「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「水菓子」のお見舞い

2013-09-22 06:01:52 | Weblog
小ブログで知り合った神戸在住の「朱雀」さんから病気見舞いに果物の篭が冷蔵宅急便で贈られてきた。季節のブドウ、梨、リンゴ、ミカンなどが篭にいっぱい。「朱雀」さんはインドネシア郷土義勇軍(PETA)の研究者で、先日訪イのさいメールを通じて若干便宜のお手伝いをしたにすぎないのに、義理がたい。早速おいしく頂戴した。

子供だった戦前昭和の頃は、病気見舞いは今より身近なようだった気がする。僕も何回か親類のお年寄りの見舞に病院へ出かけた記憶がある。その時の見舞品の定番が果物篭であった。当時東京では果物のことを「水菓子」と呼んでいた大人が多かった。大きな病院の前には見舞いの果物を専門にする「水菓子屋」さんまであった。「水菓子」の篭には当時高級品であったバナナやパインアップルの缶詰が入っていた。

僕の一人きりの兄弟であった姉が昭和19年5月、肺結核で21歳で早逝しているが、戦争の真っ最中で「水菓子」どころではなかった。お見舞いには、もっぱら生タマゴであった。紙箱の中にモミガラがひかれ、その間に生タマゴが大事そうに10個ほど入っていた。薬石効なく姉は病床についてから5か月で、この世を去った。

「水菓子」というと、今では和菓子の水羊羹とか葛餅類を指す場合もあるという。しかし、古い東京の人間の僕にとっては、果物よりは「水菓子」といったほうが響きがよい。「朱雀」さんから贈られてきた「水菓子」の中には、まだ僕が味わったこともなかった、美味しい国産の新種の洋梨もあった。有り難い幸せな時代である。生タマゴで栄養をとりながら死んでいった姉を偲び、折からお彼岸の仏壇にお見舞い「の水菓子」をおすそ分けして奉げた。