「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”チャイナ.ウィルス" 日中の新戦略互恵関係構築を

2020-03-21 06:11:48 | 2012・1・1
トランプ米大統領いうところの”チャイナ.ウィルス”発源地、湖北省武漢地域での新型コロナ,ウィルスの1日の感染者数が2か月ぶりにゼロとなった。完全にウィルスが終息したわけでなないが、まずは人類にとっては朗報である。とくに隣国のわが国とっては胸までとはいかないが、安堵の気持ちはある。

わが家でとっている新聞には出ていなかったが、武漢で新型ウィルス発生の報が伝えられた直後、わが国から中国に対して「山川異域 風月同天」と書かれたマスクなどの支援物資が大量に届けられた。奈良時代の唐の学僧、鑑真の漢詩からの借用だそうだが、同じ自然界に住む者同士という意味だ。これに対して中国外交部スポークスマンは”お互いに頑張りましょう”と日本語のツゥイタ―で返してきている。

このウィルス騒ぎで春に予定されていた習近平主席の訪日は両国完全合意の下で延期された。やむをえないが、逆にウィルスをめぐる情報交換などを通じて接触が深まってきた。10年ほど前、福田康夫政権から民主党鳩山政権時代にかけて日中間の戦略互恵関係が盛んに言われた。中国で北京五輪(2008年)や上海万博(2010年)が開催されていた時代である。今、振り返ってみると、はたして両国にとって”戦略互恵”であったかどうかはわからない。

しかし、トランプ大統領が”チャイナ.ウィルス”と蔑視する時代である。10年前とは違う。米中間の貿易摩擦がここまで来ている。どちらかにコミットせよというわけではないが,隣国との戦略的互恵関係を再検討する時期ではある。







東京五輪”呪わしい年でも”開催を!日本から手を上げるな

2020-03-20 06:12:18 | 2012・1・1
i麻生太郎副総理兼財務相が国会答弁で五輪は1940年の”幻の”東京五輪やアフガン問題で政治問題化しボイコット国が続出した1980年のモスクワ五輪を例にあげ40年ごと”呪わしい”年に開催がやってくると述べた。もともと失言や逸話の多い大臣だが、開催か延期か世界が注目しているとき、副総理の立場の方が延期を示唆するような発言をされては困る。

昨日ギリシャからのテレビ中継で五輪聖火のわが国へ引き渡し式を見たが、広い会場は無観客で、まさに閑古鳥が鳴く寂しさ、20日付の産経新聞(首都圏版)を見たらこれまた、二面に小さく”異例な聖火引き渡し式”と小さな写真んで報じていた。1964年五輪の時は産経は特派員を派遣し大きな記事で報じたのを覚えている。

トランプ米国大統領は先日の記者会見で”非常事態宣言は8月か7月あるいはそれ以上続く”と言明している。直接五輪の開催には触れていないが、もしそうならば大国米国の参加が危ぶまれる。それでなくと新型コロナ.ウィルスのパンデミックの現状をみれば誰でも開催は無理と思っているのでは。

しかし、五輪開催の最終決定権はIOC(国際五輪委員会)にある。そのIOCはここにきて関係下部団体との会合で五輪の予定通り開催を再確認している。聖火は来週には日本に到着、福島のJビレッジを出発点に全国リレーされる。IOCが中止、延期を決定しない限り予定通り五輪は実施される。その前に”呪わしい"といった言葉を軽々しく使い、日本から”やめた”と手を上げてはいけない。多額なお金を請求されるともかぎらない。

「カネのなる木」はあるのか 現金給与の緊急経済対策

2020-03-19 07:41:11 | 2012・1・1
自民公明与党が新型コロナ.ウィルスのパンデミックによる経済不況に対処して早急に緊急対策を検討することになり、政府との間で調整に入った。新聞報道によると、30兆円をこす大規模で国民への現金給与が柱だという。金額のケタが大きすぎて僕には今一つ分らないが、平成21年のリーマン.ショックの後にも景気浮揚策として僕ら老人もいくらか貰ったのを想い出したが効果があったのだろうか。

現金給与について早くも野党からバラマキだとの批判が出ている。これに対して、公明党は”将来に明るいに希望が持てる政策だ”と実施に前向きだが、経済音痴の僕がみても財源はどうするのか首を傾げる。消費税をまた上げるのか。「カネのなる木」でもあると思われているのか。

わが家の二階の廊下の隅に鉢植えの「カネのなる木」があり真っ盛りである(写真)。外国では葉がコインに似ている所から、「doller Plant」と呼ばれ縁起の良い花とされている。10数年前新築祝いに知人から頂戴したものだが、数年前から桜のこの季節に併せて咲き出した。

東京五輪パラリンピックは予定通り開催の運びで来週にはギリシャから聖火が運ばれてくる。福島の「Jビレッジ」を出発に全国各地へ運ばれて行く。コロナ.ウィルスの感染拡大を懸念して聖火の沿道には集まるなという声もあるが、一つのセレモニーである。現金を頂戴すりょりも国をあげてテレビでリレーを見ただけで気分は明るくなる。「カネのなる木」効果でよいのだ。



