千葉県の南房総市の息子さん宅で老後を送られていう百歳の大先輩から残暑見舞いをかねて近況の手紙を頂いた。便箋に縦書きの手紙は最近珍しいが、やはり僕ら老人にとっては懐かしく嬉しい。今年のこの暑さにもかかわらず、先輩は毎週火曜日と木曜日の二回、市のデー・サービスを楽しんでいるそうだ。百歳なのに福祉は「要介護1」とのこと。まさに老人の鑑(かがみ)である。
先輩は東京生まれの東京育ち、昨年までお孫さんと二人でご自宅に住んでいたが、昨年息子さん夫妻が心配して房総へ呼んだ。東京にいた時には、僕宛てにいつも朝日新聞の切り抜きを送ってくれていた。先輩は戦前からの朝日の愛読者であったが、今回は何故か、例の「従軍慰安婦」の朝日の訂正については、朝日ではなく、読売の切り抜きを送ってくれた。先輩は何もコメントしていないが、やはり朝日の報道姿勢にあきれて購読をやめたのかもしれない。
先輩は手紙に最近詠んだ◇敗戦といわず終戦顎涎(あご・よだれ)という一句が寄せられてあった。先輩は戦争中、中国大陸から南方に転戦、終戦はニューギニアに近い孤島で迎えている。すでに、小ブログでも紹介したが、先輩は、戦争というと、マスコミが「従軍慰安婦」だけを問題にするのに静かに怒りを覚えていたいたようだ。青春時代の5年間も戦地で送り、ロクに食べる物もなくお国のために戦ってきた世代である。それが「従軍慰安婦」だけが戦争だと思わせる世相に対しては顎涎の心境なのであろう。
朝日新聞も罪なものだ。せっかく数十年に渡って愛読してくれた読者を失ってしまった。”過ちては改むるに憚ることなかれ”(論語・学而)”過ちを改めざるこれを過ちという”(論語・衛霊公)だと思うのだがー。
先輩は東京生まれの東京育ち、昨年までお孫さんと二人でご自宅に住んでいたが、昨年息子さん夫妻が心配して房総へ呼んだ。東京にいた時には、僕宛てにいつも朝日新聞の切り抜きを送ってくれていた。先輩は戦前からの朝日の愛読者であったが、今回は何故か、例の「従軍慰安婦」の朝日の訂正については、朝日ではなく、読売の切り抜きを送ってくれた。先輩は何もコメントしていないが、やはり朝日の報道姿勢にあきれて購読をやめたのかもしれない。
先輩は手紙に最近詠んだ◇敗戦といわず終戦顎涎(あご・よだれ)という一句が寄せられてあった。先輩は戦争中、中国大陸から南方に転戦、終戦はニューギニアに近い孤島で迎えている。すでに、小ブログでも紹介したが、先輩は、戦争というと、マスコミが「従軍慰安婦」だけを問題にするのに静かに怒りを覚えていたいたようだ。青春時代の5年間も戦地で送り、ロクに食べる物もなくお国のために戦ってきた世代である。それが「従軍慰安婦」だけが戦争だと思わせる世相に対しては顎涎の心境なのであろう。
朝日新聞も罪なものだ。せっかく数十年に渡って愛読してくれた読者を失ってしまった。”過ちては改むるに憚ることなかれ”(論語・学而)”過ちを改めざるこれを過ちという”(論語・衛霊公)だと思うのだがー。
昭和20年代後半から30年代初め、まだ僕が駆け出しの頃、記者クラブは春秋の飲み会のとき、関係筋に回状を回し、酒などを得しめたものでしたが、朝日は決してこれに参加しませんでした。変なところに潔癖だと感心したものでした。さすが”一流紙”は給料が違うと羨ましがったものです。伊藤律架空会見記の少し後の時代です。その頃は村山社主と雇われ重役との間で争いがありましたが、全社をあげて、おかしな出鱈目を書く体質ではなかった気がしますが。中国の文革報道あたりからおかしくなったのでしょうか。
朝日は僚週刊誌「朝日ジャーナル」岩波の「世界」と共にインテリのステータスだった時代がありました。その延長線上で、仲間には、朝日を批判しながらまだ、購読している者が多いです。毎日と同じ道をたどるのも近い将来ではないでしょうか。