「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

           全治1週間の休刊

2008-10-15 20:04:28 | Weblog
パソコンがダウンしてしまった。半月ほど前から調子が悪かったが、ついにFreeze
(凍結)してしまった。あと数十日でブログ開始1000回を迎えるのに残念だ。メーカー
の話では全治1週間だそうだ。泣く子と地蔵とパソコンには勝てない。暫らくく休刊
させてください。老骨にムチ打って”加油””加油と頑張ってきたのですが。氷結期間、
僕も給油することにします。

        我が家へも”振込め詐欺”?電話

2008-10-15 05:38:06 | Weblog
昔の仲間に会うとよく”振り込め詐欺”が話題になる。広報「けいしちょう」による
と、都民の三割が電話などで働きかけを受け、中には一人で5回もおかしな電
話があったという。我が家にも二年ほど前”ご主人が交通事故を起こし、示談金が
すぐ必要だ”と弁護士を装った男から電話があった。電話にでた老妻は、僕が運転
出来ないのを知っているので、すぐにいんちきと見抜いた。

暫らく、このような電話がなくて安心していたが,昨日、僕が一人で家にいると変な
電話がかかってきた。”山本です。前に二度お伺いした山本です。覚えてていますか”ー
人懐っこい声でかけてくる。僕には「山本」という友人も知人もいない。いたが、とうの
昔に亡くなっている。

広報「けいしちょう」によると、東京都内の”振り込め詐欺”は、相変わらず多く被害総額は
46億円に上っている。信じられない数字だ。今日は二か月に一度の年金支給日、とくに
都内では後期高齢者保険料がはじめて天引きされる日だ。警視庁は5万4千人の警察官
を銀行や被害の多い無人のATM周辺に派遣して被害の防止に当たっている。日本も変な
社会になったものである。

わが家は電話局に番号を届けていない。したがって電話帳にも載っていない。携帯電話も
持っていない。持っていたが、あまり使用しないのに使用料が高い。なければなくてすむも
のだ。こうして”振り込め詐欺”の防止?に努めているが「けいしちょう」によると、”私に限って
大丈夫”といういう人に限って被害にあうのだという。
気をつけるに越したことはない。


          後期高齢者の「体育の日」

2008-10-14 05:15:55 | Weblog
昨日は「体育の日」だった。東京五輪の開幕日の10月10日を記念して設定され、
長い間、この日に慣れてきた老人にとって、うっかりなんの祝日だか忘れるところ
だった。僕の「体育の日」は、朝のラジオ体操から始まった。会場の大学のキャン
パス跡には90歳の元艦隊勤務の軍医さんを始め、参加者の80%は60歳以上の
高齢者だ。確かにラジオ体操は身体にはよいのだが、後期高齢者になると、これだ
けで、それ以上の体育はない。

前期高齢者の頃は、僕は万歩計を腰にさげて一日に一万歩とまではゆかなくとも
五千歩は歩いていた。が、75歳を過ぎた頃から人並みに膝に痛みが出てきた。
歩きすぎとは思わないが、お医者に言わせると、やはり高齢者の”勲章”みたい
なものだという。

僕の少年時代は「富国強兵」の国策にそって子供も鍛えられた。昭和18年の東京
の中学校(旧制)の試験は、内申書と口頭試問と体力検定であった。友人の元大
学教授は秀才だったが、運動神経が鈍く、東京で最難関の学校を受けたが落ちて
しまった。僕も懸垂がだめで、母が買ってきた樫の棒を廊下の敷居に渡して練習をした。

”歩け歩け”運動も盛んで「歩け歩けの歌」(昭和16年ラジオ歌謡)ー。
      □歩け歩け歩け歩け 南へ北に歩け歩けっけ
       東に西に歩け歩けっけ 路ある道を歩け歩け
       路なき道を歩け歩け
日曜日や休日、東京の郊外は,強歩や行軍の家族連れでいっぱいだった。

