ブログを半月以上放置していました。
5月の初めから、3週間以上、外壁の補修をしてもらいました。その足場を取り外したときに、ボイラーから水漏れしていました。
調べてもらうと、ボイラーが故障しているので、修理するか新しいものに取り換えるかする方がよいとのこと。
結局、ボイラーの修理が終わるのに、7月12日までかかりました。
そして、7月15日、ものすごい雷がわが家の近くに落ちたのだろうと思います。その後、家の固定電話が故障していることに気が付き、また、修理をしなければなりません。
5月から7月まで、ほとんどゆっくりすることができず、誰かが家に来たリ、私が出かけたりして、日々の平安などというものとは程遠い様子でした。
わが家は、築36年になります。家はかなり傷んで、いろいろなところを補修しなくてはなりません。
夫が倒れた時は、経済的に無理だから、何もかも放置して、母と私が死ぬまで、今までのままで住みましょうと思ったのですが、母も私もすぐにどうこうなるということもなく、やっぱり家が汚いのは、いやだなーと思うようになりました。
夫が倒れてから、お風呂の改装、壁紙の張り替え、床の張り替えをしました。そして、外壁と、ボイラー、などなど、家は、どんどん古くなり、どんどん手を入れなくてはなりません。
作られたものは、どうしてもくたびれていき、直さなくてはなりません。空気や、熱や、人間や、その他さまざまなものに影響されていくのでしょう。
今あるままのものが、ずっとそのままということはないだろうと思います。
家のことばかりではなく、今、夫は入院しています。細菌性の肺炎で熱が出ました。すぐに熱は引き、今は元気になったようです。(看護師さんのお話)
だんだん年を取っていくと、夫は、肺炎を起こして、だんだん弱くなり、死を迎えるだろうといわれています。
私も、病気の治療はできないので、いつも対症療法をしています。この頃は、足の状態があまりよくなくて、転んだり、転びそうになったりします。
体調があまりよくないので、いつ死を迎えるかという不安を持つことがあります。でも、もう71才の私が死んでも、誰もお疲れさまとしか思わないのではないかと思ったりします。
71才は、死の前では、あまり珍しくない年齢なのではないかと思うのです。
若いころのことを思えば、死は身近になりました。でも、やはり、死に対する覚悟はまだできていないと思います。
これから、どのくらいの長さがあるかわかりませんが、死を迎える自分を作っていければいいのだけど、と思っているのです。