美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

「図書館の魔女 烏の伝事 (からすのつてこと)」

2024-02-27 12:58:34 | 本・映画


去年の夏に「図書館の魔女」を読んで、本を読むことの醍醐味を思い知らされました。この「烏の伝事」もきっと気持ち持っていかれるなあと思いながら読み始めたのです。

ところが、図書館の魔女が出てこない、えっという気持ちでしたが、でも面白い。今回は山賊(やまがつ)と呼ばれる山で暮らす者たちが、ニザマの姫君を南のほうへと向かう船の出る港に案内するというところから始まります。

山賊たちと姫君とそれを守る護衛の近衛たちの旅は、港の廓に着いたところで終わったはずだったのに、山賊たちは、自分たちの命が危ないことに気が付き、夜のうちに逃げ出します。近衛たちは3人ばかりが命からがら逃げ出すことができたのですが、姫君は廓に留め置かれます。

港は荒れ放題の様相で、山賊も近衛も逃げ出すことができません。そして、地下の穴倉に住む鼠と呼ばれる子供たちに助けられます。

そして、姫君の救出やつかまっていた仲間の救出などするのですが、誰も何に追われているのか、なぜ追われているのか、が分かりません。

そして、最後のころになって、図書館の魔女が登場します。港の寺院に置いてあった本を水に痛められないように救出するためにです。

マツリカが登場すると、待ってました、という感じです。とても魅力的な女性がちょっとひねくれた様子でいるのです。

誰に追われていたのか、ということを言うとあまり面白みがなくなるので、言わないことにします。

大変な冒険を山賊たち、近衛たち、鼠たち、そして一の谷のスパイなどが、大活躍して、解決するのです。図書館の魔女がそれを見通していて、手助けしたのは当然のことです。

そして、エゴンという鳥飼と烏の活躍を言わなければなりません。エゴンは子供のころのけがで顔に傷があり、口もゆがんであまりしゃべることができません。人は皆彼を痴呆のように思い、烏を飛ばすことだけに力を認めていました。

しかし、彼は物事の自然な姿を見ることができ、成り行きの流れを見ることができ、文字さえも読み書きできるのでした。彼と烏の活躍が無くしては、事件は無事解決しなかったかもしれません。烏の伝事という題もエゴンの活躍を言っているのです。

「図書館の魔女」「図書館の魔女 烏の伝事」のどちらにも大きな政治の動きがあり、一の谷、ニザマ、アルデシュなどの国々のこれからがどうなるのかと、楽しみです。きっと続編があるだろうと思います。そこには、キリヒトも出てくるかなあと想像しています。

作者は、高田大介です。緻密な美しい日本語の文章にひきこまれます。彼の教養の豊かさがよくわかる魅力的な本です。

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旅 香港

2024-02-22 15:49:39 | 

1997年1月、夫と香港へ行きました。

1997年7月に、香港はイギリスから、中華人民共和国へと返還されることになりました。

中国は「一国二制度」を約束し、香港に共産主義をすぐに施行しないとして、香港側の不安を取り除いたのですが、あれから、ずっと中国は、香港の中国化を目指しているように見えます。多くの人たちが戦い、傷ついた様子をテレビで見て、国の約束など何の価値もないものだと、思っています。

その自由な香港の最期を見るということで、香港への旅は人気がありました。私たちもそんな気持ちで香港へ行ったのでした。

香港は、スピーディーで、人々が闊歩し、高層ビルが立ち並んで経済の街という感じの街でした。香港の女性も男性も小柄ですが、きりっと締まり、前を見ながらさっそうと歩いていました。私はなんだかこのスピード感についていけないなあと思ったほどです。

二人で歩いていると、インド人かと思うような人が、私の耳基に、「偽物時計あります」と日本語で言いました。私はびっくりして、夫に「なんで私が日本人だと分かったんだろう」と訊くと、夫はすまして、「日本人はぼんやりしてるからわかるんだろう」というのです。

私たちは、香港の南のほうの商店街に行こうと計画し、行ってみると商店というより、テントで商品を売るといううらぶれた感じの場所でした。香港の華やかなビル街があって、こんな場所もあるのだと思いました。

帰りは2階建てバスに乗り、上に行こうと大はしゃぎで帰りましたが、今ならきっと2階建てバスはパスするだろうと思います。

美しい香港の夜景、颯爽としたビジネスマン、林立するビル、そんな美しくかっこいい香港ばかりではなく、インド人の商売、増えてきたと思う中国人(英語も日本語もしゃべれない人達)、南のほうのテントの人々、など負の香港を見たように思います。

