梅雨の晴れ間をぬって買物に出かけたら近所のお屋敷に植木屋が入って枇杷の実
を取っていた。僕はそれを横目にみながら一粒ぐらい食べたいなあと思った。夕刻、
老妻が帰宅するのを見ると、手に先ほどの枇杷の実の枝を下げてきている。老妻の話
では持主に”おいしそうですね”と声をかけたら”どうぞ”とくださったのだという。"口は
生きているうちに使え”という俚言があるが、その通りだ。
枇杷は今がシーズンである。東京の区部でも戦前は小さな借家の庭にも枇杷の木があ
った。そして悪戯っ子がもぎ取って食べても別に怒られるでもなかった。が、最近は、そ
の枇杷の木も少なくなってきた。第一、家が軒と軒とを接し庭がなくなってきてしまった。
老妻が頂戴してきた枇杷の小枝には、10㎝ほどの実が10数粒ついていた。早速一粒もい
でたべた。子供のとき食べたあの味である。感激したのは中に六つも種が入っていた。種
の有無が果物の自然度のバロメーターかどうかは知らないが、種無しの果物はなにか昔
を想いだしほっとする。
昔、6月は果物の端境期で、露地もののイチゴ、サクランボ、枇杷、そして、あのすっぱい
夏ミカンしかなかった。北原白秋のゆりかごの歌の2番に”ゆりかごの上に、枇杷の実が
揺れるよ、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ”という歌詞がある。老人の繰言かもしれない
が、昔は自然があり季節感があって、時がゆっくり流れていた。
を取っていた。僕はそれを横目にみながら一粒ぐらい食べたいなあと思った。夕刻、
老妻が帰宅するのを見ると、手に先ほどの枇杷の実の枝を下げてきている。老妻の話
では持主に”おいしそうですね”と声をかけたら”どうぞ”とくださったのだという。"口は
生きているうちに使え”という俚言があるが、その通りだ。
枇杷は今がシーズンである。東京の区部でも戦前は小さな借家の庭にも枇杷の木があ
った。そして悪戯っ子がもぎ取って食べても別に怒られるでもなかった。が、最近は、そ
の枇杷の木も少なくなってきた。第一、家が軒と軒とを接し庭がなくなってきてしまった。
老妻が頂戴してきた枇杷の小枝には、10㎝ほどの実が10数粒ついていた。早速一粒もい
でたべた。子供のとき食べたあの味である。感激したのは中に六つも種が入っていた。種
の有無が果物の自然度のバロメーターかどうかは知らないが、種無しの果物はなにか昔
を想いだしほっとする。
昔、6月は果物の端境期で、露地もののイチゴ、サクランボ、枇杷、そして、あのすっぱい
夏ミカンしかなかった。北原白秋のゆりかごの歌の2番に”ゆりかごの上に、枇杷の実が
揺れるよ、ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ”という歌詞がある。老人の繰言かもしれない
が、昔は自然があり季節感があって、時がゆっくり流れていた。
露地栽培だけの果物は高級化してきていますね。昔イチゴが石垣栽培だった頃は
小さくて高級感がありましたが、最近の
大きいイチゴは、おいしいが気味が悪いです。夏みかんは酸っぱくて重曹や塩をつけて食べました。やはり品種改良は必要なのはわかっているのですが。
毎年ほっとくとカラスに食べられるので工場の事務の人が
もいできてくれます。
たくさんなるので、実は小さいんですよ(笑)すぐってやればいいんでしょうが。
いつも木に登り実を取り楽しんでいましたが
増築の際、切ってしまいました。
ワタシはびわの木で木登りを覚えました。
ちょっと昔を思い出しました。
うちの2軒となりだったのですが、母が勝手に
びわをもいできてしまいました。
(公立の幼稚園だし獲ってもいいと思ったんでしょうか?)
翌日「びわをとらないでください」と張り紙が
貼ってあって恥ずかしかったのを思い出します。
枇杷は冬場の温度が零度になると、ものの本に書いてありましたが、そちらでも獲れるのですね。原産地は中国南部のようで薬用として栽培されている見たいですね。
都会では木登りする女の子の姿など見られなくなりましたね。(男の子も)土一升カネ一升の地では、増築などで伐られてしまいますね。枇杷は実生からだと実がなるまでに13年かかるそうです。
誰も獲らないと思ったのでしょう。張り紙が出たのが面白いですね。昔はあまりコセコセしなかったのです。多分、お母さんは東京生れではないですね。