「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      次は白寿、茶寿、皇寿、珍寿のお祝いも!

2011-06-27 06:00:30 | Weblog
昨日、旧友に招かれて新宿超高層ビルの一角にある展望台のある高級レストランで彼の91歳の誕生日を祝った。彼は大学の同窓生だが、南方戦線からの復員の遅れと戦後の学制改革などの影響を受けて昭和28年の大学卒業時には、すでに32歳になっていた。地方出身の苦学生で生活費と学費を稼ぐために進駐軍の将校クラブでバーテンダーをしていた。卒業後も就職口がなく、進駐軍で働きながら難関の観光ガイドにパスした。そして35歳をすぎてからNHKに入社し、さらにNHK定年後は大学院で勉強をし直し、卒業後は東京の女子大学で70歳まで英語を教えていた。頭の下がる苦労人である。

誕生会に同席した友人の一人が「養命酒」で発行している長寿の栞を参加者に披露してくれたが、それによると、昨年卒寿(90歳)を祝った旧友の次のお祝いは99歳の白寿である。そして、その後は108歳の「茶寿」、111歳の「皇寿」、112歳の「珍寿」と続く。白寿は漢字の「百」の字から、上の「一」をとり九十九の意味だ。僕も白寿までは知っていたが、その後の茶寿、皇寿、珍寿は初めて聞くお祝いだ。いつ誰が決めたお祝いだか知らないが、いずれも語源は白寿と同じような漢字遊びからきている。

戦前、子供だった頃、母方の祖母が77歳の喜寿のお祝いをしたことを覚えている。祖母は元治元年生まれであったが、すでに若干痴呆症にかかっていた。当時は長寿のお祝いは喜寿が最後であった。祖母が白扇に「寿」の字を書いて、お祝い返しにしていたのを子供心に覚えている。

超高齢者社会で今は喜寿など長寿のお祝いの始まりの始まりである。友人は生涯独身でかくしゃくとして元気である。白寿のお祝いだけでなく珍寿のお祝いもまんざら夢ではない。

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2 コメント

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素晴らしい (chobimame)
2011-06-27 16:42:54
白寿から上は知りませんでした。誰が考えたのか知りませんが、そのようお祝いがあるということは、ひょっとしたら江戸時代などは、それくらい長生きした人がいるやもしれません。昔の人は人生50年といいますが、健康で医者いらずな人は、かなり長生きしていたらしいです。人は本来は150年生きる細胞プログラムだと学者の説を聞いた事があります。綺麗な空気、水、良質な塩、ストレスのない生活が前提ですが。現代は医学の発達で長生きとは言いますが、現代の方がストレスの多い生活ですから医療の発達がなければ人生50年かもしれません。ご友人の勉強に対する努力は大変なものですね。見習わなくてはと思います。
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誰が作ったのでしょうか (kakek)
2011-06-27 17:55:06
chobimame さん
本当に誰がこんなことを考えたのでしょう。貝原一軒の「養生訓」には色々長生きするための教訓が書いてあるそうですが、その当時から、こんな長寿の祝い方があったのでしょうか。超高齢時代で合わなくなったのは”厄年”ですね。男女とも62歳で"厄”は終わっています。神社仏閣は、高齢者にもう一つ"厄”を設けたいところでしょうが、こればかりは、そう簡単には行けません。
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