「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

インド独立志士 焼岳に死す

2007-03-28 06:34:48 | Weblog
ここ数年、昭和10年代生れの見ず知らずの方から手紙や電話を貰うことがある。
いずれも南方各地で戦病死された自分の父親に関することだ。この世代の方も
定年を迎え”自分史”を書きたくなる年代だが、肝心の父親の最後の足跡がよくわ
からないため、戦史の著がある僕に問合せがあるわけだ。

昨日、手紙を頂いたO氏のご尊父はILL(インド独立連盟)プリタムシン書記長
の通訳をされていたが、昭和17年3月10日、東京の会議に出席するため同
書記長他3人の独立の志士と共に上海から東京へ向かう途中、悪天候で飛
行機が北アルプスの焼岳で墜落、遭難死された。

戦争中の僅か3年半の間にM(マグニチュード)7以上の大地震が3回も起き
ている。年代でいうと①昭和18年9月18日 鳥取地震 M7・2 死者1,083人②
19年12月7日、東南海地震 M7・9 1,222人③20年2月12日 南海地震 M
8・0 1,330人ー。昭和新山は18年12月から20年9月までに形成された。しかし
新聞では小さく扱われ、地元民以外では知る人が少なかった。

焼岳の事故は日本軍がマレー電撃作戦を勝利し、シンガポールを陥落させた直
後で現地で捕虜になった英印軍を中心に、インドではチャンドラ・ボース指導の
独立運動が加速していた。この時期での事故だけに日本政府としては扱いに
苦慮、公表されなかった。歴史に”レバタラ”はないが、この飛行機事故も歴史
の表舞台から消えていった。

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2 コメント

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戦争はイヤです (chobimame)
2007-03-28 10:59:39
まったくもって知らない話ばかりです。

戦中にそんな飛行機事故があったことも

地震のことも・・・

地震のことくらいは、誰もが知っていそうな感じですが、

戦中、戦後の混乱の中では、消えていく歴史があるんですね。

戦争とは、人の命だけでなく、色々なものを飲み込んでいくのだと、

今更ながら思ったりしました。

人の心には、消えない傷のような思いだけは残しますのに。



話は違いますが、いま『男たちの大和』を読んでいます。
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忘れられた歴史 (kakek)
2007-03-28 15:24:06
chobimamae さん
三つの地震とも能登半島地震以上のMを持つ地震でした。死者も1千人以上を出しています。子供とはいえ、その時代を生きてきたのに、僕も記憶にありません。報道されなかったのだから当然です。戦争で千人死んでも、たいしたこと
はなかったのでしょうかー。
インドの志士の遭難にもナゾが多く、調べてみたいのですが。
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