「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            多湖輝先生とスマトラの子守歌

2012-02-05 07:03:38 | Weblog
昨年暮れNHKラジオ「深夜便」の中で心理学者で東京未来大学名誉学長の多湖輝先生が生まれて間もなく幼児時代に聞いたスマトラの子守歌をいまだに覚えている、と語られていた。先生は1926年、スマトラ(当時蘭印)の生まれだが、すぐ家庭の事情で帰国した。だからスマトラのことは記憶にないが、なぜかこの子守歌だけは80数年たった今でも覚えておられるという。僕は1970年、北スマトラのメダンに長期滞在したことがあり、1966年には車と舟でスマトラ縦断旅行もしたことがある。僕はこの話に興味をもち、早速、先生に手紙を書いて子守歌の歌詞について教えを乞うた。

昨日、多胡先生から風邪で体調をこわしていて返事が遅れて失礼したと詫びの言葉と共にスマトラ子守歌の歌詞が届いた。そのカタカナで表記してみた。「ブロンテケネケネ インガプティカ ユ―ジャティ― ブアサンダト ネネ シニヨー バニャ チャンテ」(語間は僕がかってに置いた)。確かにインドネシア語(マレー語)みたいだが、残念だが僕の力では解らない。

知り合いのメダン生まれで日本人と結婚している女性に電話をかけて聞いてみた。彼女は東京のインドネシアの歌の集い「ラグラグ」会の会員である。即座に”これはアンボンの歌ではないか”と答えた。その理由はネネ(おばあさん)のあとのシニオーは、アンボンのポルトガル語からの借用語で”年老いた”という意味があるということだ。アンボンはスマトラから遠いインドネシア東部にある島だが、オランダ時代には互いに交易があり、メダンには今でもカステラに似た”ビカ アンボン”というお菓子が名物になっている。

しかし、これだけでは断定できない。ひき続き”謎とき”の解明に努めることにするが、どなたかご存知の方があれば、お知らせ願います。最後に多湖先生のお言葉を紹介しよう。「動けば必ず何かが変わります。動けば必ず何かがわかります。動けば必ず何かが身に付きます。動くことによってあなたは強くなってゆきます」((「まず動く」高木書房)


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
心に響く (chobimame)
2012-02-05 08:10:40
子守唄といっても簡単に解明できるものではないのですね。やはり複雑な歴史を持つ国では、言葉の解明も大変なのでしょうか。
「まず動く」の言葉、とても納得致しました。本当にそうだと思います。自分が動かねば何も変わりませんね。良い言葉の紹介をありがとうございます。本を読んでみたいと思います。
返信する
深夜便 (kakek)
2012-02-05 12:18:28
chobimame さん
多湖先生は現地人の乳母に背負われていた時に覚えたのではないかといわれています。幼児の時の体験、学習が成長後に影響してくる証左だと先生は説明されていた気がします。ほとんどのリスナーが高齢者だという「深夜便」には時々勉強になる番組があります。歌詞の全部がわかればよいと思っています。謎解き的なものがあって楽しいものです。
返信する

コメントを投稿