脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

年輪社会

2010-09-04 14:50:00 | Weblog
この夏、ある催しがあった。三人の素敵な女性が懐かしい唱歌を披露していた。
二人は70歳代ど真中で一人は80歳を超えていた。
とても綺麗にハモっていた。
あれから一ヶ月が経ち、二人が入院生活を強いられ、一人は通院を余儀なくさせられている事実を知った。
順番とはよくいったもので、一番若い女性が時折通院しているのだった。
それでも杖を突く姿が10年前からしる私には痛々しく見えるのは否めなかった。
杖とは、現代においても権力の象徴として杖(笏・司教杖など)が利用されることがあるが、これは高齢者が獲得した威厳の代用品だと思う。
因みに電動車椅子生活者の私は普段は「杖」を必要としない。
車椅子から離れて、杖なしで伝い歩きが出来る私は「還暦祝いの赤漆の杖」はお洒落用だと思っている。

2005年6月の介護保険法改正法案施行後初めての改正で、予防介護の導入、施設利用の際の食費や居住費を自己負担とすることが決定され、新たな仕組みとして、介護の予防や権利擁護の相談機能を持つ地域包括支援センターが新設されることとなったのは周知の事!
老人福祉法の財政の破綻、医療分野を切り離して老人保健法を制定したものの、これも破綻した為、新たに高齢者福祉を扱うシステムが必要となり、登場したのが介護保険法だったのだが、それ以外に老人の社会的入院が非常に多く、介護分野において新たな社会保険方式が必要となったという経緯もある。

国連の世界保健機関 (WHO) の定義では、65歳以上の人のことを高齢者としている。
65~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者、85歳以上を末期高齢者という。
末期高齢者という表現はあまり聞こえがよくないから、私は敢えて老齢者と言いたい。
一般的に、高齢者の多くは経験を積み、様々な事に熟達しているとされる。
加齢に伴う運動機能の衰えや、老衰に伴う記憶力の減退等といった理由により、第一線を退いたとはいえ、その豊富な経験と、その経験によって導き出される勘は、学習によって得られる知識や、練習によって習得する技能を超えた効率を発揮する。
これらは若者にとっては学ぶべき所は多く、また後代に伝えるべき物とされる。

老化というと、人生、人の一生の後半をさしていうもので、その前半は、その場合「成長」ということになるが、厳密には、エイジングはそのままの英語で言えば、age(年齢、齢)を重ねていくこと、つまり「加齢」である。
この意味に固執するなら、人間は誕生の瞬間からその人生の最後の時まで、細胞組織レベルでは常に古い細胞組織は、死んで常に新しいものと入れ替わっていくわけで、幼児、子供の段階からすでにエイジングは始まっているということもできる。
つまり、人生とは、死に向かう一方通行の歩みである。
高齢社会の進展とともに、エイジングへの関心は急速に膨れ上がり、翻訳書を含めて、エイジングを扱った書物はうなぎ上りに増えている。
用語が一定しないため、翻訳の中には原題が「Aging」で邦題が「老化」というものも少なくない。
また老化に抵抗、対抗するという意味で、アンチエイジングという言葉も近年、とみに使われるようになってきた。

私が使いたがらない表現は、老後(ろうご)だが、これは年をとってからのことだと言うが私に言わせれば「老」の「後」に来るのは「死」と決まっているからである。
因みに、英語では「老後」はなくlast days とかremaining yearsといったり自ら old ageと言ったりする。

老人を受け入れている施設で意外な事実を知った。
利用者全員にある種「自由」を奪っているのである。
一旦、施設に足を踏み入れたら自由は取り上げられるのである。
利用者同士の交流は禁じられる。
例えば、料理が得意な老人が料理そのものは勿論、レシピさえ他の利用者に書いた用紙を渡す事さえ許可しない。老人は、特に独り暮らしの老人は施設などで知り合った人に自分の得手を褒められてとても喜ぶ。当然の事だと思うが「みんな一緒!」をモットーにシャットダウンされてしょ気ている姿を目の当りにした事がある。
老人の自由を奪う・・・これで真の介護の予防や権利擁護の相談機能を持つ地域包括支援と言えるのだろうか、と考えるのは間もなく高齢者の仲間入りをする私だけだろうか。
老人の世界にも「個」がある筈だが・・・

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。