11月3日に区主催のウオーク・ラリー参加のお誘いがあった。たった5キロですよ、と
いうことだが、後期高齢者には1キロでもきつくなった。寂しい限りだ。

       "李下に冠を整さない” 北朝鮮

2008-10-13 05:24:49 | Weblog
北朝鮮の共産党機関紙「労働新聞」が金正日総書記写真20枚を一挙に公開したと
いう。金正日の動静は8月14日以来、58日もはっきりしない。なぜ、この時期に大々
的に総書記の写真を特集するのか、僕らにはまったく理解できない。

北朝鮮の国花は李(すもも)だが、昔から中国の諺には”李下に冠を整さず”というのが
ある。李の木の下で、冠を整さなければ、果実泥棒と間違えられる。つまり他人か
ら疑われやすい行動はとるな、という譬である。20枚もの写真公開は総書記に何かあ
ったことの偽装かもしれない。

その昔、冷戦時代に「鉄のカーテン」「竹のカーテン」という言葉があった。「鉄のカー
テン」は英国のチャーチル首相が冷戦下、鉄のカーテンでシャットアウトされたソ連
圏を皮肉った言葉。「竹のカーテン」は毛沢東・元中国主席が”百家斉放百家争鳴”
を唱えながら外部からは、まったく中国内部の様子が窺いしれないことを言った言葉
である。

今の北朝鮮は「李のカーテン」(言葉は少しきれい過ぎるが)で、内部のことがわから
ない。ナンバー・ワンが生きているの死んでいるのかさえはっきりしない。李の花言葉は
忠誠、貞節、独立である。朝鮮人は本来、李の花のように白くて清楚な気持ちの持ち主だ。

金正日独裁下の北朝鮮は拉致問題を解決しない限り、テロ国家である。米国はテロ国家
指定を解除したが、これは彼らの倫理感かもしれない。”秋の終わりには調査を終える”
といったのは、どこの国だ。国内で何が起きているのか判らない国はテロ国家である。

         ブログは時には頭のレク

2008-10-12 05:17:08 | Weblog
僕のもう一つのブログ「1000都物語」にセレベス島(インドネシア)のマカッサ
ルのことを書いた。「1000都物語」は僕がかって訪れたことがある国内外
の町の紹介と想い出ブログである。「1000都」と大きく出たが、いまのところ
まだ「185都」にすぎない。

そのマカッサル編の中で、僕はインドネシアの”べチャ”の発明者について他
人の本を”孫びいて”瀬古田吉と紹介したところ、早速、昔、マカッサルに居
住していた方から、人を介して”私の知り合いの瀬古周吉ではないか”と問合
せがあった。この方のメールによると、田吉さんではなく周吉さんが正しいそう
だ。ただし、この方も瀬古さんのお孫さんも"べチャ”の発明についてはご存知
なかった。

マカッサルはセレベス島最大の都市で、戦前から沢山の日本人が同地で商売
をしていた。戦中は海軍の民生府が置かれ、千人以上の海軍軍人軍属が駐屯
していた。戦後も技術協力で日本人が居住、関係者の間で立派なHPがある。

僕の小さなブログは、たちまちマカッサル関係者に伝わり”べチャ”について
も話題になった。インドネシアでは今でも田舎町へ行くと”べチャ”が主要な
交通機関だ。自転車の前に大きな乳母車をつけた乗物で、輪が三つあることから
Roda tiga(三輪車)と昔は呼ばれていた。

人力車が日本人の発明であることは、よく知られているが”べチャ”については
インドネシア関係者の間でも知られていない。ブログが取り持つ縁で、過去の歴史
を渉猟できるのは頭のレクにもなって楽しい。

       企業から脱走する技術研修の外国人

2008-10-11 06:27:51 | Weblog
僕の周辺でも最近、めっきり外国人が多くなってきた。家の階下にはアフリカの大使館
員が住んでいるし、散歩へ行くと必ず一人や二人の外国人に会う。東京の住宅地でさえ
こうなのだから地方の自動車工場の多い地区では、もっと国際化が進んでいるのだろ
う。少子老齢化、将来の日本はもっとこの傾向は進むと予測されている。

