
昭和18年4月、旧制中学に入学した近所に住む旧友と昨日桜満開の駒沢公園でお花見してきた。あまり好い想い出ではないが、戦争中に少年時代を送った僕ら世代には、この花の季節になると軍歌「歩兵の本領」を想い出す
♯ 「歩兵の本領」(加藤明勝作詞 永井建子作曲 明治40年)
万朶(ばんだ)の桜か 襟(えりの色) 花は吉野に嵐吹く
大和男子(やまとおのこ)と生まれなば 散兵戦の花と散れ
蛇足かもしれないが、少し説明すると、「万朶」の「朶」は垂れ下がった枝の意。「襟の色」は旧陸軍軍服の襟の色は兵科によって分かれ、歩兵は緋色(桜色)であった。散兵戦とは、敵と対峙し一斉攻撃の号令一下、各兵が散りじりに敵に向かって攻撃をかけることである。
71年前の昭和20年4月Ⅰ日、連合軍が沖縄本土に上陸してきた。激戦が伝わり、やがて九十九里浜に上陸する日も近いということで、中学3年生だった僕らも家を離れ、千葉県の江戸川運河の拡幅工事に動員された。地上戦を想定して舟艇を自由に航行させるのが目的だった。連日モッコを担いで運河の底の泥を運び出す作業が続いた。そして夕食後には「軍歌演習」で、この「歩兵本領」をがめいた。
敵が九十九里浜に上陸したら、多分江戸川運河付近は戦場になり、僕らも散兵戦に参加花と散っていたかもしれない。80歳半ばの僕ら二人は万朶の桜の下で弁当を開き、平和の喜びをかみしめて味あった。
ぱっと咲いて、ぱっと散る。
そんな意味も隠されていたとは、悲しい話です。
サムライは桜の花のように、ぱっと咲き、ぱっと潔く散れというのが主意です。戦時中の若者は皆、そう教育されていました。吉野山にl籠って修行した西行の桜を歌った和歌が戦争中好まれました。怖い時代でしたね。
遠方よりコメント有難うございました。一学年先輩の方ですね。当方、東京の私立攻玉中社中学(軍神広瀬中佐先輩)海軍予備校と呼ばれていただけに、学徒動員中も英語を勉強していました。三省堂の英和辞典(昭和19年)には”撃ちてし止まん”と書いてありました。上司に岸和田中学卒業の先輩がおりました。
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この歌は自衛官の教育隊の時によく皆で斉唱してました。
親父も兄も私ももと自衛官です。
懐かしいです。