桜と競う木蓮の開花

2020-03-18 15:57:09 | 2012・1・1
”寒さ暑さも彼岸まで”-東京ではすでに桜の開花宣言が出たが、これを追いかけるようにして、わが家の近くの豪邸の庭の紫木蓮の花が咲き始めた。若いころはパーッと咲きパーッと散る桜の華やかさが好きだったが、最近は木蓮の渋い花の色調と咲きかたも分かりはじめてきたようだ。


基準のない高齢者の新型コロナ.ウィルス対策

2020-03-18 06:35:37 | 2012・1・1
毎週水曜日は週一回の介護施設でのリハビリ通園日だが、迷った末、3週続けて休むことにした。新型コロナ.ウィルス感染のメドとされる二日続けて体温が37.5℃になったことはなく至って健康なのだが、社会の自粛ムード、年寄りがクラスター(集団感染)の多少なりとも可能性がある場所へノコノコ出かけては失礼だという自分の判断によるものだ。

それに高齢者や持病持ちが感染した場合致死率が高いということだ。そこで先日毎月一回、高血糖で治療を受けている近くの病院に電話して薬だけもらえないかと頼んだが断られた。結局、通院して治療を受けたが、主治医は次回は2か月分薬を出しましょうということだった。医療機関も介護施設も一律した対老人基準はないみたいだ。

国内の感染者数は16日31人、17日44人と微増しているが、欧米みたいな爆発的な増え方はないし死者もあまり出ていない。政府の対策が効を奏していると思うのだが、別な言い方で言えば日本人の国民性もあるのでは。戦争中のスローガンに”勝つまでは欲しがりません”というのがあった。”雀百まで”のたとえではないが、僕ら超高齢世代も社会の自粛ムードに協力して閉じこもりは正しい判断なのかもしれない。

コロナ.ウィルス途上国への感染拡大防止 日本の知見の活用

2020-03-16 13:14:30 | 2012・1・1
新型コロナウィルスの感染者数は依然欧州を中心に猖獗しており、世界全体の、患者数は17万人に迫り、感染国.地域は140、国連加盟国は193か国だからまさにパンデミックだ。こんな情勢の中で昨夜先進7か国の首脳が電話で緊急会談し感染拡大を中心に話し合った。

パンデミックの様相も時々刻々変化しているが、全体の患者数がウィルス発源地の中国を抜いて中国以外の国々が過半数になり、その中でもイタリア中心に欧米諸国の患者数が急増、同時に拡大の波が発展途上国に押し寄せてきたのは心配だ。

テレビの画面でフィリピンのドゥテㇽテ大統領が首都マニラを他地域から閉鎖し,ルソン島と他島との交通を大幅に制限した。多島国家で検疫も遅れているといわれる国だけに一大決意である。先月末まで感染者ゼロであったインドネシアでも「ダイヤモンド.プリンセス」号のインドネシア人乗組員の帰国を出向かえた閣僚が感染したといわれ観光地バリ島でも死亡者がでている。WHO(世界保健機構)事務局長テドロス氏の出身国エチオピアでも感染者がでた。

現役時代、開発途上国の仕事をし、途上国の旅行滞在経験が多いだけに心配なのはコロナウィルスの途上国への感染拡大である。安倍総理は昨日の国会で”わが国の知見を活用したい”と述べていたが、欧米諸外国の感染者数が4ケタなのに対してわが国が3ケタ(クルーズ船を除く)で感染を抑え込んでいるのは一つの知見である。大いに活用して貰おう。





荷馬車が走っていた大空襲直後の東京

2020-03-16 06:10:34 | 2012・1・1
75年前の東京大空襲直後の昭和20年(1945年)3月月16日の亡父の日記には”この日突如として”と疎開の話あり”記され,それから僅か6日後の21日、僕ら一家は25年住み慣れた家を強制的に追われ疎開させられた。この話は7年前の小ブロック(2013年3月12日)でも書いたが、戦時下の銃後の世界の一端として再度角度を変えて紹介する。

僕は当時東京の目黒川沿いの五反田に両親と住んでいたが、近くに軍需工場があっため建物強制疎開地に指定され、有無をいわせず1週間以内に家を引き渡すよう命令が下った。幸いわが家は当時まだ郊外であった柿の木坂の地に家作の借家があったためとりあえず家族を疎開させて独り住まいの方の家に同居することにした。父の日記によると五反田から柿の木坂まで5キロの道をわが家は家財を荷馬車に積み2日4回にわたり引っ越ししている。

戦争末期、バスなどの乗用車は木炭車の時代である。トラックはほとんど軍に徴用されて少なかった。このため町には昔ながらの荷馬車が見直されたのか、五反田駅近くには馬の蹄鉄屋がまだあったし、僕らは勤労奉仕で道に落ちている湯気の立つ馬糞拾いをしたりした。5月の空襲で被災した友人の話では空襲直後大通りを裸馬が火の中をおびえて走っていたという。

