クアラルンプールを発って北京に向かったマレーシア航空の旅客機が消息を絶ってから1週間、依然機体が発見されていない。マレーシアのナジブ首相は記者会見で故意に通信手段が遮断されており、事件の可能性を含め、捜索範囲も南シナ海からマラッカ海峡、インド洋にまで広げて行う旨、明らかにした。失踪後も7時間、人工衛星から同機の発進音をとらえており、まったくミステリーな事件である。
当初、同機が遭難したとみられた南シナ海は大東亜戦争の緒戦、日本海軍が「マレー沖海戦」で大勝利を収めた古戦場である。昭和18年版文部省国定国語教科書巻六は「不沈艦の最後」という標題で、日本帝国海軍が不沈と誇示していた英国の東洋艦隊の旗艦「プリンス.オブ.ウェルズ」戦艦「レパルズ」などを戦闘爆撃機による攻撃で撃沈した模様を書いている。海戦の水域は、クアンタン東方80キロ、北緯4度東経13度55分だから、まさに旅客機が消息をたった近くの海域である。
当時の戦記によると「プリンス.オブ.ウェルズ」など艦隊は開戦の12月8日にはシンガポール海軍基地に停泊していたが、日本軍の空襲後行方が不明になった。恐らく日本側の一斉攻撃を予測して出港したのだろう。英国艦隊の航行場所が特定できず、日本側は潜水艦や偵察機を出して捜索したが、悪天候もあって探せず、やっと9日午後になって所在をつかめた。当時はまだレーダーもなく、航空機の滞空時間も短かかったため、索敵は困難を極めたようだ。
捜索範囲を広めたインン洋のアンダマン諸島も戦争中、海軍の第12根拠地隊が駐屯していたが、戦争末期連合軍による海上封鎖で隊員は飢餓寸前になりさらに住民の反乱もあって、戦後のBC級戦争裁判(シンガポール)で多数の刑死者を出している悲劇の島だ。マレーシア航空機の今回の事件で、忘れかけていた70年前の歴史を想い出した。
当初、同機が遭難したとみられた南シナ海は大東亜戦争の緒戦、日本海軍が「マレー沖海戦」で大勝利を収めた古戦場である。昭和18年版文部省国定国語教科書巻六は「不沈艦の最後」という標題で、日本帝国海軍が不沈と誇示していた英国の東洋艦隊の旗艦「プリンス.オブ.ウェルズ」戦艦「レパルズ」などを戦闘爆撃機による攻撃で撃沈した模様を書いている。海戦の水域は、クアンタン東方80キロ、北緯4度東経13度55分だから、まさに旅客機が消息をたった近くの海域である。
当時の戦記によると「プリンス.オブ.ウェルズ」など艦隊は開戦の12月8日にはシンガポール海軍基地に停泊していたが、日本軍の空襲後行方が不明になった。恐らく日本側の一斉攻撃を予測して出港したのだろう。英国艦隊の航行場所が特定できず、日本側は潜水艦や偵察機を出して捜索したが、悪天候もあって探せず、やっと9日午後になって所在をつかめた。当時はまだレーダーもなく、航空機の滞空時間も短かかったため、索敵は困難を極めたようだ。
捜索範囲を広めたインン洋のアンダマン諸島も戦争中、海軍の第12根拠地隊が駐屯していたが、戦争末期連合軍による海上封鎖で隊員は飢餓寸前になりさらに住民の反乱もあって、戦後のBC級戦争裁判(シンガポール)で多数の刑死者を出している悲劇の島だ。マレーシア航空機の今回の事件で、忘れかけていた70年前の歴史を想い出した。
マレーシア航空機の事件は、自衛隊も協力するそうですから、早く発見して欲しいです。
第二次の頃は、レーダーなどがないので、潜水艦などは音と乗組員の勘に委ねられたとか。
終戦のローレライという本で、ドイツの軍事兵器として、透視力のある少女を戦艦に乗せて、的艦の場所と数を特定させて攻撃をするという物語がありました。
実に不思議な事件ですね。人工衛星で航跡がある程度追跡できるそうですが、どこへ消えてしまったのでしょう。乗客の大半は中国の金持ち観光客とのことですが、反政府少数民族の起こした事件かもしれませんね。70年前のマレー沖海戦の時はレーダーもなく大艦隊の行方の追跡に1日がかりだったそうです。ミステリーの事件です。