脳のミステリー

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今日は「1966年3月5日に発生した英国海外航空機空中分解事故」の日

2013-03-05 13:25:05 | Weblog
今日は何の日
残念ながら、今日は「1966年3月5日に発生した英国海外航空機空中分解事故」の日なんです。
乗員乗客全員が犠牲になる大惨事となった事故でした。
事故は英国海外航空(BOAC)の世界周航便のボーイング707が富士山付近の上空で乱気流に巻き込まれ空中分解する事故は時差のない南半球にはすぐにニュースとして伝わってきました。
機長がなぜ有視界方式により富士山近傍を飛行しようとしたのかは未だに判然としないのです。
有視界方VFR: Visual Flight Rulesとは、離陸後に目視にて位置を判断する飛行のことです。
BOAC910便はホノルルから羽田へのフライトは濃霧(前日のカナダ太平洋航空機事故の一因となった)によるダイバートにより福岡空港へ着陸後、当日朝に羽田に再度向かったため、出発が20時間以上遅れていたことが判明しています。
飛行距離を短縮させてBOAC911便として早く次の目的地香港に到着したかったのでしょうか
あの時代に既に私の知る名物エンジニアが羽田で働いていたかどうかは聞いてみませんでした。
彼は恐らく既に羽田勤務では
彼は「空飛ぶ技術屋」で電話一本で羽田から香港へは無論、ロンドンへもすっ飛んだ人でしたから~
私の知る限りでは、また私が考えるには、英国本国を考えると東京は単なるトランジットでフライトの最終目的地は元英国領香港だったのではなかったのでは・・・
香港⇔英国オンリーはBOACだけの路線の時代でしたから・・・
だから、クルー交換も香港だったのでしょう
1967年7月、私がBOACに入社して当時のスタッフに聞いた話では「アメリカ人の団体観光客が多かったため、乗客に富士山を見せたいと思ったのでは」という事でした。
当時の飛行機運賃は高額であることから、当機にも富裕層が多く乗っていたでしょう
バリトン歌手立川澄人のお姉さまも犠牲者のひとりでした
雄大なフジヤマにアメリカ団体客の歓声はキッと想像を絶するものがあったと思います。

私がロンドンからの帰路にナイロビに寄った時も機長は「あれがキリマンジャロ」とアナウンスし、乗客は一斉にそちら側に見降ろした記憶があります。
そんな時の機内の興奮は想像を絶するのでした。
私が勤務中に飛び込んだニュースは豪州ダーウィン洪水で壊滅というショッキングな連絡でした。
富士山墜落事故の話を私に聞かせてくれたスタッフは「あの日、3人の航空会社関係のヤングガールズが日比谷のカウンターにやって来て、空席はたった1席だと、言うとTWAの女の子に譲った」と言ってました。
その結果、ふたりのBAガールズは東京に残って無事・・・TWAガールは哀しいことに・・・
そして、水の底に埋まったダーウィンの上空を飛行した時、BA機長は「下を見て下さい。かつてダーウィンの街があったなんて信じられません!」と言いました。
機体の真下に広がるものは濁った水だけでした・・・ダーウィンは何処
機内では何人もの乗客が下を見ながら胸の前で手で十字架を・・・私も手を合わせました。

そして、航空会社時代私は柳田邦男の「マッハの恐怖」を夢中になって読んだものです。

天災
人災
今日は忘れもしない47年前、1966年3月5日英国海外航空機空中分解事故の日


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