亡父の3月19日の日記には”町の中は引っ越しであたかも戦場のように騒然”と記しているが、その中でも町会の常会が開かれたり、防空演習があったり、出征兵士の壮行会があったりしている。五反田一帯はその後5月23日の空襲で全焼したが、わが家があったあたりは焼け残っていた。疎開の効果はあったのだが、市民にとっては大きな犠牲であった。

最速の東京の開花宣言

2020-03-15 09:24:57 | 2012・1・1
昨日東京は真冬のように気温が下がり霙(みぞれ)まで降った。この”寒さ”の中で靖国神社のそめい桜が一輪咲き、気象庁から開花宣言が発表になった。都心では3月14日の開花は記録を取り始めてから最速日だという。

今年は新型コロナ.ウィルスの流行で「お花見の会」どころではないが、昨日の雨で家の近くの呑川遊歩道の桜並木はどうかなと見に行ったらやはり、もうっすらと色ずいてきた(写真)。商店街の夜桜用の提灯は例年通りだが”飲めや歌えや”は自粛せざるをえない。

敷島の大和心を人問えば朝日に匂う山桜かな(本居宣長)-戦争中よく口にした和歌だが、あの時代には花粉症持ちはいなかったと、くだらない来し方を思ったりしている老人の閉じ籠りの一日。

”欧州”がパンデミック震源地” カミュのペストの時代

2020-03-15 05:57:17 | 2012・1・1
阿倍晋三総理が昨日の記者会見で新型コロナ.ウィルスの感染拡大について特措法による「非常事態宣言」を宣言する事態ではないと言明、深刻な国として中国、韓国、イタリアの三国を名指しで上げた。事態は刻刻変化しているが、僕が現時点でみると感染者数ではWHO(世界保健機構)のテドロス事務局長がいうように”欧州が今やパンデミックの震源地”で、それにプラス韓国が”活火山”みたいにみえる。感染者数の多さではイタリア、スペイン、ドイツ、フランス、スイスノルウェーと6か国が上位に入っている。

欧州というと、僕ら戦前に教育を受けた世代はアジアより進んでおり憧れを持っていたが、戦後すぐの時代、僕は翻訳本でフランスのノーベル賞作家カミュ―の小説「ペスト」を読んで深い意味はわからなかったが、西欧(実際は北アフリカ、アルジェリア)を舞台にした中世の流行病蔓延の恐ろしさをしった。「ペスト」が日本で紹介された時代は戦後の混乱期で、進駐軍の兵隊が駅でDDTの白い粉末を頭からかけていた頃から間もなくだった。

昨日一日の国内の感染者数は61人と過去最多であった。しかし安倍総理が非常事態を宣言しない根拠には感染拡大が抑えられているという自信があるからであろう。新聞で読み忘れたのであろうか。政府はWHOへコロナ.ウィルス対策として166億円を支出した。そのためもあって阿倍総理はテドロス事務局長から総理主導でよくやっていㇽとお褒めの言葉を頂いた。

問題はあと1-2週間である。中国では感染者数がここ数日わが国より少ない日が続いている。遠い欧州や米国だが、依然として,東京五輪パラリンピックを控えたわが国にとっては国難が続く。

故別役実氏との一期一会とその時代

2020-03-14 06:12:02 | 2012・1・1
劇作家の別役実氏(82)が先日亡くなられた。演劇とはまったく縁がない僕だが、氏とは氏が高校生時代”一期一会“の出会いがあり、当時を偲びながら弔文を書かせて頂いた。別役氏は昭和12年旧満州の新京生れだが、敗戦の年の3月、父上が病気で亡くなられたため母上と一緒に帰国、僕がお会いした時は母上と一緒に長野の善光寺近くに住まわれていた。

僕は昭和29年の正月、やはり満州からの引揚者の上司と一緒に別役宅を訪れおせち料理をご馳走になっている。別役氏の母上は当時,善光寺下岩石にあった引揚者飲食街「憩いの町」で餃子屋さんを開いていた。まだ、餃子が今のように一般に食べられていない時代だ。別役さんの店の蒸し餃子は美味しく何時も客で一杯だった。しかし、今思えば戦後のそれでなくとも大変な時代、引揚者の別役氏の母上は女手一つで大変だったであろう。

戦後、海外から一斉に日本人が「かえり舩」に乘って引き揚げてきた時代である。ラジオでは毎日引揚者便りが流れていた。 僕が今住む目黒通りは一部まだ未完成で、その空き地にはバラック建ての「引揚者マーケット」が建っていた。 別役氏は苦学して早稲田大学を卒業、演劇の道で一家をなしている。作品に時代が反映しているかどうかは知らないが”一期一会”のご縁から弔文を書かせて頂いた。合掌。