「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          日本最古のインドネシア料理店で忘年会

2012-12-23 07:41:21 | Weblog
昨日の昼、老妻の傘寿のお祝いを兼ねて娘夫妻、孫二人と一緒に忘年会を目黒のインドネシア料理店「せでるはな」で催した。「せでるはな」はインドネシア語で”ほどほどに”とか”簡単な”といった意味である。(「現代インドネシア語辞典」大学書林)で、この店の料理は、その店名通り”ほどほどの”お値段で、”簡単な”家庭料理で美味しい。

「せでるはな」は僕が知っている限りでは、日本で一番古いインドネシア料理店だ。昭和30年代はじめ六本木で開業、38年に先代の故田中さんご夫妻が現在の場所に移転してきた。田中さんは戦争中、バリ島近くの小スンダ列島の小島に勤務していた海軍民政部の軍属で、現地で結婚、敗戦とともに奥さんんを連れて日本に復員してきた。戦後の混乱期、田中さんご夫妻は、まだ国際結婚が珍しいこともあって大変苦労されたが、その中で店をオープン、お子さんたちを大学まで出させている。

現在の経営者は次女の方だが、子供の時からお母さんの手ほどきを受けた直伝の料理である。故田中夫人はスラウェシ(セレベス島)のメナド地方の出身でキリスト教徒であった。そこで「せでるはな」では、インドネシアでは珍しく豚を素材にした料理もある。現在の店のお手伝いさんはスマトラのパレンバン出身のアラブ系インドネシア人で、前もって頼めばスマトラ名物の”エンぺ.エンぺ”も作ってくれる。

僕はこの店では、いつもバリ島で出来た35度の強いお酒「ARAK」を少し飲み、この店特製の激辛の”野菜カレー”を食べることにしている。店内には昭和30年代の「ジューク.ボックス」が置いてある。今は針がないので、ほとんど動かさないが、ボックスの中にはインドネシアの伝統音楽クロンチョンも数曲入っている。バリ島だけでなく、インドネシア全体を知るには格好の店だ。なお、土曜、日曜は予約制だから要注意。

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7 コメント

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Unknown (Ryu太郎)
2012-12-24 17:09:30
 アチェ州に日本が送った軍は、自衛隊の海外救援活動としてはもっとも規模が大きく、同州に派遣された外国軍のなかでは2番目の規模にあたる。
 東京側は今回の派遣を、日本の経済力に見合う政治的重みを顕著にすることを狙っており、東南アジアでの影響力を中国と争う時期に実施された。
 しかし、日本に戦時中支配された地域では、日本政府の計算通りに物事は受け取られない。
 先のハサンは語る。「軍のなかには残酷な奴もいれば、いい奴もいる。でもここでは誰もが日本軍を腹の底では憎んでいる」
 この憎しみの根は深い。
 文化的理由から、歴史の本で日本がどのようにして地元女性を性的奴隷にしたかは記述されていないが、
強制労働に従事したインドネシア人、日本軍の側にたって戦わさせられたインドネシア人、
またどのようにして侵入者が農民から作物を盗んだか、などは語り継がれている。
 ハサンは日本帝国軍がインドネシアを攻撃した1942年当時10代だった。彼は日本軍のための飛行場建設にかり出された。しかしそこで
彼が見聞きしたものは、殴打ともっとも身の毛のよだつ虐待の数々だった。日本兵に盗みの罪をきせられた村人がヤシの木に縛られて
足を切断されたことを友だちから聞いた。
http://nindja.exblog.jp/599942/
日本軍は酷いことをした。
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複眼で (kakek)
2012-12-25 12:43:36
Ryu太郎 さん
どうぞ歴史は複眼で見てください。
スマトラ中心に日本の軍政を研究しています。ご存知だと思いますが、一方的な単眼で歴史を見ると、倉沢愛子慶応大学名誉教授、後藤乾一早稲田大学名誉教授のように、まったく虚妄なブキティンギの日本の穴のような話を信じてしまいます。アチェのバイユ事件についてご存知だと思いますが、これもアチェ側からの見方だけではなく、何故このような事件が起きたのか。日本側からの検証も必要です。僕が現地まで出かけ調査した一文をご覧ください。「大東亜戦争とインドネシア」(2002年 朱鳥社)
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長い眼で (lordyupa)
2012-12-25 15:13:17
Ryu太郎さん
国同士の戦争、内戦、革命、暴動などに絡んで、虐殺も含めて、酷いことが起きることは悲惨ですが、人間集団には、正義や神の名を掲げて、酷いことを平気でする「業(性)」があるように感じます。

