美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

いろいろな思い出 お友達

2023-04-11 13:16:27 | 私の日々


私は、病気になってから、もうあまり長くは生きられないと思っていました。病気からの苦痛で、ちゃんとした日常生活もできなかったからです。でも、妹が助けてくれ、母も年の割に元気で、できることは助けてくれますので、なんとか1日を過ごすことができるようになりました。

病気も治療のおかげで、少しずつは変わってきているのかもしれません。今も毎日、続けて立っていられる時間は30分くらい。お料理をするのは1品だけ。お掃除はルンバで。洗濯は洗濯機がして、干すのだけは私がします。

いろいろなことをしたいと思いますが、家事だけではなく、映画も見に行きたいし、ドライブも行きたいし、ショッピングも、といろいろなことを我慢しています。お友達に会うのも、1年のうち、何度でしょう。



いつも家にいる私は、昔のいろいろなことを思い出します。嫌なことが多いです。自分のやった嫌なことが一番多いです。そして、人にされた嫌なことも多いです。少しだけ、夫との思い出、家族との愉快なつながり、お友達との楽しかったこと、知らない人との思いがけないつながりなどがあります。

自分の中でそういう昔のことが渦を巻いています。思い出したくなくても、いつか昔のことにたどり着いています。それらのことに引きずり回されている自分が嫌です。それでいろいろなことを書いてみようと思い始めました。そうすれば、少しは自分に穴が開いて、空気が通るかもしれないと思います。

嫌なことは、なかなか書きにくいので、良かったなと思うことや面白かったことなどを書こうと思います。この前、夫との思い出を2つ書きましたので、今度は、お友達との思い出を一つ。

そのお友達は、61才の時、くも膜下出血で倒れ、5年後に亡くなりました。私より、1才上で、大学時代の同じ研究室の1年先輩でした。とても繊細で、自分の位置を崩さない人でした。外見は静かで清潔な感じがしましたが、心には、熱いものがあったと思います。

私たちは、彼女が子育てで忙しい時をのぞいて、お互いに行き来していました。彼女の夫は、私の夫の友達だったこともあります。私のほうが、子供がいないので、身軽で、よく訪ねていました。



私が薔薇をたくさん咲かせていた頃に、一度見にいらっしゃいというと、夫婦で見に来るといいました。私は広島市で彼女たちは大分市なので、泊りがけで来てくれました。

薔薇の一番きれいな時に、二人で訪ねてくれ、ワインを飲んで昔話をしました。それは楽しい時間を過ごしました。



翌朝、彼女に眠れた?と聞くと、少し困った様子で、よその家では、眠れないのだといいました。よその家を訪ねることはほとんどしないというのです。でも、あなたの家を訪ねて薔薇を見たかったから、今晩、家に帰って眠るので気にしないで、といいました。

私はびっくりして、大分に帰るまで、眠れないの?と聞くと、大丈夫、性分だから、といいました。



彼女はよそのお家や、乗り物の中では眠れないのだそうです。だから、ほとんど泊りに行くことはないといいました。

でも、私の家に一度は来て、薔薇を見たいといったのです。そんな彼女に私は感動しましたし、来てくれてよかったと思います。

病気になって、意識が亡くなり、5年ほど生きていましたが、彼女の夫は、会わない方がいいだろうといい、私は病気になる前の彼女しか知りません。



薔薇を見に来てくれた時、卒業した大学の町を二人で訪ねた時、彼女の娘さんが、オペラ歌手になるための大学の卒業記念公園を二人で観にいった時、そんなときの楽しそうな笑顔が、今も忘れられません。

彼女たちが来てくれた2003年の薔薇の写真を載せました。黄色い薔薇のグラハム・トーマスは、見れば彼女を思い出す薔薇です。



コメント (4)
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