ロンドン五輪前半の日本選手の中で、やはり光っているのは水泳400m個人メドレーで銅メダルをとった高校生萩野公介君の活躍だ。まだ17歳で伸び盛りの選手である。次の200m個人メドレーでもメダルが期待できそうだ。これに引き換え、残念なのは三連覇を目指して出場した北島康介さんが100m平泳ぎで五位に終わったことだ。改めて五輪での三連覇の難しさと、スポーツ選手にも”旬”みたいなものがあるのがわかった。
有名な話だが1948年の前回のロンドン五輪の際、日本水連は五輪の400m、1500m自由形決勝の日に、わざわざ日本選手権の同種目の決勝を開催した。当時、日本は戦争で五輪に参加できなかったが、古橋広之進さん(故人)が、この種目で世界記録を持っていた。そこでメダルは取れなくとも、記録だけは競わせよてにようという試みだった。結果は見事古橋さんはロンドン五輪の金メダルの記録を破り、自己の持つ世界記録を越える記録であった。その時古橋さんは日大の新人で20歳であった。その古橋さんは4年後、戦後初めて日本が参加したヘルシンキ五輪に日本中の期待を背負って出場したが、400m自由形で八位にとどまった。
高校生が水泳でメダルを獲得したのは1956年のシドニー五輪の山中毅さん以来56年ぶりである。この時山中さんは18歳の高校生だったが、初出場ながら400m、1500m自由形で二位になり銀メダルを獲得した。その後早稲田大学に入学、当時の世界記録を次々更新したが、次のローマ五輪では同じ銀メダルに終わり、1964年の東京五輪では地元開催で期待されながらメダルをとれなかった。
やはり、スポーツ選手、とくに水泳選手には体力的な”旬”があるのかもしれない。北島康介さんには、まだ200mが残っている。ぜひこんなジンクスめいたことを吹き飛ばしてメダル目指して活躍してもらいたい。
有名な話だが1948年の前回のロンドン五輪の際、日本水連は五輪の400m、1500m自由形決勝の日に、わざわざ日本選手権の同種目の決勝を開催した。当時、日本は戦争で五輪に参加できなかったが、古橋広之進さん(故人)が、この種目で世界記録を持っていた。そこでメダルは取れなくとも、記録だけは競わせよてにようという試みだった。結果は見事古橋さんはロンドン五輪の金メダルの記録を破り、自己の持つ世界記録を越える記録であった。その時古橋さんは日大の新人で20歳であった。その古橋さんは4年後、戦後初めて日本が参加したヘルシンキ五輪に日本中の期待を背負って出場したが、400m自由形で八位にとどまった。
高校生が水泳でメダルを獲得したのは1956年のシドニー五輪の山中毅さん以来56年ぶりである。この時山中さんは18歳の高校生だったが、初出場ながら400m、1500m自由形で二位になり銀メダルを獲得した。その後早稲田大学に入学、当時の世界記録を次々更新したが、次のローマ五輪では同じ銀メダルに終わり、1964年の東京五輪では地元開催で期待されながらメダルをとれなかった。
やはり、スポーツ選手、とくに水泳選手には体力的な”旬”があるのかもしれない。北島康介さんには、まだ200mが残っている。ぜひこんなジンクスめいたことを吹き飛ばしてメダル目指して活躍してもらいたい。
五輪に対しては年齢によって感じ方が違いますね。僕が強く印象に残っているのは、東京と次のローマ、シド二ーなどせいぜい30歳までで、50代、60代にあった五輪は場所さえ忘れてしまっています。戦前のベルリン、ロサンゼルスは、子供だったのに強い印象を受けています。国威発揚の時代だったのですね。