2006年からパソコンのお世話になっているが、今回初めてウイルスの侵入を受けてダウンし、まる6日間、パソコンなしの生活を送った。長い間、生活の一部みたいになっていたためか、パソコンがないと空虚で、なにか生活に穴が空いてしまったような感じがした。習慣とは恐ろしいものだ
根が貧乏根性なのだろう。何かしていないと退屈でたまらない。パソコンから解放された暇な時間を何に使おうと考えたあげくここ数年懸案にしていたアルバムの整理を考えついた。80年を超える人生である。アルバムが8冊それに簡易アルバムに収めた紙箱が20冊もある。3日間小さな部屋に閉じこもり扇風機を背にして整理に取り組んだ。すでに二つのごみ袋にいっぱいの写真を捨てたが、まだ完全には整理できていない。
僕が格別写真が多いのには幾つか理由がある。一つは戦前昭和の時代、まだカメラがそれほど普及していなかった頃、わが家にパーレットという蛇腹のついた写真機があり,他家に比べればスナップ写真が多いことだ。二つ目の理由は、海外旅行の回数が一般の人に比べて多いことだ。1962年(昭和37年)初めて欧州と中近東を仕事で訪れてから昨年11月のインドネシア旅行まで、回数にして50数回、訪問国は19か国に及び、そのつど写真を撮ってきている。最後に最大の理由は1983年から約10年間、JICAの研修監理員(嘱託)として、研修員に同行して全国各地へ旅行し、カメラに収めているからだ。
戦争が激しくなった昭和18年頃から、もののなかった戦後の20年代までの写真はすくない。40年代の初め、だれでもが簡単に撮影できる”バカチョン”カメラが出現してから、僕のアルバムも増えてきている。人生の終末期に近づき、自分にとって想い出の大切な写真ばかりだが、子供や孫にとってはあまり意味がない。まず捨てる基準として、あまり後世にとって歴史的に意味のない自分のスナップ写真や集合写真を選んだ。中には後世重要なものがあるかもしれないが仕方がない。
根が貧乏根性なのだろう。何かしていないと退屈でたまらない。パソコンから解放された暇な時間を何に使おうと考えたあげくここ数年懸案にしていたアルバムの整理を考えついた。80年を超える人生である。アルバムが8冊それに簡易アルバムに収めた紙箱が20冊もある。3日間小さな部屋に閉じこもり扇風機を背にして整理に取り組んだ。すでに二つのごみ袋にいっぱいの写真を捨てたが、まだ完全には整理できていない。
僕が格別写真が多いのには幾つか理由がある。一つは戦前昭和の時代、まだカメラがそれほど普及していなかった頃、わが家にパーレットという蛇腹のついた写真機があり,他家に比べればスナップ写真が多いことだ。二つ目の理由は、海外旅行の回数が一般の人に比べて多いことだ。1962年(昭和37年)初めて欧州と中近東を仕事で訪れてから昨年11月のインドネシア旅行まで、回数にして50数回、訪問国は19か国に及び、そのつど写真を撮ってきている。最後に最大の理由は1983年から約10年間、JICAの研修監理員(嘱託)として、研修員に同行して全国各地へ旅行し、カメラに収めているからだ。
戦争が激しくなった昭和18年頃から、もののなかった戦後の20年代までの写真はすくない。40年代の初め、だれでもが簡単に撮影できる”バカチョン”カメラが出現してから、僕のアルバムも増えてきている。人生の終末期に近づき、自分にとって想い出の大切な写真ばかりだが、子供や孫にとってはあまり意味がない。まず捨てる基準として、あまり後世にとって歴史的に意味のない自分のスナップ写真や集合写真を選んだ。中には後世重要なものがあるかもしれないが仕方がない。
おっしゃる通りなのですが、あまりにも量が多いのです。
50年前のドバイの写真集の例もあり、古い町風景とか物売りなどは残しております。ただ意味のない集合写真は捨てています。
亡父は自分の一生を写真集にして残しましたが、明治大正時代は1、スナップ写真は皆無で、プロの写真屋さんがと撮ったものですが、、たしかに服装などはその時代を繫栄していて面白いですね。