美しい夕焼け

美しい晩年を目指して

親と暮らす

2023-06-25 13:15:19 | 私の日々
母が足を痛めてから、いろいろなことを言われます。それは納得することもあるけれど、たいていは、あなたは親と暮らしてるのですか?  親と暮らしたことはあるのですか?  高齢の親と。そういう風に思います。

私は自分が病気ということもあり、あまり人の世話をすることはできません。特に身体的なことは、難しいです。

私が病気だということを知らない人も、知っていても病気の状態を知らない人は、親のそばについていなくてはと言います。

でも、それはとても難しい。私の親は、98才ですが、わりに元気ですから、私と同じ程度のことはできます。それをしてもらっているときに、人から見ると、親を虐待しているように思われるのです。

親も私も、施設に入ることはできるだけしたくないのですから、家で二人で手分けして暮らさなければなりません。もし、転んでけがをしても、私も親も仕方ないことと納得しています。

自分の行きたいところへ行き、そしてけがをしても、それを受け入れて、これからを生きなくてはならないと思っています。でも、今は、二人で手分けして暮らそうと思っているのです。(もちろん妹の助けはとてもありがたいことですが)

私も親もずいぶん長生きしたのですから、もうこれ以上、健康でといい募るのは、やめた方がいいと思います。人は、自分の人生を人にとやかく言われて過ごすことは、とても難しいことです。

自分の人生は、自分で決めたいと思うし、健康や長寿に対する思いだって、それぞれ違うのだと思います。

人は、人の人生に口を出すのはやめた方がいいと思うし、一つだけが正しいといういい方はやめるべきだと思います。

この頃、ちょっと人への思いに波立つことがあるので、こんな愚痴を書きました。でも、私は私。誰にも左右されることはありません。波が大きいと苦しいと思うことはありますが。

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母の足

2023-06-19 14:33:46 | 私の日々
母が足が痛いというので整形外科に行きました。静脈の炎症のせいで痛むそうです。

血液検査をして、血栓ができているかどうかを調べてもらいました。少し数値が高く、小さな血栓はできているかもしれないそうですが、それほど心配しなくてもよい、ということでした。

そして、家で、治療すればよいといわれました。足を45度くらいになるほど、高く上げて寝る、足の関節を動かす運動をする、歩く、というような治療です。足の血管の流れが悪いので、血栓ができる、それを防ぐ治療をするということでした。

足の痛む部分に包帯をきつく巻いてもらい、そういう治療をすれば、痛みもなくなるだろうといわれました。

ところが足が痛むからといい、なかなか運動をしません。歩くこともしません。ずっとついて、あれをして、これをしてとしてもらいます。

最近、母は、いつも寝てばかりいました。時々は、息してるのかなと思うほど、静かに寝ています。私は心配して、起こしたりしていました。

内科に行った時には、いつも、寝てばかりいます、と言っていたのですが、医者は、年を取れば疲れるからだといい、あまり納得できない診察でした。

やはり、寝てばかりいるというのは、問題だろうと思います。寝ている姿勢もソファーの上ではよくないし、血流も悪くなるのだろうと思います。

でも、運動不足ということが分かったのですから、少し頑張って、運動をして、痛みがなくなればいいと思います。

できるだけ、母をこき使って、一緒に暮らしたいと思っています。

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時間のきまぐれ

2023-06-15 15:27:32 | 私の日々
5月の終わりころから、ずっと、いろいろなことが起こり、今もまだ続いています。

エアコンの買い物、取り付け、車検、美容院、庭の剪定、ワクチン接種、私と母の病院通い、そういうことが続いて起こり、私の1日動けば1日休むというリズムがメチャメチャになりました。

そして、大変なことは、母のことです。今までは病気らしいものはなくて、老化だけを気にしていました。ところが5月終わりころから、歯の調子が悪いといい、歯医者に通い始め、今は、足が痛いと言っています。

明日、病院へ行く予定ですが、以前から、坐骨神経痛といわれて、整形外科には通っていたのですが、もうずっと調子が良くて、この頃はご無沙汰していたところです。

今は、昔の静脈瘤があったところが痛いと言っています。私は、いつも寝てばかりいるので、体重が増えすぎて、足が困っているんじゃないと言っています。母は痛いのだから、やっぱり病院で診てもらいたいというのです。

いろいろなことがあった5月から6月ですが、母の歯医者と病院が一番大変なことです。私は休む暇もなく、いろいろな人に会い、いろいろな嫌なことされて、気持ちが少し波立っています。

そのせいか、チャーリーのフィラリアのお薬を飲ませる日を忘れ、ダニの薬を塗るのも忘れ、1日遅れてカレンダーの印を見てびっくりしたという次第です。

私も、1か月に1回、おなかに注射しなくてはならないのを忘れてしまい、翌日あれっと思いだして、慌てて、注射したのです。

どちらも1日の遅れなので、あまり心配はないと思いますが、こんなことは初めてです。

そして、今、考えています。母と暮らすのに、少し変化が起こったのではないかと。今までは、母は元気でしたし、自分の足で歩いていましたし、どんなことも頼めばやってくれました。これからはそういう風にはならないのではないかと思っています。

