「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

77年前の校門の桜 3人だけの同窓会

2014-04-03 06:37:39 | Weblog
昭和12年4月1日、桜満開の校門をくぐり、6年間学び舎を共にした級友二人と昨日、学校のあった想い出の地で会い、ささやかに食事をしながら、お互いの長寿を祝った。77年の歳月の経過は、あっという間であった。亡父は、僕が小学校に入学した、この日の事を日記にこう記している。
「静かに4月の朝が来た。今日こそ愛児が新生活への第一歩、小学校へ入学するのである。愛児の幸福を祈願し氏神へ参拝すると、鳥居の前の桜は満開である」ー亡父は遅い子持ちで、この時44歳であった、それだけに僕への期待は大きく、嬉しかったのであろう。

日支事変が始まったのは、この年の7月7日である。従って入学時には大陸の戦火はまだ拡大していなかった。僕らの学校生活の中で、この4月から7月までの僅か3か月が「平和」の時期であった。思い出すと、当時最大の話題は朝日新聞の「神風号」(九七式偵察機)が立川飛行場からロンドンに向け飛行し、97時間17分56秒の世界記録を樹立したということであった。

僕らは入学して間もなくの5月、洗足池へ遠足に出かけた。その時の集合写真が残っているが、昨日会った僕ら二人を含め級友52人がニコニコと笑って写真に収まっている。しかし、昭和20年4月15日の空襲で学校や家も焼け、戦後はバラバラに離散してしまった。今は戦後の学校統合で校名までなくなってしまった。僕ら3人は昨日、昔学校があった跡地を訪れたが、高層のビルに変り、校門の桜は伐採され、消えてなくなっていた。77年の歳月である。

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2 コメント

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Unknown (chobimame)
2014-04-03 11:33:33
すごいですね。77年も友情と交流が続いているなんて。思い出を共有出来る友人の存在は貴重です。
今は、数年たてば街の様子は一変します。
77年前の風景は、全く違うものでしょうね。
激動の時代です。
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川の流れ (kakek)
2014-04-03 17:12:20
chobimame さん
昨日会った二人とも、国の介護支援は受けておりません。ビール中ジョッキーで乾杯し、松花堂弁当を食べ会費1950円でした。話はやはりお互いの健康状態でしたが、仕方がないでしょうね。町は変容していましたが、川の流れは同じでした。
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