4月1日から実施される後期高齢者医療保険証がやっとわが家にも届いた。すでに
何度か都や区の広報誌で読んでおり、その内容は知っているが、いきなり夫婦共に
利用者負担金が三割と記されており説明がない。ただ”お前らは現役なみ”の収入
がるからだというのである。現役並みの収入の基準とはいくらからなのかーわから
らない。
後期高齢者医療制度は不評で年寄りいじめ、高齢者差別である。大阪や広島で
は、年寄が老骨にムチ打って街頭デモをしている。昨日の新聞によれば、これまで
高齢者には適応外だった「資格証明」が新制度によって適応されることになったと
いう。「資格証明」というのは健康保険の滞納者が、大病で入院などする場合「資格
証明」を発行して貰えるが、そのために高額を支払わなければならない制度である。
老人の滞納者は、ほとんどが貧困から払いたくても払えないケースである。。とても
「資格証明」の一時金など支払う余裕などない。これでは貧乏人の年寄は”死ね”と
いうことと同じである。
幸いわが家の場合”現役なみ”であり、夫婦ともまずは健康である。老妻など医療機
関のお世話にはなってない。が、相互扶助は保険の精神からいって仕方がないと思
っている。問題は後期高齢者医療制度に流れる老人蔑視である。敬老精神はかって
は日本人の美徳であった。”現役並み”といっても、その収入はたかがしれている。例
えば、気持ちだけでもよい。三割を二割にする気配りがないのである。
何度か都や区の広報誌で読んでおり、その内容は知っているが、いきなり夫婦共に
利用者負担金が三割と記されており説明がない。ただ”お前らは現役なみ”の収入
がるからだというのである。現役並みの収入の基準とはいくらからなのかーわから
らない。
後期高齢者医療制度は不評で年寄りいじめ、高齢者差別である。大阪や広島で
は、年寄が老骨にムチ打って街頭デモをしている。昨日の新聞によれば、これまで
高齢者には適応外だった「資格証明」が新制度によって適応されることになったと
いう。「資格証明」というのは健康保険の滞納者が、大病で入院などする場合「資格
証明」を発行して貰えるが、そのために高額を支払わなければならない制度である。
老人の滞納者は、ほとんどが貧困から払いたくても払えないケースである。。とても
「資格証明」の一時金など支払う余裕などない。これでは貧乏人の年寄は”死ね”と
いうことと同じである。
幸いわが家の場合”現役なみ”であり、夫婦ともまずは健康である。老妻など医療機
関のお世話にはなってない。が、相互扶助は保険の精神からいって仕方がないと思
っている。問題は後期高齢者医療制度に流れる老人蔑視である。敬老精神はかって
は日本人の美徳であった。”現役並み”といっても、その収入はたかがしれている。例
えば、気持ちだけでもよい。三割を二割にする気配りがないのである。
老人などは、収入が乏しく税収が見込めないので死ねということです。
そうとしか思えません。
そしてそれは老人だけでなく、弱者全般に日本政府が行ってる動きです。
敬老精神もなければ、他人への配慮もない人たちが続々増えています。
少子化、ニート問題、若い世代から税収が見込めない昨今ですから、取れる場所からはとりあえず取るという付け焼刃の制度です。
税金を徴収するという単純な思考を置いて、社会の制度や流れを変えない限り、根本的な解決案は見出せないでしょう。
日本の政治家は、自分の利権ばかりを気にして、本当に日本の未来を心配してる人はいません。
これでは国が変わるはずがないです。
泣くのは庶民です。このままでは庶民は昔の水のみ百姓と同じになるでしょう。
後期高齢者なんて後生きても限られた年数です。自営業だった友人達は国民年金だけです。預金といっても今の金利ではよほどの大金持ち以外は、金利だけで生活できません。
比較的元気なので、小学、中学、大學の同期会の世話役をやっていますが、出たくても参加できない人が多いようです。
今回の荒川沖の殺傷事件の犯人みたいな
若い人が増えています。やはり将来への夢がないのです。政治家は足元を見つめてきちんとしてもらいたいです。
後期高齢者医療制度は、この4月から施行される「高齢者医療の確保に関する法律」により創設されるものですが、その法律の目的を示す条文(第1条)をご紹介します。
「この法律は、国民の高齢期における適切な医療の確保を図るため、医療費の適正化を推進するための計画の作成及び保険者による健康診査等の実施に関する措置を講ずるとともに、高齢者の医療について、国民の共同連帯の理念に基づき、前期高齢者(65~74歳)に係る保険者間の費用の負担の調整、後期高齢者(75歳以上)に対する適切な医療給付等を行うために必要な制度を設けもって国民保健の向上及び高齢者の福祉の増進を図ることを目的とする。」
つまり、この法律は「医療費を「テキセイ」にするために、また不適正だった医療費負担により負担を強いられてきた保険者(市町村等や健康保険組合)を救済するために、国民は国を愛し共同連帯するものだから、みんなで助けること。そうじゃないとお年よりは助からないよ。だって国は「テキセイ」な負担しかしないから。」というものです。
また、基本理念として、
「国民は自助女と連帯の精神に基づき、自ら加齢に伴って生ずる心身の変化を自覚して常に健康の保持増進に努めるとともに、高齢者の医療に要する費用を公平に負担するものとする。」
つまり、「誰にでもおとづれる老いに対しては、自分で対処し、医療制度を使うなら、費用に対する負担はしろよ。」ということです。
国を支え、国民一人ひとりを産み育ててきた者の老いに対する福祉は、「テキセイ」ではないのです。
この第2条は「高齢者医療確保法」の前身である、「老人保健法」と変りませんが、「老人保健法」とは目的条文が変ったので、意味がまったく変ってしまいます。
この法律により、お年寄り世帯だけでなく、年老いた父母と暮らす低所得勤労者の世帯に対しても大きな負担を強いることにもなります。
外圧による規制緩和等々から、国際基準、自由な競争など消費者、若年者に耳障りのいい言葉で弱者切捨てを進めるこの国は、国民がいなくても国が成り立つと思っているのでしょうか。
後期高齢者医療制度の法律条文有難うございました。改めて条文を読んでみて考えさせられました。
"弱者”切捨て”姥捨て山”なのです。
このような考え方が、日常の若い世代の
行動にも現れいます。
テキセイは結構ですが、弱者の老人がテキセイに医療を受けられるものにしてもらいたいものです。