母と暮らすことを改めて考えなくてはとおもいます。自分でトイレに行ってくれれば、それでよいと思わなくてはならないと思います。私は、病気のため、力が入らないので、介護はとても難しいのです。母が、トイレに一人でいければ、一緒に暮らせると思っているのです。

この5月終わりから6月にかけて、私の時間は、自分の意思をもっているように勝手に動き、私の生活を好きに変えていきました。自分の時間が自分の思うように流れていけば、自分らしく生きられると思いますが、勝手に動いていくと、自分はどこに行ったのかと思うように、乱されます。

今は、母の足があまり大したことではなく、私の時間が私とは違う時間を流れているのではなく、私の時間になってくれればいいのにと願っています。

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憲法記念日に

2023-05-03 19:24:59 | 私の日々
今日は憲法記念日です。憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を三原則として、戦後の日本の国民の生活を守ってきました。

その中でも、憲法9条の戦争放棄という考えは、世界でも稀有な素晴らしいものだと思います。

今の時代の現実に合わないから、憲法を改正したほうがよいという考え方もあります。近くの専制国家やそれのような国家が、いろいろな意思表示をしたり、実行したりすることに、反応するとそういうことになるのだと思います。

でも、戦争で、国民が幸せになるとは思えないのです。何とか、戦争ではなく、話し合いで、それぞれの国のことを考えられないかと思います。

それは、とても甘っちょろい考え方で、強く出る国が、強いのだといわれると、何も言えないのですが。

戦争ではなく、解決の方法がないものだろうかというのが私の思いです。人間は賢い生き物ですから、そういうことだって考えられるだろうと思うのです。

日本国憲法は、私にとっては、平和と平等の象徴なのです。世界に戦争が起こりませんように、人々が平和で平等に生きられますように、と憲法記念日に祈っています。

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妹に助けられて

2023-04-17 22:15:10 | 私の日々
妹と私は4才年が離れています。4才離れていると、子供のころは、随分と年が違うと思っていました。私はお姉さんだから、妹のことは私が面倒を見てあげなくては、というのが、私の気持ちでした。ちょっとお姉さんぶっていました。今もそうかもしれません。

でも、2015年に私が病気になったとき、妹が最初から助けてくれました。病気が初めのうちわからなくて、診察の前でも、椅子の上で寝ていたような状態でしたから、それは、妹がいなかったら、大変だったでしょう。

病気が分かってからも、ずっと付き添ってくれました。入院しているときも、私がお菓子が好きなので、美味しいケーキをこっそり持ってきてくれましたっけ。

そのあと、股関節の骨折をして、そのリハビリの時、エコノミック症候群になりました。意識が無くなり、すぐ手術ということで、妹と妹の夫とが付き添ってくれました。

手術は、4時間くらいといわれたのに、時間が過ぎても終わらず、妹は、もうだめかもしれないと何回か思ったそうです。妹の夫は、まだ手術が終わったわけではないのだから、待ってみようと、言ってくれたそうです。

手術は6時間ほどかかりました。無事手術が終わって、妹は本当に喜んでくれました。手術の後は、1週間、痛みがあるので意識をなくしていたそうです。体はいろいろなパイプにつながれて、顔はブックり腫れて、それは、痛々しかったようです。

妹は母を連れて、毎日面会に来てくれたそうです。私は、何か話しかけると、首を振ってうなづいたようでしたが、私自身は、意識が無く、全然覚えていません。

それでも、少しずつ意識も戻り、少しずつ元気になっていきました。妹に、妹と母は幻影なので、写真を家の前で撮ってきて、そうでなければ、二人が現実なのか、幻影なのかわからないと、わがままを言いました。そんなことは覚えています。

私が病院にいる間、夫を施設に預けたり、母とチャーリーの世話をしてくれました。妹がいなかったら、本当に、私たち家族はどうなったかわかりません。

そんな妹に今もお姉さんぶっている私は、どういう人間なのでしょう。妹は、世話をする相手ではなく、世話をしてもらい、してもらっている相手なのです。

ただ、私は、ずっと妹のこと、妹の家族のことを大切に、何か困ったら、助けたいと思ってきたのは事実です。そんな気持ちが妹にも伝わっているのかもしれません。

今も、週2回から3回来てくれて、病院や買い物に連れていってくれます。来てくれる時は、必ずお料理を1品作ってきてくれます。出かけなくてもいい日は、庭の草取りをしてくれます。

本当に何もかもありがたく、感謝しています。妹が健康であるように、とそれだけを願っています。

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