食物の偽装表示はとどまるところを知らない。今度は2008年のサミット(主要国首脳会議)の会議場になった洞爺湖畔の有名ホテルのレストランで北海道サーモンと称してチリ、ノールウェー産の鮭を使用していた。何故、こんな偽装をするのか素人の僕にはわからないが、随分と人をバカにした話である。
日本食を世界遺産に登録しようという動きがあるそうだ。そんな時にこの偽装問題は影響しないか心配だ。そこで人を介して食専門家に訊ねてみたら、こんな答えを頂いた。日本食の世界遺産への登録は、個々の食品についての評価ではなく、国土、季節、祭り、行事などの総合的な食文化ではないかという。確かにそうだ。正月のおせち料理一つ取っただけでも、一つの世界遺産の価値はある。
食専門家は世界中の料理を沢山食べているので”どこの料理が美味しいか”-野暮な質問をしたら”近くで栽培されたものを、その土地の調理法で料理して旬に食べることだ”という答えだった。そして食の美味しさは、柳田国男のいう”ハレ”と”ケ”、つまり、”ハレ”=儀礼や祭り年中行事=、”ケ”=普段の日常生活=に応じた食生活に関連あるのではないかという意見だ。確かにそうだ。北海道で10年生活した経験からも、有名ホテルのサーモンよりは道東の民宿でお祭りのさい食べた鮭のチャンチャン焼きのほうが美味しい。
これも僕は知らなかったが、今回の偽装問題とは関係なく、わが国では「食品表示法」が今年の6月成立、いま消費者庁が中心になって法の整備中で2年後には施行される。偽装が表面化したのは、よいチャンスである。日本食の文化遺産登録とあいまって徹底的に”偽装”を洗いなおしてもらいたい。
日本食を世界遺産に登録しようという動きがあるそうだ。そんな時にこの偽装問題は影響しないか心配だ。そこで人を介して食専門家に訊ねてみたら、こんな答えを頂いた。日本食の世界遺産への登録は、個々の食品についての評価ではなく、国土、季節、祭り、行事などの総合的な食文化ではないかという。確かにそうだ。正月のおせち料理一つ取っただけでも、一つの世界遺産の価値はある。
食専門家は世界中の料理を沢山食べているので”どこの料理が美味しいか”-野暮な質問をしたら”近くで栽培されたものを、その土地の調理法で料理して旬に食べることだ”という答えだった。そして食の美味しさは、柳田国男のいう”ハレ”と”ケ”、つまり、”ハレ”=儀礼や祭り年中行事=、”ケ”=普段の日常生活=に応じた食生活に関連あるのではないかという意見だ。確かにそうだ。北海道で10年生活した経験からも、有名ホテルのサーモンよりは道東の民宿でお祭りのさい食べた鮭のチャンチャン焼きのほうが美味しい。
これも僕は知らなかったが、今回の偽装問題とは関係なく、わが国では「食品表示法」が今年の6月成立、いま消費者庁が中心になって法の整備中で2年後には施行される。偽装が表面化したのは、よいチャンスである。日本食の文化遺産登録とあいまって徹底的に”偽装”を洗いなおしてもらいたい。
仰る通りこの機に偽装している食品関係者は意識を改めて欲しいものです。
この日本食の世界遺産登録に対し、また韓国がイチャモンをつけているそうです。韓国は文句がつけられたら何でも良いみたいです。実に鬱陶しい国です。
僕の感覚では日本食の食材は、西欧料理に比べて豪華ではりませんが、見た目の美しさ一番ですね。伝統的なおせち料理とか、今はなくなった結婚式のお祝いのお膳は一つの文化遺産です。関東育ちの僕は知りませんが、京料理は、すばらしいものだと思います。一回だけ、外国人研修生の接待で裏千家の経営する料亭でご馳走になったことがあります。美味かどうかは別にして、美観でした。
いずれにせよ、中華料理やフランス料理に並んで、傑出した文化遺産として和食があげられるのは、名誉なことだと思います。
wacinさんが書かれていたように、
敗戦後に、霜降り牛肉は、牛にビールを飲ましたり様々な工夫を畜産技術としてこらして開発されたものですし、加工肉は、海外からの低価格の霜降りでない牛肉に、牛脂を無数の注射器で注入する機械を開発したものです。庶民にも、焼き肉チェーン店で、安くて脂ののった牛肉を食べれるようにした優れた開発商品ですが、
いずれも、日本食の伝統文化からは除外されるものではないかと感じます。敗戦後は、戦前に比べて、魚食から牛豚などの獣肉食へと食習慣が変化したため、高脂血症、糖尿病、虫歯などの食習慣病が欧米並みに悪化しています。
ブロガーの書かれたように、食材や調理法だけではなく、容器や盛り付けの美観、食事をする部屋のたたずまい、配膳する人の心使い、など複合的な要素が和食にはあるように思います。
この和食の伝統と正反対の行為が、客を欺く「偽装の精神」だと思います。教育勅語の「心」を失った敗戦後の拝金経済主義がもたらした帰結だと思います。
わが家は江戸時代、川幕府の代官だったそうですが、亡母の話では、食事は貧しく、塩じゃけの皮がご馳走だったそうです。僕が覚えている戦前昭和の時代(食糧難以前)、東京の山の手の家庭でも肉はめったに食べませんでした。食生活が今のように贅沢になったのは、冷凍、冷蔵技術が大幅に伸びた昭和30年後半から40年代にかけてではないでしょうか。普通の家ではホテルで食事などできませんでした。