何とか生きられる仕組みを作ってきたのだと思うと、ああ人間に生まれてよかったのだろうな、と思ったりするのです。

小鳥たちの木の実の取り合いから、鳥の狩りを思い出し、そんなことを思った冬の1日でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジョン・ランプリエールの辞書」

2021-02-11 14:11:36 | 本・映画


この本を読み始めてから、3か月ほど経ちました。ハードカバーで592ページのこの本は、本当に読み応えのある本でした。



以前読んだことがあるはずなのに、何もかも忘れてしまっていて、今回その物語の大きさにびっくりしてしまいました。

ジョン・ランプリエールは、実在の人物で、「ランプリエールの辞書」は、実際に存在する本です。ギリシア・ローマ神話や古典文学の人名や地名などを書いた辞書なのだそうです。

その古典世界の魅力にあふれた辞書と、現実の世界の事件を重ね合わせて、ミステリーと歴史と若者の恋などを描いた奇想天外な物語です。

時代は、フランス革命のころ、ランプリエールが恋する女性の水浴姿を見たことで、彼の父親が殺されたことから始まります。その遺産相続のためにロンドンに行き、様々な人々に出会い、殺人事件に遭遇します。

そして、東インド会社、新教徒の弾圧から起こった無残なラ・ロシェルの終焉、それを見過ごしたカバラの面々など、それらのこととランプリエール家とのかかわりを知り、ジョンはその犯罪を糾弾し、そして、恋するジュリエットと二人で、カバラから逃れるのです。

二人は逃げおおせ、悪人は滅ぼされ、若者の未来がほんのりと描かれて、小説は終わります。

最初はなかなか分かりにくい小説でしたが、少しずつ真相に迫っていくと、歴史の中で、人々が動かされ、踏みにじられていく様子が分かり、その中でも、一人一人は、自分の幸せを見つけていくのだと思わせます。

ギリシア・ローマ神話の古典的な世界、フランス革命のころの街中の動き、カトリックのフランスが新教徒を弾圧し、その結果のラ・ロシェルの無残な終焉、ジュリエットの出生の秘密など、面白さは満載で、厚くて長い本の世界を満喫しました。

作者は、ローレンス・ノーフォーク、イギリスの作家です。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嬉しかったこともう一つ

2021-02-03 15:16:02 | 私の日々
夫の声を聞けたことが、最近うれしかったことの一つですが、もう一つ、とてもうれしかったことがあります。

夫も私もまだ元気だったころに、私が行っていた美容院の美容師さんのことです。

彼女は、とてもセンスが良くて、いつも あ、素敵、と出来上がったヘアスタイルを見て思うのでした。

神経が細やかなのに、大胆な性格で、話すととても気持ちが豊かになるように思える人です。彼女の家族のお話、私の家族のお話、薔薇のお話、油絵を描いていた頃なので絵のお話など、いろいろなことを話しました。

その美容室が閉鎖になることになり、彼女がどこかで美容師を続けるのだったら、そこに行きたいと思っていました。

でも、美容師はやめて、美容の会社にお勤めすることになったといわれました。

彼女のお勤めした会社はとても忙しく、メールをするのも気を使わなければなりませんでした。彼女とのお付き合いも、だんだん間遠になり、このごろは、もうお付き合いも終わったかなと、思っていました。

それが、先日、1年半ぶりに、メールが届きました。会社を辞めて、今は、自宅でゆっくりしているとのこと、昔、美容院で私とお話したことを懐かしく思い出している、というメールでした。

私は、本当にうれしくて、ちょっと涙がこぼれそうになりました。今の私の周りには、お金に関係のあるつながりしかないからです。

もちろん、私の家族、妹の家族、そしてお友達、ブログを読んでくださる方たちは、違いますけれど。

お金に関係のないつながりは、私に親しみと慰めをくれます。彼女のメールを読んだとき、私は、本当に感激して、少しじっとしていなくては、涙がこぼれそうだ、と思ったのでした。

私のいろいろな選択から、私は今、ほとんど何も持たなくなってしまったのでしょう。でも、それはそれで仕方ないことだったと思います。

持っているものを慈しみながら、自分の人生は、自分で選んだものだから、と思っているこの頃に、こんな風な幸せがふいとやってくることを、人とのかかわりの不思議さだと思っています。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに声を聞いて

2021-02-02 13:45:47 | 
去年の年末頃から、夫とオンライン面会をしています。

以前は、施設の1階面会室で、3階の夫と面会していましたが、この頃は施設での面会ができなくなり、家で、パソコンにZoomというソフトをインストールして、面会しています。

2月1日は、5回目のオンライン面会日でした。

これまでは、夫は、画面もあまり見ないで、私たち(私の母、妹、私)の声にもうなづくか首を振るかという反応でした。

いつも、「お父さん、こんにちは」(私たちには、子供はいないのですが、飼い犬のお父さん、ということです)といい、「元気ですか?」と聞くことから面会が始まります。

でも、夫は何も返事をしませんでした。そのあと、10分間の面会の時間にも、何も声が出ませんでした。

施設の方々は、夫が「こんにちは」とさっき言ってくれましたよ。いつも挨拶してくれますよ、と言われるけれど、私たちには、声が出ません。

質問などには、反応するのですから、パソコンの画面の私たちの存在がわかっていないのだろうと思っていました。

それが、2月1日の面会の日、「こんにちは、元気ですか」と問いかけた私に、夫が「ハイ、元気です」と答えました。

私たちはびっくり、そして、大喜びしました。

それから、施設の相談員さんも一緒に、夫の好きなスポーツや、今度一緒に観ようといっている映画の話など、話が弾みました。

夫は、ラグビーのテレビ観戦が好きだったという話のとき、相談員さんが、そうなんですか、と言われたので、私が「お父さん、ラグビー好きよね」と念を押すと、「うん、好き」と答えました。

それ以外にも、2回ほど「はい」と言いました。最後は、「バイバイ」と言いました。

何か月ぶりかで聞いた夫の声は、以前より、ガラガラ声だなと、思いましたが、でも、私は本当に嬉しくて、そのあと、夫の「はい、元気です」を思い出しては笑っていました。

きっと、施設の人たちに話しかけてもらっているのだろうと、感謝の気持ちでいっぱいです。

あまりいいこともない日々ですが、こんないいことが起こるのだなと、ちょっと感動しています。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする