「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

認知症患者に”ユマニチュート”療法

2013-09-21 05:37:52 | Weblog
”ユマニチュート”というフランスの看護哲学が今、日本の医療現場で取り入れられ話題を呼んでいる。先日僕が入院していた東京の国立病院もその推進実践病院だったようで、NHKテレビがその模様を紹介していた。”ユマニチュート”とは、フランスのイブ.ジネットという人が提唱している”魔法の高齢者看護哲学”だそうである。日本でもすでに看護現場では採用されているが、これを医療の現場でも応用しようというのである。

”ユマニチュート”というのは言葉からいって”人間的な”療法という意味だろう。具体的には、認知症の高齢者患者に接するときには、まず患者の目を見つめること。水平の視線から自己紹介してから丁寧な言葉で説明することーなどとされている。テレビでは高齢な女性認知病患者が、点滴など身につけている管を取りはずなど看護師を悩まさせていたが”ユマニチュート”で接してから改善され、病気も快方に向かったという。

僕は認知症患者とは思っていないが、一部の病院関係者は高齢者即認知症と勘違いしているきらいがある。まるで幼児に接するような言葉使いをし、難聴者と思って大声で話をする。デーサービスなどで支援を受けている先輩たちも同じような話をしていた。”ドラエモンの歌”を幼児のように合唱させられたり、お絵かきをさせられる、と苦笑していた。

”ユマニチュート”は何も看護現場とか医療現場だけではない。高齢者に対しては社会全体が”ユマニチュート”で接触すべきである。調べたわけではないが、高齢者を特別視し、幼児言葉で接するのは日本だけではないだろうかー。老人は長い間、社会に生きてきた誇りと尊厳を持っているのだ。

日馬富士は弱い横綱か

2013-09-20 05:41:18 | Weblog
大相撲秋場所は昨日5日目を終えて全勝は東の横綱白鵬ただ一人、西の横綱日馬富士はすでに2敗、4人の大関はみなそろって1敗、白鵬の強さだけがひかる序盤戦であった。4日目までに平幕力士二人に感激の涙を与えて負け、ファンを心配させた日馬富士だったが、昨日は苦手の高安を一蹴して、さすが横綱の強さを見せつけた。僕は昨日、てっきり日馬富士は高安に負けるものと思い、過去の弱い横綱を調べてみた。

日馬富士は横綱に昇進した場所こそ全勝優勝を飾っているが、その後は9勝6敗、11勝4敗、10勝5敗と横綱としての成績ではない。ファンはやはり最低12勝は期待している。しかし、日馬富士の小兵ながら”全身全霊”(横綱のモットー)で土俵にあがる姿はファンに好感を与える。しかし、今場所再び再び、9勝で終わるような成績だったら横綱責任論が浮上するかもしれない。

僕が大相撲に興味を持ったのは69連勝横綱の双葉山時代からだ。だから70年のオールドファンだが、過去にも弱い横綱はいた。最低の横綱は60代の双羽黒で、不祥事もあって一度の優勝もなく土俵を去っている。双葉山時代の34代横綱男女の川も横綱在位6場所中の最高成績が7勝6敗(13日制)であった。戦後すぐの39代横綱前田山も横綱在位の勝率が471厘で5割に満たない。

こういった”弱い横綱”は、双葉山、白鵬といった傑出した大横綱の時代や一人横綱時代が長く続く、相撲協会の興業のための”産物”であった。ある意味では仕方がないのかもしれないが、相撲を面白くさせるため、日馬富士の一層の奮起を望みたい。

「柔道整骨施術所」へ通院

2013-09-19 07:01:11 | Weblog
生まれて初めて近所の整骨院へ左膝の治療のためでかけた。前から整形外科医から半月板摩耗との診断を受けて治療していたが、いっこうに良くならない。そこへきて先日入院中に院内で軽く転倒、その膝を打撲したため、目先をかえて整骨院へ行ってみた。

昭和30年代頃までであろうか、東京の街のあちこちに柔道の町道場があり、「接骨」「骨接ぎ」の看板がかかっていた。最近、町道場の姿は消えたが、それに代って「整骨院」の看板をよく目にするようになった。健康保険も利用でき、なんとはなく”医療”の匂いもするので、老妻のの勧めでビルの一角にある整骨院の門をくぐった。

通院するに当たり事前にネット情報で調べると、整骨院も接骨院もやっていることは同じで、正式名称は「柔道整骨施術所」というのだそうだ。これまた古めかしい名前の「柔道整骨師」の国家試験に合格すれば「柔道整骨施術所」を開ける。なぜ柔道なのか、昔は柔道の先生がもっぱら、骨接ぎに当たったから、その名残なのだろうか。