夫と出かけるのはとても面白く、二人でいろいろな冒険をしたなあと思い返しています。

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旅 ハワイ

2024-02-13 12:16:49 | 

初めていった外国はハワイでした。母と2人で40代の初めに行きました。

母と暮らすようになって、母が海外旅行をしたことがないので行きたいといったからです。

私は、その頃は、海外に行くことなど考えていませんでした。人はどこの人も同じだと思っていたのです。わざわざ出かけていくことなどないじゃないかと思っていました。

でも、母がどうしても外国に行きたいというし、飛行機にも乗りたいといったので、旅行代理店に行き、相談しました。

初めての海外ならハワイがいいでしょう、といわれ、日本語が通じるし、たくさんの日本人が行きますから。

私は、英語なら、中学校から大学1年までやったのだから、きっと大丈夫と思い、ハワイに行くことにしました。

どこの人も同じだという思いは、ハワイですっかりなくしてしまいました。人は、住む国にも、住む環境にも、仕事にも、いろいろなことによって、まるで違うのだということ。

人間としての根本的なところは、良心とか、情緒や、権利も普遍的なものはあると思いますが、そのあらわれ方は、国によって全然変わるのだと思いました。

ハワイで会った人たちは、ガイドや観光にかかわる人だけでしたが、多くの人たちは、日本人に対して、好感を持っていないと思いました。

多くの日系のアメリカ人は、どうしてそこにいるのかということを考えるだけでも、日本を好まず、大挙して訪れる日本人を嫌っているように見えました。

私は、英会話などほとんどできないまま、ホテルのフロントに単語だけを並べて四苦八苦したのでした。その時のフロントの日系アメリカ女性の軽蔑の目つきを忘れることができません。

私は帰国して、英会話の教室に通い、英語を勉強しました。単語や文法などは分かっても、どういう風にしゃべるのかを全然理解していませんでした。そして、観光旅行に行くくらいの英会話なら何とかしゃべれるようになったのです。

人は、どこに住んでいるかということは、どうしてなのかを考えなくてはならないのだろうと思います。同じ東アジア系の顔ですが、あまり同じ人種とは思えなかったのでした。

外国に行くことで、知らない人の思いを見ることができるような気がしました。

この絵は、ハワイに着いて、ホテルに行く時間を待った公園でのものです。風景画はほとんど描いたことがないので、バックはなんとも言えない出来ですが。

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つる薔薇の誘引

2024-02-09 19:24:45 | 薔薇と庭
冬はつる薔薇の誘引をしなければなりません。私は、もう薔薇の世話は難しいと思うので、あまり積極的な気持ちではありませんでした。

妹が、私がやってあげるから、座って指示を出してといいます。その気持ちにほだされて、できるだけ暖かい日にやることにしました。

一番最初に咲くスパニッシュ・ビューティーから始めました。座って指示というのはなかなか難しく、どうしても手を出してしまい、結局低い場所を自分でやることにしました。

妹は、アーチの高い部分を脚立に乗って、やってくれました。枝が絡んでいて、難しかったと思います。



妹のおかげで、つる薔薇を1本誘引しました。これからも暖かい日に少しずつやっていくことになりました。

放っておくと、枝が伸びて、邪魔な部分は切らなくてはなりません。形も美しくないですし、花もきっときれいには咲かないでしょう。

きれいな薔薇を見ようと思えば、どうしてもいろいろな世話を必要とします。自分ではできないと思っていましたが、妹がやってくれるので、今年も何とかきれいに咲いてくれるだろうと思います。

写真を撮りましたが、あまりきれいな写真ではありません。アーチの部分は妹が、私は手の届くところをやりました。


妹のおかげで、できないと思うことも少しずつやれます。花の世話もですが、お掃除やお料理など家事全般を手伝ってくれます。いつも妹には、感謝の思いでいっぱいです。

今年も薔薇がきれいに咲くでしょう。花の季節を楽しみにしています。また写真を載せますね。

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夫のゴルフクラブ

2024-02-06 20:03:34 | 
妹の子供・甥がメールで、おじちゃんのゴルフクラブをもらえないかと訊いてきました。

夫はとてもゴルフが好きでしたし、甥のこともとても可愛がっていましたので、置いておくよりも、使った方がいいだろうと思い、あげますとメールしました。

そうすると、その週の土曜日に子供を連れて、取にきました。甥は岡山県に住んでいます。

仕事の関係でしなくてはならなくなり、おじちゃんのクラブのことを思い出したようでした。

甥は夫のゴルフの道具を気に入ったようで、大事に使うといいました。

庭でスイングの練習をしていたのを見て、誰かに習っているの?と訊くと、おじちゃんに習ったといいました。

えっいつ? と聞くと小学校のころ庭で教えてもらったといいました。それを覚えているの? と聞くと、クラブの握り方も、スイングの仕方も、打つときに打つ方ではなく、ボールを見るのだということなど、たくさん教えてもらったといいました。

甥は今36才です。小学校のころに習ったことで、ゴルフができるといいました。まだ初心者ですが、ボールが飛ぶと嬉しいといいます。

私は、本当にびっくりしました。そういえば、子供たちを連れて、打ちっぱなしに行ったこともあったなあと思い出しました。

小学生のころに習ったことで、最初のやり方はわかったようです。甥もすごいですが、夫が小学生にゴルフができるように教えたということに驚きました。

人は、こんな風につながるのだなあと思います。人と人が出会い、誠実に対すると、相手に何かを残し、それが生き続けるのだと思うのです。夫はきっと、甥がクラブを使うことを喜ぶだろうと思います。

初めてのコースは4月20日だそうです。スコアを教えてくれるそうですから、楽しみに待っていようと思います。

 

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