外国人がめだつようになったのは平成5年に外国人研修・技能制度がスタートしてからだ。
この制度を利用して発展途上国から"技術移転"や"人材育成”などの目的で年間10万人
の外国人が入国している。この8割が中国人だそうだが、なぜか一年間の研修期間を終え
二年目以降の技能実習になると、受け入れ先の日本の企業から失踪したり無断で帰国す
る者が増えている。会計検査院が厚労省の主管する、この制度を調査したところ、平成18、
19年だけで約1万3千人に上ることが判った。

東京首都圏の小さな中華料理店や時には日本そば店でも、中国人女性の店員が多くなっ
てきた感じがする。彼女たちがどんなVISAで入国しているのか知らないが、消息筋によると、
研修先からの"逃亡者”が多いという。女性の中には新宿あたりの風俗店で働いている者も
いるようだ。厚労省が研修を委託している財団法人には18,9年で計7億3千万円のカネが
使われている。ここにも税金の無駄使いがみられる。


           ノーベル賞と"駅弁大学”

2008-10-10 04:58:34 | Weblog
ノーベル化学賞を発光生物学者の下村修氏(80)が受賞した。さきの物理学賞の
南部陽一郎氏(86)と益川敏英氏(68)小林誠氏(64)の二人についで、今年は四
人の日本人が受賞、まさに日本の科学界にとっては最高の年である。金融不安や
暗い事件が多い昨今だけに、日本にとって久しぶりに明るいニュースだ。

日本人として初めて湯川秀樹博士がノーベル賞受賞したのは昭和24年だった。敗
戦後、日本人全体がまだ敗戦のショックで立ち上がれず、沈んでいた頃だった。そ
れだけに、湯川博士の受賞は、明るいビッグ・ニュースで、将来への燭光だった。そ
れは当時生まれた子供に「秀樹」と命名した両親が多いことでもわかる。

化学賞を受賞した下村氏のニュースに関連して、初の地方大学出身という報道があ
った。厳密には下村氏は旧制長崎医学専門学校薬学部卒業だが、これまでのノーベ
ル賞受賞者が,旧帝大系大学の卒業に対して、確かに下村氏は違う。下村氏が卒業
した昭和26年は、旧制から新制への移行期で、湯川博士が受賞した24年は新制大学
が発足した年で、各県に一つ大学が誕生したのを揶揄して評論家の大宅壮一は"駅
弁大学”などといっていた。

僕はたまたま下村先生とほぼ同世代なので、先生の青年時代のご苦労がわかる。先
生の同期は、戦争の激化のため旧制4年で卒業、ほとんど勤労動員で学校に行ってい
ない。大学時代も実験器具の不足していた時代だ。先生が研究用の蛙をご家族と一緒
に捕獲している写真をみた。”一生懸命やれば、なんでもできる。途中で投げ出してはい
けない”という言葉に実感がある。

        改竄(かいざん)された僕の年金記録

2008-10-09 06:35:16 | Weblog
昨日、郵便屋さんが”速達ですよ”とポストに入れていった郵便の一つに社会保険業務
センターからの「年金加入記録照合票」の書類があった。瞬間、僕はなんの書類か判ら
なかったが、どうやら僕が今年三月に「ねんきん特別便」に回答した年金記録に対する
問合せのようである。書類には”いま、あなたの記録票を居住地の社会保険事務所で調
査確認しているから待て”といった内容だ。「ねんきん特別便」に回答してから、すでに半
年、それに調査確認だっていつのことか判らない。それなのに、なぜ速達便で送る必要
があるのだろうかー。

僕の年金記録には昭和56年12月勤務したこともない商事会社の年金記録が1か月記載
されていて、数か月勤務した別の会社の分の記載がない。僕の全体の年金記録からみれ
ば、支給額には影響ないが、そのことを書いて業務センターに送った。返事がないのでどう
なったのかとは思っていた。