僕の治療にあたった整骨師は、柔道とはほど遠い華奢な若い男性であった。一応僕の症状をきいた後、ベッドに僕を寝かせマッサージをし、そのあと、いわゆる”ツボ”といわれる部分にテープをはった。そして家でも簡単にできる体操のいくつかを伝授した。まだ通院して2日で効果ののほどはわからないが、1年間通院して効くか効かないか半信半疑で注射され、痛み止めという塗り薬をよすだけの整形外科医よりは、僕には理にかなっているように思える。当分通ってみることにする。

反対!! 「終活」と”千の風”

2013-09-18 06:56:28 | Weblog
「就活」「婚活」といった変な言葉とならんで「終活」というさらにおかしな言葉が流行している。”人生の終りをよりよいものとするため事前に準備すること”だそうだ(ウイキぺディア)。具体的には生前のうちに自身の葬儀や墓を準備し、死後遺産相続をめぐって残された遺族間でもめごとが起らないよう手当をすることだという。ネットによると「終活」のための社団法人もあるし「終活読本」という雑誌まで出ている。

人生、80歳を越え大病を繰り返すと、自分の命も終末に近ずいてきたという自覚はある。しかし、僕は「終活」する気持ちにはならないし、むしろ反対である。幸い先祖代々の墓地はあるし、自分の葬儀を事前に考えるほどの余裕はない。また死後、残された連中が相続を巡って争うほどの財産はない。僕の人生訓の一つは「起承転結」だが、今、僕はいかにして「結」の人生が終えられるかで精いっぱいだ。とても死後の世界まで考える余裕はない。

数年前NHKの紅白でも歌われた秋川雅史の「千の風に乗って」が”葬式ソング”の定番になっているという。本当かどうか判らないが”私のお墓の前で泣かないでください。そこには私はいません。眠ってなんかいません”という、この歌がなぜ”葬式ソング”の定番なのだろうか。火葬場で葬儀なしで行われる「直葬」なら解からないでもないが。

新聞を見たら、同期入社の友人の死が伝えられていた。最近は体調をこわして同期会にも顔を見せていなかったが、現役時代、ベトナム戦争真っ最中のサイゴン支局長として苦労した。お通夜も告別式も遠方なので失礼するが、故人の事を想い合掌する気持ちは失いたくない。「終活」以前の問題である。


孫がLCCを使って1か月の海外旅行へ”鹿島立ち”

2013-09-17 06:42:00 | Weblog
昔はよく”鹿島立ち”という言葉を耳にした。その昔、東国の若者が筑紫、壱岐、対馬などの要路の守備に防人として赴く前に、鹿島神宮に詣でた故事からきており、それから一般に若者が遠路に旅立つ意味につかわれている。明日18日、大学生の孫の一人がLCC(格安航空券)を駆使して約1か月間の海外旅行へ”鹿島立ち”する。

ネットの情報を調べあげ、まず主訪問目的地のインドネシアまでの往復料金3万円を購入、それから枝葉をつける形でトルコからインドまで足をのばす。宿泊先もネットでユースホステルやホームステイなど格安なところをを探しだし事前に予約している。旅行にかかるトータルの予算がいくらなのか聞かなかったが、旅費のほとんどは、塾の講師として稼いだアルバイト代でまかなう。

最初の予定ではバリ島から主目的地のテマングン(中部ジャワ)まで夜行バスで行く予定であったが、ホームステイ先の僕の友人からメールが入り、事故が多く、治安上も問題があるから止めて欲しいと忠告があった。インドネシアを旅すると、国道脇にスピードの出しすぎからか横転している車体をよく見かける。それに外国人を狙ったスリも多い。孫は何事も経験と思っていたが、さすがに現地人からの忠告で航空機に切り替えた。

孫は過去に一度、ラオス、カンボジャなどへ格安旅行を経験しているが旅のビギナーである。その意味で先日のトルコでの女子大生の死傷事件は一つの警告になった。親日国トルコのしかも世界遺産の観光地で起きている。最近、若者の海外旅行が減ってきている、とマスコミは伝えているが、一方ではこんな貧乏旅行も流行しているようだ。しかし、旅には危険がつきものだ。念には念を入れたほうがよい。

「敬老の日」を「老人の日」に変えたらどうか。入院生活の現実

2013-09-16 06:41:33 | Weblog
9月の第3月曜日は「敬老の日」だが15ある「国民の休日」のうち、これほど空疎の響きがあるものはない。昭和23年の「国民の祝日法」で「敬老の日」が制定された当時は”多年にわたり社会につくした老人を敬愛し長寿を祝う”気持が日本の社会にはあった。しかし、今はどうだろうか。老人の僻みかもしれないが、年寄りをやっかいもの扱いにする風潮があるようにみえてならない。それに引き替え、高齢者医療の現実はどうなのか。僕は6泊7日の入院生活でその一端を体験した。

僕が膀胱ガンで入院した東京の国立病院の病室は35㎡の広さで、カーテンで囲って4室あった、僕は膝が悪く若干歩行に難があるのでトイレにに近い部屋にいれてもらった。ところが、偶然だかどうか判らないが、同室の3人が認知症患者で、入院中僕はほとんど46時中、彼らのうめき声や、ため息に悩まれ通しだった。

僕の横の患者は看護婦との会話から救急で入院してきた64歳のタクシーの運転手で脳梗塞のようであった。入れ替わり立ちかえり医師が来て認知症のテストをしていた。入院にはなれていないようで、傍若無人に夜間でもナースコールのボタンを押し続けた。家族は山梨県にいて東京のタクシー会社の寮で一人生活しながら仕事をしていたらしい。入院2日後、家族が山梨からかけつけたが、奥さんは自分も仕事をしていて、見舞にこれなかった、と言い訳していた。

カーテンを挟んだ後ろの患者は胆嚢炎の患者のようだが、看護婦が検査で身体を触れるたびに”イタイ、イタッイ”と大声を上げ、ときには”○○っ子”と奥さんらしい名前を呼び続ける。ついには苦しさからか、ベッドの上で身体を動かし転落してしまった。これでは僕はゆっくり寝られない。看護婦が”おうちの方は”と聞いていたが、家族の見舞がない。多分特養老人施設からの入院患者のようである。

斜のベッドの患者も認知症患者のようで、回診の医師が”ここはどこか”とか”今日は何日か”と質問していたが、本人は病院の規則に反してケータイでどこかへ大声で通話している。相撲に”三ところ攻め”という手があるが、僕の入院生活はまさに”三ところ責め”であった。

「敬老の日」、80歳になるとカステラなどのお祝い品が行政側から届けられるが、なにか空々しい。「敬老の日」の名前を「老人の日」とかえて、わが国最大かつ緊急に解決を要する老人福祉の問題を真剣に考える日にしたらどうだろうか。

4回目の膀胱ガン、無事退院できました。

2013-09-15 10:34:59 | Weblog
今日15日、無事、4回目の膀胱ガンの摘出手術を終え一週間で退院できました。正直いって80歳を越えての手術は心身共に堪えた。しかし、こうやって再び元気に退院できたのは、老妻はじめ家族の暖かい励ましと、医師、看護師はじめ病院関係者のサポートがあったからだ。あ改めて、お見舞いをくださった方々ともども感謝する次第である。

膀胱ガンの特性なのだろうかー。今回の手術は2000年2月の第一回手術から数えて4回目である。手術後医師の指示に従って一定期間、抗がん剤を患部に注入し、そのあと内視鏡(膀胱ガン鏡)検査で再発防止につとめてきた。しかし、この病気の特性なのだろうか、3年半ぶりにまた再発してしまった。

医学は日進月歩に進歩してる。今回の手術は下半身麻酔薬の注射を含め僅か40分で終わった。その間なんら痛みも感じなかった。しかし、麻酔の覚める間の数時間はベッドに身体をしばられたままで、点滴を受け”手術”の苦しみを味わった。13年前の手術の際は、摘出時も痛みがあり、麻酔が覚めた後の痛みはもっと長かったような気がしたが。

今回も献身的な看護婦さんのお世話になった。84㌔という巨体は看護のたび、つくずく申し訳なく思う。その看護婦さんが何か行動を起こすたびに”○○してもよいですか?”という言葉が僕には気になった。看護師試験のマニュアル問答集にでもあるのだろうか、どの看護婦さんもこの言い回しをする。丁寧な言葉にこしたことはなうが、なんとはなく僕には違和感を感じた。退院の前夜、同室の認知症の患者がパニック状態になり、僕はほとんど寝られない状態だった。それを知った彼女たちは、退院のさい、僕に深々と頭をさげた。お互いさまで僕はそれほど思ってはいなかったのだが。

”人生苦もあり楽もある” ガンで入院します

2013-09-09 06:12:16 | Weblog
今日9日から膀胱ガン手術のため入院します。前回2010年6月、最後の手術から数えて3年3か月、2000年2月の最初の手術からは13年間で4度目の手術になる。この病気の宿命なのだろうかー。過去の経験から安全で無事であることは解っているが、80歳をこえる老骨には2時間にわたる手術は体にこたえるし、精神的にもめいる。

日本の医学は日進月歩だ。13年前発病したときは、膀胱ガンと診断されるまで9か月もかかった。血尿とものすごい痛みが出て、かかりつけの内科医の紹介で近所の泌尿器科の診断を受けたが、前立腺肥大と誤診されて、治療のため抗生物質の薬を与えられた。薬を飲むと血尿も止まったが、薬がきれると同じような症状である。この間、3週間も海外旅行をしたりしていた。しかし、回復の兆しがないので、娘が心配して国立病院へ強引に僕を連れていった。

国立病院でもすぐには膀胱ガンの診断は出なかった。結局、最初に近所の泌尿器科医の診断を受けてから9か月もかかっている。今なら、多分膀胱内視鏡検査をすれば一回で判明したのだろう。手術から退院までも当時の記録を見ると半月以上かかっている。前回最後の時は6日で退院している。昨年、一昨年は秋、海外旅行を楽しんでいる。今年は、あまり変化もなく楽しくもない病院でのベッド生活だ。歌の文句ではないが”人生苦もあり、楽もある”である。従って小ブログも1週間ほど休みます。

よかった、よかった2020年東京五輪招致

2013-09-08 05:37:35 | Weblog
2020年オリンピックの東京招致がブエノアイレスのIOC(国際オリンピック)総会で決まった。あと7年先の開催である。82歳の僕が果たして観戦できるかどうか判らないのだが、早朝にもかかわらず寝床で決定のニュースを待った。正直いって最終段階にきて福島原発の汚染水の問題が飛び出しひやひやしたが、安倍総理のプレゼンテーションもあって開催への障礙にはならなかった。本当によかった。諸手をあげて、すなおに喜びたい。

前回昭和39年(1964年)東京大会は、考えてみれば49年も前の事である。僕ら年寄りにはついこの間の事のように思われるが、ほとんどの日本人にとっては初めての開催だ。テレビの画面で、東京開催の朗報を待って駒沢の前回会場に集まっていた若い人たちの喜びようをみたが、すばらしい笑顔であった。

この国をあげての喜びの時に水をさすようだが、、昨夕民放の「報道特集」をみたが五輪反対の姿勢がありありとみえ後味が悪かった。多分、この局は、汚染水問題で東京が落選すると踏んで、このような番組を組んだのであろう。韓国の被災地からの水産物緊急輸入措置はなんだったのか。科学的根拠によらない、このような妨害行為は世界には通用しない。日本人の嫌韓感情をいたずらに煽っただけだ。ある新聞のコラム子は、キムチを食べないと書いていたが、僕は焼肉を食べないことにする。こんな、ひねくれた性(さが)の悪い連中とはつきあわない。

"アサヒ”られたIOC総会の汚染水問題 

2013-09-07 10:08:58 | Weblog
2020年の五輪開催地を決めるブエノスアイレスのIOC(国際オリンピック委員会)総会で最終段階でにきて東京招致の雲行きがおかしくなってきた。その理由は急に浮上してきた福島原発の汚染水問題である。

この問題は僕が知る限り8月31日の朝日新聞デジタル版のニュースの発端だ。ニュースは朝日本社と同社屋にある「ニューヨーク.タイムス」や韓国の「東亜日葡」を通じて、一挙に世界に配信された。日本で最大の英字新聞「ジャパン.タイムス」(発行部数2万部)も「ニューヨーク.タイムス」とニュース提携しており、在日外国人にも誇大に知れ渡った。

政府のこの汚染水対策にもおかしかった。朝日新聞デジタル版が報ずるように、汚染水問題をIOC総会に悪影響を与えるの危惧して発表を先送りしていたきらいが見られた。政府がこの問題の解決に対して全面的に乗り出すのならば、もっと早くマスコミに発表すべきであった。

韓国政府が、この時期に福島、宮城、岩手三被災県だけでなく、海のない栃木、群馬を含めて8県からの水産物を全面輸入禁止措置に出たのは、まさに日本の落選を狙った意識的なものだ。隣国としてとるべき措置だろうか。2011年3月、あの大震災の直後であったが、民主党政権は、震災の救援が第一なのに高木義明文科相は、朝鮮人学校の無償化に奔走していた。マスコミや政治家の中には、すこし国の利益を考えない”おめでたい”人が多すぎるのではなかろうかー。