北海道七飯町の林道で悪戯したお仕置きに両親から置き去りにされた小学校2年生の田野岡大和君(7)が、なんと6日ぶりに隣町の自衛隊駒ケ岳演習所中の無人小屋で無事発見された。不明になってから長時間たち、合同捜索本部も解散する矢先のことだった。まさに奇跡ともいうべき嬉しい話だ。
大和君は元気な活発な坊やのようである。新聞に載っていた写真を見ると、どれもV字サインを示しニコニコ顔をしている。その通り無事生還できた。彼が両親から叱られて、独り林道の中に置き去りにされた原因は、大和君が石コロを車や人がいそうな森の中に向かって投げたからだという。都会では石コロなど最近はなくなっている。大和君が面白がって悪戯する気持ちは解る。一方、両親が言うことを聞かない大和君に対する躾として、お仕置きにしたのも僕には理解できる。ただ、やり方が度を過ぎた。
道徳教育の教科化が進められている。修身教育で育った僕は反対ではない。しかし、修身の時間に”石を投げてはいけない”とは教わらなかった。こういったことは、子供の遊びを通じて親や社会から自然に教わり身に着けてゆくものだ。僕個人の体験で恐縮だが、ちょうど大和君と同年齢の頃,近所の川を挟んだ隣校との石合戦で、石が右目に当たり失明してしまった。
最近は家庭でも社会でもあまり、子供の躾について無関心になってきた。家の近くを走るバスの中で子供たちが悪ふざけしていても乗客は知らぬ顔している。学校の道徳教育だけでは解決されない問題だ。多分、大和君は二度と山の中で石投げ遊びはしないだろうが、その代償としては、あまりにも怖い体験をしてしまった。
大和君は元気な活発な坊やのようである。新聞に載っていた写真を見ると、どれもV字サインを示しニコニコ顔をしている。その通り無事生還できた。彼が両親から叱られて、独り林道の中に置き去りにされた原因は、大和君が石コロを車や人がいそうな森の中に向かって投げたからだという。都会では石コロなど最近はなくなっている。大和君が面白がって悪戯する気持ちは解る。一方、両親が言うことを聞かない大和君に対する躾として、お仕置きにしたのも僕には理解できる。ただ、やり方が度を過ぎた。
道徳教育の教科化が進められている。修身教育で育った僕は反対ではない。しかし、修身の時間に”石を投げてはいけない”とは教わらなかった。こういったことは、子供の遊びを通じて親や社会から自然に教わり身に着けてゆくものだ。僕個人の体験で恐縮だが、ちょうど大和君と同年齢の頃,近所の川を挟んだ隣校との石合戦で、石が右目に当たり失明してしまった。
最近は家庭でも社会でもあまり、子供の躾について無関心になってきた。家の近くを走るバスの中で子供たちが悪ふざけしていても乗客は知らぬ顔している。学校の道徳教育だけでは解決されない問題だ。多分、大和君は二度と山の中で石投げ遊びはしないだろうが、その代償としては、あまりにも怖い体験をしてしまった。
何度注意しても同じ事を繰り返したり、自制が利かない場合は、発達障害の疑いもあるようです。
大和君は、利発そうなので違うとは思いますが、発達障害は、数人に1人いる珍しくない障害だそうです。
躾も難しい時代になりました。
他人の子供を注意すれば、親が切れる。
昔みたいに社会全体で教育が出来なくなりました。
親同士も見栄の張り合いで、精神的に病む親も少なくないそうです。
どうしてこんな社会になったのでしょうね。
子供だった頃、なにか悪さをすると、お巡りさんを呼ぶからと母親に言われたことをまだ覚えています。そのぐらい、昔はお巡りさんは怖かったのですが、いまは、そのお巡りさんが、スカートの中を写真で撮るなど、困ったものです。学校の道徳教育以前の問題として、世界共通のモラルを教えるために法で厳しく取り締まるべきです。戦前は痰を吐いたり、立小便したりしたら犯罪でした。恥ずかしが、シンガポールに学ばなけれればなりません。