ところがである。最近、オンライン化された昭和61年3月以後改竄された記録がなんと6万
9千件もあることが発覚、オンライン以前にも同じようなケースもあると報道されていた。か
んぐるわけではないが、僕への通知も放置しようと思っていたが、厚労省の動きに慌てて
とった措置なのかもしれない。

社会保険庁の過去の杜撰さは、まさに泥沼である。徹底的に追及してもらいたい。と同時に
僕は厚労省の対応も後手後手のようにみえて仕方がない。やっていることは第三者委員会
とか調査委員会とか組織いじりばかりのようにみえる。役人OBのような共済年金者を集めて
も実態は判らないし対策にもならない。





            老妻の”貧乏旅行”

2008-10-08 06:06:21 | Weblog
先日、老妻が娘と一緒に一泊二日の"貧乏旅行”を楽しんできた。旅行費用は〆て
¥13,000。東京から飛騨路を観光して金沢までの往復バス代と金沢でのホテル一
泊二食すべて含めての料金である。同じころ友人夫妻が名古屋、奈良を個人で旅
して帰ってきていうには"100,000円かかった”という。それに比べればはるかに”貧
乏旅行”だ。

帰宅した老妻が昼食に食べ残してきた”笹寿司”を頂きながら旅行話を聞いた。テー
ブルの上には土産品がいっぱい。ためしに紹介すると(カッコは生産地)(1)ねこあげ
昆布(黒部市)(2)根昆布(加賀市)(3)笹寿司(越前市)(4)やき麩(金沢市)(5)あんこもち
(金沢市)(6)九谷焼土瓶(九谷市)などなど、それに途中高山で買ったほうば味噌と
どぶろくなど、ひょっとすると土産代のほうが旅行費用より多いかもしれない。

男と女の違いなのか、それとも僕がケチなのか最近、僕は旅に出てもあまり土産を買
わなくなった。買っても、その土地のデパ地下かスーパーへ行くか、道の駅があれば
そこへ行き土地で獲れた野菜や魚を買う。産地偽装はない。

年金生活も後期にはいると、前期のように海外旅行へは行けなくなる。せいぜい国内
の旅を年に数回、楽しめるだけだ。それでも旅ができればよいほうだ。日本国内には
まだまだ行ったことがないところが多い。老妻のように土産を買い捲るのも旅の楽し
さの一つなのだ。

            学者先生の非常識

2008-10-07 05:35:02 | Weblog
昨夕、同じ職場にいた僕よりはるかに若い後輩の出版記念会に出席した。阿倍晋三・元
首相も元気な顔を出し、盛大なパーティだった。ジャーナリズムの一方の側を代表する面
々、僕もテレビで知っている学者や評論家が沢山見えていた。僕と大学と同窓同期の著名
な学者先生も来賓として”立派な"ことをしゃべっていたが、悪いけれども僕は拍手を贈る
気にはなれなかった。

この春、僕らは卒業55年を記念して、多分これが最後になると思う同期会を母校で開いた。
僕はこの会の幹事をつとめたが、案内状を送りながら返事をよこさなかったのは、この学者
先生と朝鮮総連に就職した男の二人であった。売れっ子の学者のことは十分承知しており、
前もって敬意を表し挨拶したのに非常識である。

非常識と言えば、昨日の新聞にノーベル賞作家の大江健三郎氏が、山形で予定されていた
講演会を無断で欠席した、と書いてあった。こちらは講演日を勘違いしていたようだ。歳をと
ると、よくあることだが、彼はまだ前期高齢者のはずだ。悪いがおそまつだ。

ものおもう秋はやたらと、学校職場のOB会が多い。すべて出席していたら破産してしまう。
歳をとると、わがままになり、出たくない会もある。でも案内状をもらいながら返事をださない
のは、どう考えても失礼である。どんなに高邁に天下国家を論じても、僕らの社会ではゲス
野郎である。非常識なのは政治家だけではない。