「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

短かった"うれしいひな祭り”

2007-03-03 06:45:26 | Weblog
       ◇「うれしいひな祭り」(山野三郎作詞 河村光陽作曲)
       一 あかりをつけましょう ぼんぼりに
         お花をあげましょう  桃の花
         五人ばやしの笛太鼓 今日は楽しいひな祭り
       三 金のびようぶに    うつる灯を
         かすかにゆれる春の風 すこし白酒
         めされたか    あかいお顔の右大臣

桃の節句というと、どこからかこの歌が聞こえてくる、歌の調子からか
かなり昔からあった歌だと思っていたら意外や昭和11年の歌だった。
まさに僕の小学校低学年の頃のひな祭りの光景だった。戦争中早逝し
た一人きりの姉が大正12年生れだから、わが家でも当時小さいながら
もおひな様を飾ってあった。

ひな祭りには歌にもあるようなぼんぼり、桃の花、白酒のほか三色の
菱餅,金華糖などがひな段にあった。ぼんぼりの灯が金びょうぶに映
るのも僕のひな祭りの原風景の中にある。

金華糖は白砂糖を煮上げたあと型に入れて焼き,刷き毛で赤,黄、緑など
の色で着色した菓子で,鯛,竹の子、野菜などの形をしたものが竹の篭に
入っていた。白酒は白い陶器の徳利に入って飾られていたが、甘酒と違い
度数があり、子供には飲ませなかった。
             
東京では戦争が激しくなった頃からひな祭りどころではなくなった。昭和
19年、姉は栄養失調と過労から結核で倒れ5月に亡くなった。姉がこの
"嬉しいひな祭り”の歌を聞いたのも数年だった。
    

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3 コメント

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Unknown (fuzu-fuzu)
2007-03-03 21:41:54
わが家は妹が二人いたのですが、母が3月3日の当日か、あるいは前日に雛飾りをして、3日の夕方に「また来年ね」と言って仕舞っていました。妹達は「あれッ、もう仕舞うの」と、残念がっていました。どうやら、お雛さんを長く飾ると娘が縁遠くなるとかの言い伝えがあったそうです。その甲斐あってか、どちらも適齢期に結婚しました。
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婚期 (kakek)
2007-03-04 06:35:47
fuzu-fuzu さん
わが家はすぐ仕舞わなかったせいか、いまだに結婚しない娘がいます。
もっともラジオを聞いていたら、仕舞うさいは湿度の高い雨の日はカビが生えるから気をつけてください、といっていました。でも昔の人のこういったゲン担ぎは一理ありますね。
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Unknown (chobimame)
2007-03-04 21:42:34
私の母も毎年お雛様を出してます。
しかも4月3日まで・・・
1ヶ月以上も出しているので、すっかり縁遠くなりました。笑

お姉さま、ずいぶんお若いうちに亡くなられたのですね。
数年でも、きっと美しい思い出だったと思います。
時代で、色々と明暗がありますよね。

この季節はデパートなどのお雛様の売り場は華やいでますね。
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