ニャンマー中南部を直撃した大型サイクロンで死者2万3千人、行方不明4万人以
上の被害が出ている。大変な惨事である。わが国は最初発電機など2800万円相
当を緊急援助したが、急きょ、また3600万円を追加した。わが国は昨年9月、軍事
政権が僧侶らの民主化要求デモを弾圧して以来、同国への援助を抑制していたが、
今回の援助は人道的見地から行われた。
当然のことだが、問題は援助の額とその方法それに効果である。サイクロン被害に
対する援助額だけで見ると、最大の援助国はかっての宗主国英国で500万ポンド
(約10億3千万円)でついで米国の325万ドル(3億3千万円)、軍事政権を支援してい
る中国が100万ドル(1億300万円)で、日本の6千4百万より多い。それにいつも感じ
るのだが、日本の場合は他国の"顔色”を伺っているような嫌いがある。
1979年から2004年までニャンマーにとって日本は最大の援助供与国であった。60年
代から70年にかけては歴代の総理が同国を訪問するほどの力の入れ方であった。そ
れはニャンマー(ビルマ)が先の戦争で"パートナー”であったことと、戦後の賠償をめぐ
る政治家の実利もあったのかもしれない。
ニャンマーに限らず、東南アジアでは、よい意味でも悪い意味でもかっての日本に対す
るイメージに変化がきている。例えば、外務省が今年2月ー3月シンガポールに委託して
アセアン6か国(インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン、ベトナム)を
対象に調査したところ"アセアンにとって将来重要な国、一か国をあげよ”という設問に
対してインドネシアを除いて五か国が中国をあげた。
大東亜戦争は、東南アジア地域で大きな犠牲を出した。戦後、インドネシアではこの犠
牲をステップに現在のような友好関係が維持できている。ニャンマーでの犠牲はインド
ネシア以上である。この犠牲を有効に利用して貰いたいものだ。
上の被害が出ている。大変な惨事である。わが国は最初発電機など2800万円相
当を緊急援助したが、急きょ、また3600万円を追加した。わが国は昨年9月、軍事
政権が僧侶らの民主化要求デモを弾圧して以来、同国への援助を抑制していたが、
今回の援助は人道的見地から行われた。
当然のことだが、問題は援助の額とその方法それに効果である。サイクロン被害に
対する援助額だけで見ると、最大の援助国はかっての宗主国英国で500万ポンド
(約10億3千万円)でついで米国の325万ドル(3億3千万円)、軍事政権を支援してい
る中国が100万ドル(1億300万円)で、日本の6千4百万より多い。それにいつも感じ
るのだが、日本の場合は他国の"顔色”を伺っているような嫌いがある。
1979年から2004年までニャンマーにとって日本は最大の援助供与国であった。60年
代から70年にかけては歴代の総理が同国を訪問するほどの力の入れ方であった。そ
れはニャンマー(ビルマ)が先の戦争で"パートナー”であったことと、戦後の賠償をめぐ
る政治家の実利もあったのかもしれない。
ニャンマーに限らず、東南アジアでは、よい意味でも悪い意味でもかっての日本に対す
るイメージに変化がきている。例えば、外務省が今年2月ー3月シンガポールに委託して
アセアン6か国(インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン、ベトナム)を
対象に調査したところ"アセアンにとって将来重要な国、一か国をあげよ”という設問に
対してインドネシアを除いて五か国が中国をあげた。
大東亜戦争は、東南アジア地域で大きな犠牲を出した。戦後、インドネシアではこの犠
牲をステップに現在のような友好関係が維持できている。ニャンマーでの犠牲はインド
ネシア以上である。この犠牲を有効に利用して貰いたいものだ。
30年ぐらい前までは、お互いに"戦友"意識がありました。とくに日本側の従軍世代は相手国に対して贖罪に似た感情を持っていたのも事実です。スーチーさんのお父さんのアンサン将軍を知っている日本人も沢山いました。
こうした感情はインドネシアでも強く理屈を抜きにした莫大な援助もありました。これがインドネシア国民の日本人好きの支柱になっています。しかし、世代の交代で、将来これがどこまで維持されるかどうかは解りませんが。
個人の場合でもそうです。チビチビ貰ったり、後から貰っても嬉しいものではありません。要するに商売が下手なのです。その点、華僑(中国人)は上手です。