インドネシアと呼ばれる地域で起こった虐殺・暴力については、
①オランダが武力で植民地とした数百年の期間中に、おこなったオランダ人による、インドネシア人や華僑移民などに対する暴力や虐殺
②第2次世界大戦中に、日本軍が軍事侵攻して行った日本人によるインドネシア人に対する暴力や虐殺
③インドネシアがオランダの占領から解放されたのち、
インドネシア人自身によるインドネシア人への暴力や虐殺(スハルト政権:1965.9.30事件ほか)
④インドネシア人が東テイモール人に対して行った暴力や虐殺(スハルト政権:1975年以降数十年)
⑤1998年のアジア通貨危機のおりのジャカルタ暴動における、華僑ほかに対するインドネシア人自身による虐殺や暴力
これらの数百年にわって行われた暴力行為を、つぶさにみつめて検証する必要があると思います。ここ四百年のあいだで合計で約数十万人近くはインドネシア地域で虐殺されていると思います。それでも、カンボジアで解放後に起きた共産主義ポル・ポト派の少年兵クメール・ルージュによる、大虐殺に比べたらましなのかもしれない。
私は、人間の心には、菩薩と夜叉の双方が住んでいると信じておりますので、いつか、このような虐殺のおこらない時代を築けるものとの期待を捨ててはいません。
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あなた方こそ単眼的だと思います (Ryu太郎)
2012-12-26 23:09:51
コメント返信ありがとうございます。記事を読まして頂いていますが、当時の加害国・加害者である日本軍兵士の立場からしか物事をみていないと感じられます。しかも、加害をしたという元兵士がいるのにも関わらず、加害はなかったとかアジアを解放したという立場の方々しか取り上げていないのではないでしょうか?
日本人として過去を考える上で重要なのは加害者としての立場の日本であって、そのほかの暴力・人間性云々はその当事国が総括すべきだと思います。

話は変わりますが、インドネシアなどの日本軍が占領した地において、当時の日本軍占領時代を生きた現地の年配や古老の人から直接話や体験を聞いたことはありますか?当時の日本兵の集まりで話されても、都合の悪いことは隠すまではないものの、覚えていないか、加害者としての振る舞いを気づいていなかったりするものです。極端な例ですが、今話題のいじめの問題でも、被害者は自殺したいほどの壮絶な暴力や拷問に感じていても、当の加害者の認識が遊びやじゃれ合いのつもりでそうは感じていなかったというギャップがあるわけです。
アンボン島での従軍慰安婦強制連行を否定されていましたが、禾晴道中尉の手記はご存知でしょうか?慰安婦の強制連行の事例がありますが、いかがでしょうか?
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現場主義 (kakek)
2012-12-27 11:01:02
Ryu太郎 さん
私は現場主義です。インドネシア軍政の最大の汚点、西カリマンタンのポンチアナの虐殺現場へも行き、犠牲者の遺族(複数)から聞き取り調査をし、さらに、この事件のため戦後虐殺には全く無関係なのに未決拘留、虐待を受けた日本人からも話を聞いています。アンボンの慰安婦については戦争中アンボンで従軍牧師をされていた加藤亮一氏(故人)の手記が東南アジア文化教会の会報に載っています。
禾晴道さんとは40年ぐらい前お会いしたことがありますが、寡聞にして慰安婦強制連行の話は聞いたことがありません。戦争中はある意味で狂った時代でした。
私は戦争中の日本軍のすべてを讃歌しているわけではありません。再度申します。複眼で歴史をみています。この問題ここで打ち切ります。
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英語での情報発信 (lordyupa)
2012-12-27 14:13:50
kakekさん
「大東亜戦争とインドネシア」について、日本語での出版物は、読者の範囲やその読まれる期間がものすごく限定されてしまいます。この本の英語翻訳版を出版されることを是非お勧めいたします。もし朱鳥社さんが了解されれば、場合によっては、英文版を作製して、その内容(外部からonlineで、ハッカーに書きかえられにくいpdfファイル形式などで)を、特定のinternetサイトhomepage/URLに、uploadして、全世界より誰でもいつでも、無償でアクセスできるようにして、情報公開されては、いかがでしょうか?アクセス者の立場が、反対にせよ賛成にせよ、それにかかわらず、注目をあつめれば、朱鳥社さんの日本語版の販売の妨げにはならないように思います。韓国側の従軍慰安婦propagandaなどは、英語での情報発信でのグローバル広報にたけています。
愚案かもしれませんが、ご一考ください。
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お説の通り (kakek)
2012-12-27 17:52:56
lordyupa さん
ご説の通りです。提案有難うございます。ブキテインギの虐殺虚妄については、英語、インドネシア語、日本語で小冊子1,00部を現地を中心に配布しています。本についてもスマトラ関係だけ英文で翻訳していますが、未公開です。ご提案について出版社の朱鳥社は電話ですが、英文翻訳については全く問題はないそうです。80歳すぎの老骨よろしくお願いいたします。
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