「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      昭和生まれのある少年兵の記録

2010-04-29 06:09:15 | Weblog
大東亜戦争中、南方にいた日本軍兵士の間で”ジャワは極楽、ビルマは地獄、生きて
帰れぬニューギニア”という言葉があった。その言葉どおり、ニューギニア戦線に参戦
した兵士の93%にあたる14万人が南寧の地に散華している。僕は最近、この地から
生還できた昭和3年生まれの松尾源司さんが書いた「少年兵ニューギニアに潰ゆ」(新
風舎2006年)という本を読む機会に恵まれた。今日は「昭和の日」である。

昭和3年生まれといえば、僕とたいして変らぬ世代である。従軍世代は1920年(大正
9年)前後の方が多く、昭和生まれはせいぜい当時軍関係の学校(幼年学校、少年飛
行兵学校)の生徒だという僕の認識だったが、実際には松尾さんのような方もいたのだ。
松尾さんは昭和17年、昔の高等小学校を卒業してすぐ14歳で横須賀海兵団に通信兵
として入団、翌18年、15歳でニューギニア戦線に送られている。

松尾さんはそれから敗戦までの2年余、西部ニューギニア(現在のインドネシアパプア州)
のウエワク、ホーランディア、カイリル島に転戦、その間、熱帯性潰瘍、腸チフス、マラリア
に悩ませられながら、食に餓え、連日敵機の襲来を受けて幸にも九死に一生を得て祖国
に帰国できた。

”軍隊は運隊だ”という言葉が戦争中あったそうだ。軍隊はその人の持つ運命に左右され
るという意味だ。松尾さんは幸運だったがこの本の後書きで”かって少年たちが戦場に狩り
出され、祖国の栄光を信じて無念の死を遂げた時代があったことを後世に伝えたい”と書か
れている。昭和も次第に遠くなりつつあるが、僕も松尾さんとほぼ同世代,同じ思いである。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
損失 (chobimame)
2010-04-29 22:13:54
学徒出陣は知っていますが、まさかそんな幼い兵士がいた事はかなりの衝撃的な話です。昔、祖父に聞いたのか、何かで読んだのかうろ覚えですが、戦局が厳しくなっていく過程で小学生くらいの子供が戦争に駆り出されたという話は頭の片隅にあったのですが、まさか前線に出ていたとは全く知りませんでした。少年が鉄砲を担いで戦地で戦う惨さよ!こういう話を埋没させてはいけません。今の日本は戦争の話を意識的にねじ曲げ避けています。事実を伝える機会がなくなっています。脈々と伝わるのは歪曲し、作られた自虐的な話ばかり。これでよいはずはありません。
返信する
Unknown (kakek)
2010-04-30 08:24:35
chobimame さん
著者は長野県の塩尻出身です。高等小学校2年(今の中学2年)を卒業した4月に試験に合格、海兵団に入団しています。強制ではないのですが、当時田舎の高等小学校では、なんとはなく志願で軍隊へ行かなくてはならない空気があったようです。僕の学年でも幼年学校や飛行学校へ行った者もいますが、僕は近眼だったので最初からそのつもりはありませんでした。
僕より1学年上の人で満蒙開拓団に応募、敗戦後
ソ連によってシベリアへ連行されて昭和25年まで強制労働に従事した人もいます。戦争があと数年続いたら、僕もこの世になかったかもしれません。
返信する

コメントを投稿